真宗僧侶のかっけいです。今回は仏具おりんの話です。
法事に行きますと、皆様まず一番にお仏壇に手を合わしに行きますね。
この時真宗僧侶にとって不思議なのが、みなさんあの仏具「おりん(鈴)」を鳴らそうとする人が多いんですね。私の体感で8割くらいの人が鳴らしています。理由を聞きますと何となくということです。
真宗(浄土真宗)ではむやみやたらに「おりん(鈴)」は鳴らさないのです。おりんは読経するために鳴らします。
仏具おりんの要点
- おりんは僧侶だけでなく、誰でも鳴らすことができる
- しかし仏壇や墓や寺に参り、手を合わすたびに鳴らす仏具ではない。
- 浄土真宗では、おりんは読経時の始まり・途中・終わりを知らせるために使う。また鳴らす回数も決まっている。
- 浄土真宗の門信徒のもつ経本には、おりんを使う目印が記されていることがある。
- また浄土真宗では、祈願や供養をするために鳴らすのではない。
- 宗派や地域の違いによって、仏具の使い方や意味が異なることに注意してね。
おりん(鈴)を鳴らす人の理由
- 仏様(故人)に「お参りにきましたよ~」っていう挨拶
- 亡くなった人に「浄土に無事に行ってくれよ~」っていう挨拶
- 前の人が鳴らしたし、自分もとりあえず鳴らしとくかの人
- 手を合わすときにはしないといけないと思っている人
おりん(鈴)を鳴らす人の意見を聞くとこういう答えが多かったです。またどなたに教えてもらったのかを聞くと、よくわからないそうです。
神社の拝殿にある鈴(鈴緒)と同じ感覚で鳴らしている人もいるそうです。
神社の鈴は参拝の際、必ず鳴らしますね。あれは神様を呼んだり、自身の邪気を払ったり、神様の加護を受けるためにするそうです。鈴のない神社は手で大きな音を出しますよね。神様に気づいてもらうために。
これらの理由を聞くとどうやら仏壇の「おりん(鈴)」を鳴らさないと仏様に気づいてもらえないと考えている人が多そうです。
おりん(鈴)は鳴らしたときの響きが非常に澄んでいて素晴らしく、ついつい鈴棒(りんぼう)で叩きたくなってしまうのですが、浄土真宗的には間違いになってしまいます。
おりん(鈴)は仏様に気づいてもらうためではない
おりん(鈴)というのは、その音が浄土にまで届いて仏様の耳に届き、邪気を払ってくれるという人がいます。
あなたが思っているのなら、あなたにはそうなんでしょうが、「おりん(鈴)」にはそのような意味はありませんし、仏様はこちらがアクションしないと気づかないような存在ではないんですよ。
なぜ仏様を振り向かせるように音を鳴らさなくてもよいのか。
それは仏様というのは常に大慈大悲(だいじだいひ)の心を持っているからです。
神様というのは人智を越えた対象としての敬いをもつ存在であり、神様を信じている人はその利益・加護をいただこうと拝んだりします。
しかし仏様というのはこちらが仏様に対して願うのではなく、すでに仏様の方から願われているのだということ。仏様は私たちを救わずにはおられないという心を持っており、だから私たちはその願いに気づき手を合わしているのです。仏様の慈悲は常に私たちを照らしているのでわざわざ「参ったよ~。気が付いてくれよ~」と鳴らす必要はないのです。
おりんを鳴らさなくてもすでに仏様はこちらを見ています。
おりん(鈴)をいつ鳴らすのか。真宗では
お勤め(読経)の冒頭・途中・最後の決められたところで鳴らす。
浄土真宗では読経中以外では絶対に鳴らしません。おりん(鈴)はお勤めを始める合図・終わりの合図であります。
また声を出すときの音の高さの目安になっています。ですので手を合わせる(合掌する)ためや、仏様や故人に知らせるためではないです。
読経でおりん(鈴)を鳴らすところを知るには
鳴らすところが分からなくてもきちんとお経本には目印があります。ですのでお坊さん以外でも皆さん正しく鳴らすことができます。
赤く囲ったところに「●●」がありますね。つまりこの場所でおりんを2回鳴らすということです。ちなみに上の写真例は「お勤めの開始」をするための合図です。
もう一例をあげます。
一番右端のところ「忍終不悔」のところに「●」が一つありますね。これは先ほどの「光顔巍巍」の最後に当たります。このお勤めの途中(区切り)を示すところに目印「●」があるので、「悔」を読んでいるときにおりんを一回だけ鳴らします。
続けて「南無阿弥陀佛」の1句目の「佛」に「●」が一つ。7句目の「陀」に「●」があるのでここでおりんを鳴らします。これは偈文のお勤めが終了し、続けて念仏のお勤めをするための合図です。お勤めの途中で鳴らすおりんです。
そして左のページに「生彼国」に「●●●」が3つあります。この句でお勤めが終わります。お勤めが終わることを告げる合図です。この「生彼国」で3回おりんを鳴らします。
このように浄土真宗のお経本には点が打たれていて、これを目印におりんを鳴らします。逆に言えばこの点がなければ基本鳴らす必要はないのです。
ちなみによく見ると「●」の大きさが違っていますね。
●が複数個あるときはその大きさに合わせて鳴らす大きさを変えます。
ですので最後の「生彼国」の場合では「●●●」は音の大きさを「中・小・大」と打ち分けるように心がけます。
御門徒の皆様がお持ちのお経本では大抵の場合、お勤めの最初にりんを2回、途中で1回を複数回程度、最後に3回で終わることが多いと思います。これが基本です。
さいごに。おりんを鳴らす人がいても注意しない
仏具のおりんは、お経の区切りを示すために使いますが、今ではどういうわけかお仏壇のご仏前で手を合わせる前に叩く人が多くなりました。
今回は浄土真宗のお坊さんである私が、おりんの鳴らし方と考え方を紹介しました。
しかし注意していただきたいのが、今回紹介したのは真宗(浄土真宗)でのおりんの作法です。
同じ仏教でも地域や宗派によっては鳴らす場面や意味が異なることがあります。
また皆様がおりん(鈴)だと思っている鳴り物でも実は別の仏具であることが多いです。「おりん(鈴)」の他にも「磬(けい)」、「沙張(さはり)」、「伏鉦(ふせがね)」など音を鳴らす仏具は色々とあります。またそれぞれに役割(鳴らす場面)が違います。
実は私の母方の祖母もおりんをよく鳴らします。母方の祖母実家は浄土真宗とは違うお宗旨でした。
祖母はおりんの澄んだ音が亡くなった方を間違いなく「彼の国(浄土)」に導いてくれると信じています。そのためお通夜の時は一昼夜鳴らし続けてお線香もあげていました。真宗とは考え方が異なるのですが、おりんの音がそのような役割を持っていると考えている人もいます。このように地域や教えによっては考え方が異なります。
ただ私が知っていただきたいのは自分の宗派の作法を知り、自信をもって迷うことなく仏さまにお参りをしていただきたいことです。周囲の目を気にして合掌礼拝しお参りの際に不安を持っていると、せっかくの仏事でも雑念の方が多くなってしまいますからね。
ですので真宗のお坊さんがお参りに来ているときでも、自信を持って自分のところの作法でお参りをしていただいてオーケーです。
他の宗旨では浄土真宗よりも様々なところで「おりん(鈴)」を鳴らす機会があるそうです。例えば真言宗ではおりんだけでなく仏具の鳴り物たちは、大日如来が衆生の煩悩を払い悟りに目覚めさせるためのはたらきがあるそうです(詳しいことは真言宗のお坊さんに聞いてください)。
おりん(鈴)の鳴らし方を人に強制しないように心掛けましょうね。当然浄土真宗のお坊さんもおりんの鳴らし方を聞かれない限り、「お参りするたびに、おりんを鳴らす必要はないよ」と強制することはないでしょう。
こちらの記事では浄土真宗のお仏壇の飾り方をまとめて紹介しています。よろしければ見てください。「浄土真宗の仏壇の飾り方を説明」
また「座布団の向き・表裏の知り方」について紹介した記事の一番下では、おりんの下に敷く座布団の裏表を見分ける方法を書きました。そちらもよろしければ。
追記。おりんに似た音が鳴る仏具はたくさんある
私が「浄土真宗ではお仏壇に参ったときに、おりん(お鈴)を鳴らさないですよ」と言っても信じてくれない人が多かったのですが、この前お盆参りに行きますと「テレビでおりんは鳴らさないことが流れていましたよ。本当だったんですね」と言われました。
私の言うことが信じてもらえないのと同時に、テレビで報じられていることが何でも真実だと思われていることに驚きました。
あくまでも仏様参りの時におりんを鳴らさないのは浄土真宗の考えです。その他の宗派ではひょっとすると鳴らすかもしれません。
ただ仏具で音が鳴るものにはそれぞれに使う用途が決まっています。例えばお寺には大きなりん(鳴り物)として「大鏧(だいきん)」と「平鏧(ひらきん)」があります。
この二つのおりんはお坊さんでもそれほど使い分けを意識しないですが、真宗興正派では作法として大鏧はお経文一巻を通読するときに用い、平鏧は偈文・小経・観音小経、またはお経文一巻を通読しないときに用いるとされています。
他にも皆さんがお寺にお参りしたときに撞いて帰りたい梵鐘(ぼんしょう)は、法要儀式の日に撞くのが一般的な使い方です。
永代経法要や報恩講法要などのお寺で門信徒や僧侶が集まる当日の朝に撞き、また法要開始の一時間前に撞くようになっています。他にも大晦日の夜に鳴らす除夜の鐘のように、決まった時刻を告げるためにも使うことがあります。
他にも例を挙げると、お堂の隅に喚鐘(かんしょう)というのもあります。
梵鐘よりも小さいので半鐘(はんしょう)と呼ぶ宗派もありますが、真宗興正派では喚鐘または行事鐘(ぎょうじしょう)と呼びます。
その名の通り「今からお堂の中で法要儀式が開始しますよ~。お坊さんや参詣者はお堂に入ってください。」と知らせるために鳴らします。まだまだおりんに似た音を鳴り響かす仏具の例はたくさんありますが、これら一部挙げただけでも音の鳴る仏具にはそれぞれに役割・使いどころがあることがわかっていただけたと思います。
あなたがお仏壇の仏様にお参りしたときにおりんを鳴らす行為は、浄土真宗的には全く使いどころがあっていないのです。
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おりんを鳴らさないと仏様参りしたことにならないという人へ
さてお仏壇にお参りしますと、「おりんを鳴らさないと、ご先祖様も仏様もこちらに気が付いてくれない。わかってくれない。仏様参りをしたことにならない。」と頑なに言う人がいます。
それは考え方の違いなので、別におりんを鳴らそうが鳴らさなかろうがどちらでもよろしいことなのですが、私には一つ疑問があります。
お仏壇にお参りするときにおりんを鳴らす人は、お墓に参る時にもおりんを鳴らしているのですか?
皆さんはお墓に参る時にはお仏壇にお参りするときと同様に、「お花・お蝋燭・お線香・お供え」を持っていきますが、「おりん(鈴)」は持っていきませんよね。
おりんを鳴らさないと参ったことにならないという人はどう説明するのでしょうか。
ちなみにお坊さんの場合は、ただお墓にお参りする場合はおりんを持っていきませんよ。おりんは読経時に使う仏具なので。しかしお墓でお勤めするときはお坊さんは携帯用のおりんを持参します。
この携帯用のおりんは別名、印金(いんきん)とも呼ばれています。おりんに座布団と柄をつけて片手で持ち運べるようになっています。これはお墓などの屋外でお勤めをするときにのみ持ち運んでいます。
私にはお墓におりんを持っている人を見たことがないのですが、おりんを鳴らすことを主張する人はどうしているんですかね。おりんが無くても仏様参り・先祖参りはできているでしょう。