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仏花に造花は駄目なの?真宗お坊さんがお答えします

投稿日:2016年10月22日 更新日:

こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。

御門徒さんのお仏壇にお参りに行きますと、最近よく、仏さまへのお花のお飾りについて質問をされます。

それはお仏壇やお墓にお供えする仏花に対する相談です。

お飾りする花を造花に変えてもよろしいかということです。

ここではその疑問に浄土真宗のお坊さんが説明します。

お墓・お仏壇の仏花は生花が好ましい。

結論から申し上げますと生花でなければりません

造花は駄目です。

そもそもなぜ造花にするか悩むのか。

お仏壇やお墓周りのお花を造花にすることを悩まれる方は、仏様や亡きご先祖に対してお心のある方だと思います。

悩まなければ、そもそもお坊さんに質問せずに黙って生花から造花に変えればよろしいのですからね。

つまり造花にすることに疑問を持たれてる方は、心のどこかで造花にすることが失礼に当たるのだと感じているのではないでしょうか。

現代のお参りの実情。生花を用意するのは大変。

現代ではお墓参りの様子が大きく変化してきています。

かつては家庭の中心はお仏壇、外でのお参りの対象はお墓でした。しかし現代ではお仏壇のある家庭が減りつつあります。新築の家で仏間を用意する家もほとんどないのが実情ではないでしょうか。

お仏壇やお墓は実家にある。その実家を守っているのは父や母であったり、中には祖父母の家庭もあります。

ここ香川でも70歳・80歳を越えられた一人、二人暮らしの家庭がかなり増えました。田舎では都会よりも交通手段に乏しい状態です。その中でお仏壇やお墓に生花のお飾りを用意し、参りに行くのは非常に難しくなってきています。

生花の欠点は何か。なぜ続けにくいのか。

なぜ生花をお供えすることが難しくなるのでしょうか。

  • やがて枯れること。夏はすぐに腐ること。
  • 頻繁に入れ替えなければならない。
  • 結果、費用が掛かる。

これらの欠点があります。

生花は枯れるものです。夏だと1日で萎れ、2日で枯れます。冬だと2週間以上もある程度の美しさを保つことがありますが、それでもやがては枯れていきます。水が腐ることが早いこともあります。

そのために頻繁に入れ替えなければなりません。

しかしお墓にお参りすることも容易ではない状態の家も多いため、枯れた花殻がそのまま花立てに立てかけられている様子がよく見られます。年に3・4回のお参りでは生花の維持に全く足りていないんですね。

頻繁にお花を入れ替えるということは、それだけお金がかかるということです。

自坊の円龍寺でも年間に数十万円はお花代に支出しています。一般家庭でも真面目に生花を維持し続けたら、おそらく数万円程度はかかるのではないでしょうか。

よほど丁寧な家でなければ年中生花を仏さまにお飾りするのは難しいでしょう。

造花の利点は何か。枯れず手間がかからない。

その一方で、造花には生花の欠点を打ち消す利点があります。

  • いつまでも枯れない・腐らないこと。
  • 費用が最初の購入費用しか発生しないこと。
  • 花の形・色が残り続けること。
  • 入れ替える心配がなくなり、楽な気持ちになること。

造花のメリットは何と言っても、枯れないこと・腐らないことですよね。生きていないんですから。

最近では近くで見ても、なかなか生花と見分けが付かないほど精巧な造花もありますね。

5・10年もそのままにすると、さすがに色あせたり埃をかぶったりと見た目が汚くなりますけど、かなり長期に花の形と色を維持し続けますね。

また費用も500円から5000円くらいと、一回の生花を購入する額と大差がないですね。

造花は生花と違い、費用も手間もかからず楽々なお飾りです。

仏さまにお飾りするのが生花である理由。

ここまでは生花に対する不利なことを説明してきました。

正直なところ上記のことは事実だと思います。真面目な方ほど生花をお飾りしていくことが、年を重ねるほどに辛くなってくるのではないでしょうか。

しかしそれでも浄土真宗のお坊さんは仏さまにお飾りする花は生花であることをすすめます。

それはなぜでしょうか。

お花をお飾りすることが、仏様にお参りするのに非常に重要な要素であると考えているからですね。

お花を飾ることは主に3つ大きな理由があります。

  1. 仏花はお浄土のようすを表現していること。
  2. 枯れていく花の姿に人生をなぞらえること。
  3. お花を活け替えることで仏さまにお参りする縁となること。

お飾りする仏花は浄土の様子を表現したもの。

仏様の周りのお飾りを荘厳(しょうごん)といいます。

真宗のお寺の本堂やお仏壇がなぜ金色に輝いているのか。あれは阿弥陀仏の浄土を表現しているんですね。

もしも私たちが仏様のためにお花を差し上げているのならば、花は仏様に向いていればよろしいはずです。違いますよね。花は私たちに向いています。

親鸞聖人の御和讃には「一々の華のなかよりは 三十六百千億の 光明てらしてほがらかに いたらぬところはさらになし」とよまれています。

ここでの花は蓮華ですが親鸞聖人は浄土に咲いている花から、私たちに仏様の願いが限りなく届けられていることを受け止めたんですね。

枯れていく花の中に人生を見つめる。

お花が枯れるというのは、お花が生きていたということです。

私たちの人生は他のいのちを頂いて成り立つことばかりです。そのことを示してくれるのがこの生花なんですね。どんなに綺麗で鮮やかに咲いている花でもやがては枯れて散ります。動物も同じです。

いつお参りしても変わらない花の姿は私の心に響くことはありません。ただ楽なだけです。

お参りのご縁となる。

仏教には「信は荘厳より生ず」という考え方があります。

辞書によると「立派な堂を見て信仰心が起こる」という浄土真宗とは異なった説明があります。真宗興正派では、信心というのは仏様のお世話をさしていただくことを通していただくことです。

生花というのは枯れていくものです。しかし枯れていくからこそ、お花を交換していく必要があります。お花を入れ替えていき常に仏さまの空間を鮮やかに彩っていくこと、すなわち仏さまへのお給仕を通して、仏様にお参りするきっかけとさしていただくのです。

なかなか現代ではお参りをするのは難しくなってきています。お花を入れ替える気持ちを持つことが自然とお参りのご縁となるのではないでしょうか。

さいごに。造花に変わっている背景は何か。

最近ではお墓にお参りするのが、非常に難しい時代になってきました。それは信仰心が薄れてきたことや、家族の意識が薄れてきたからであるように感じます。

それにつれてお仏壇やお墓の扱いが雑になっているように感じます。要は厄介者な感じで、目障りな存在になってきているんですね。無いほうが気楽だと。

お参りするのは年に数回。お墓に水をかけて、ちょっとたわしで磨いて、雑草を抜いて造花をさしたままで帰る。義務的な雰囲気でお参りしているんですね。

仏壇だけでなく、墓のあり方も見直す時期にきているように感じます。

最近ではお墓を閉じる廃墓が流行ってきているみたいです。墓じまいという新しい言葉ができたほどです。

もしも家のお墓を維持できない・参れない・生花をお飾り続けることができなとい感じるのであれば、お墓が粗末な状態にならないうちに檀那寺に相談し、納骨堂・納骨壇にお骨を移動するのも一考の価値があるのではないでしょうか。

仏花が生花から造花に変わってきている今日では、お花だけの問題だけでなく、命についての問題やお世話になってきた故人とのつながりが消滅してきている問題にも直面しているように感じます。

追記、自坊も納骨堂の日常の仏花を常花にした。その理由。

2017年夏に自坊の納骨堂の仏花を常花(じょうか)に変えました。

常花とは造花の一種です。

常花は仏教において尊い花とされる蓮の形をした花です。また花だけでなく、蕾や葉や花托も表現しています。そして黄金色に仕立てられており阿弥陀仏のお浄土の様子を表現しています。

蓮というのは泥田のような濁った水の中から茎を伸ばし美しい花を咲かせます。仏さまの衆生を救う様相が表されており、蓮は仏花として使われることも多いのですが、難点としてわずか一日で花が散ってしまうことです。

その尊い蓮華をいつもご仏前にお飾りできるようにしたのが、蓮の常花です。

自坊円龍寺の納骨堂では日常時には蓮の常花をお飾りしますが、法事や法要時には豪華に生花を活けていきます。今まで通りに。

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