仏壇の仏花に造花はダメなの?

かっけい
かっけい

浄土真宗僧侶のかっけいです

お盆やお彼岸にご門徒さんのお仏壇にお参りに行きますと、仏さまへのお花のお飾りについての質問をされます。

お仏壇やお墓にお供えする仏花に対する相談です。

仏壇や墓に参るとき、お飾りする花を造花に変えてもよろしいでしょうか?

仏様へお供えする花(仏花)の疑問に、浄土真宗のお坊さんが説明します。

仏壇の仏花に造花はダメなのか
生花or造花のまとめ
  • 仏花は枯れていく生花が好ましい
  • 造花は好ましくありません
  • 造花にすることに疑問を持つ人は、心の中で造花だと仏様や先祖に対して失礼に当たると感じているのではないか?
  • 造花は仏様やご先祖にお参りするご縁が失われやすい
  • お参り時には十分な生花を用意し、普段は造花というのはOK
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墓・仏壇の仏花は生花が好ましい

結論から言いますと、生花が好ましい。

できる限り生花をお飾りしましょう

造花はダメといいますか、仏さまにお飾りするにはふさわしくないため、好ましくありません。

そもそもなぜ造花にするか悩むのか

仏壇やお墓周りの花を造花にすることを悩まれる方は、仏様や亡きご先祖に対してお心のある方だと思います。

悩まなければ、そもそもお坊さんに質問せずに黙って、生花から造花に変えればよろしいのですからね。

造花にすることに疑問を持たれてる方は、心のどこかで造花をお飾りすることが、仏様や先祖に対して失礼に当たるのだと、感じているのではないでしょうか。

生花を用意するのは大変

現代ではお仏壇参りやお墓参りの様子が、大きく変化してきています。

かつては家庭の中心はお仏壇、外でのお参りの対象はお墓でした。しかし現代ではお仏壇のある家庭が減りつつあります。新築の家で仏間を用意する家もほとんどないのが実情ではないでしょうか。

お仏壇やお墓は実家にある。その実家を守っているのは父や母であったり、中には祖父母の家庭もあります。

私の住むここ香川県でも、高齢の一人二人暮らしの家庭がかなり増えました。地方では都会よりも交通手段にとぼしい状態です。そういった中で、仏壇やお墓に生花のお飾りを用意し、お参りに行くのは難しくなってきています。

生花ではなく、枯れることのない造花にしたい気持ちは分かります

生花は枯れるから続けにくい

なぜ生花をお供えすることが、難しくなるのでしょうか?

  • きれいな花もやがて枯れる(夏はあっという間に、枯れて腐る)
  • 枯れれば、新しく入れ替えなければならない
  • お参りのたびに、費用がかかる

生花をお供えすると、費用がかかっていく欠点があります。

生花は枯れるものです。夏だと1日でしおれ、2日で枯れます。冬だと2週間以上もある程度の美しさを保つことがありますが、それでもやがては枯れていきます。水が腐るのが早いこともあります。

枯らさないように、水を頻繁に入れ替えなければなりません。

しかしお墓にお参りすることも容易ではない状態の家も多いため、枯れた花殻が花立てに立てかけられている様子がよく見られます。年に3・4回のお参りでは生花の維持に全く足りていないんですね。

頻繁にお花を入れ替えるということは、それだけお金がかかるということです。

私の寺の円龍寺でも年間に数十万円はお花代に支出しています。

一般家庭でも一年中、生花を維持し続けたら、おそらく数万円程度はかかるのではないでしょうか。

よほど丁寧な家でなければ年中、生花を仏さまにお飾りするのは難しいでしょう。

造花のいい点は枯れず手間がかからない

一方で、造花には生花のダメな点を打ち消すいい点があります。

造花のメリット
  • いつまでも枯れない・腐らないこと
  • 費用が最初の購入費用しか発生しないこと
  • 花の形や色が残り続けること
  • 入れ替える心配がなくなり、楽な気持ちになること

造花のメリットは何と言っても、枯れないこと・腐らないことですよね。生きていないんですから。

最近では近くで見ても、生花と見分けにくいほど精巧な造花もありますね。

5年10年も屋外に置くと、さすがに色あせたり埃をかぶったりと見た目が汚くなりますが、かなり長期に花の形と色を維持し続けますね。また費用も500円から5000円くらいと、生花を一回購入するお金と大差がないですね。

造花は生花と違い、費用も手間もかからず楽々なお飾りです。

仏さまにお飾りするのが生花である理由

ここまでは生花に対する不利なことを説明してきました。造花の方が楽でいいですよね。

正直なところ、真面目な方ほど生花をお飾りしていくことが、年を重ねるにつれ辛くなってくるのではないでしょうか。

それでも浄土真宗のお坊さんは、仏さまにお飾りする花は生花であることをすすめます。

なぜ生花なのでしょうか?

枯れていく花(生花)をお飾りすることが、仏様にお参りするのに重要な要素だと考えているからですね。

お花を飾ることは主に3つ大きな理由があります。

仏様にお花を飾る3つの理由
  1. 仏花は浄土(仏様の世界)の様子を表現しているから
  2. 枯れていく花の姿に人生をなぞらえるから
  3. 花を活け替えることで仏さまにお参りするご縁となるから

お飾りする仏花は浄土の様子を表現したもの

仏様の周りのお飾りを荘厳(しょうごん)といいます。

浄土真宗のお寺の本堂やお仏壇がなぜ金色に輝いているのか。あれは阿弥陀仏の浄土を表現しているんですね。

もしも私たちが仏様のためにお花を差し上げているのならば、花は仏様に向いていればよろしいはずです。違いますよね。花は私たちに向いています。

私たちに向けられた仏壇やお墓の花は、仏様のためではなく、お花をお供えする私たちに仏様の光や願いが届けられていることを表しています。

仏様の世界のお浄土には、様々な大きさ・種類の花が咲いているとされます。私たちはそのお浄土のすがたを表現するために、心を込めてお花をお供えしているのです。

枯れていく花の中に人生を見つめる

お花が枯れるというのは、お花が生きていたということです。

私たちの人生は他のいのちを頂いて成り立つことばかりです。そのことを示してくれるのがこの生花なんですね。どんなに綺麗で鮮やかに咲いている花でもやがては枯れて散ります。動物も同じです。

いつお参りしても変わらない花の姿は私の心に響くことはありません。ただ楽なだけです。

花の入れ替えがお参りのご縁となる

仏教には「信は荘厳より生ず」という考え方があります。

辞書によると「立派な堂を見て信仰心が起こる」という浄土真宗とは異なった説明があります。浄土真宗では、信心というのは仏様(阿弥陀様)からいただくものであり、仏様のお世話を通して信心をいただいていきます。

生花というのは枯れていくものです。枯れていくからこそ、お花を交換していく必要があります。

お花を入れ替えていき常に仏さまの空間を鮮やかに彩っていくこと。すなわち仏さまへのお給仕を通して、仏様にお参りするきっかけとさしていただくのです。

浄土真宗では、仏壇やお墓にお花をお飾りしたり、ロウソクを灯したりお供え物をすることを「お給仕する」と表現します。

現代では仏壇はお墓にお参りをすることは難しくなってきています。お花を入れ替える気持ちを持つことが自然とお参りのご縁となるのではないでしょうか。そのために枯れていく生花が大切なのです。

造花がダメな理由

造花とは、本物の花に似せて造った花のことです。

  • 枯れない・腐らない
  • 色や形もあせにくい
  • 費用が最初の購入時だけ
  • 入れ替えることがなく、手間がかからない

生花にはないメリットがたくさんあるので、仏壇やお墓にも造花をお飾りしたいと思う人はたくさんいます。

しかし、造花をお飾りするということは、暗に「私はお花をお供えしにお参りに行きません。ほったらかしにします」と宣言しているのと同じではないでしょうか。

造花は手間がかからないので、仏さまや先祖にお参りするという気持ちが徐々に薄れていってしまいます。

浄土真宗は、仏様やご先祖にお参りするご縁のために、生花のお供えを強くおすすめします。

造花に変わっている背景は何か

最近ではお墓にお参りするのが、非常に難しい時代になってきました。それは信仰心が薄れてきたことや、家族の意識が薄れてきたからであるように感じます。

それにつれて仏壇やお墓の扱いが粗雑になっているように感じます。要は厄介者な感じで、目障りな存在になってきているんですね。無いほうが気楽だと。

お参りするのは年に数回。お墓に水をかけて、ちょっとたわしで磨いて、雑草を抜いて造花をさしたままで帰る。義務的な雰囲気でお参りしているんですね。

仏壇だけでなく、墓のあり方も見直す時期にきているように感じます。

最近ではお墓を閉じる「墓じまい」が広がっています。

もしも家のお墓を維持できない・参れない・生花をお飾り続けることができなとい感じるのであれば、お墓が粗末な状態にならないうちに檀那寺に相談し、納骨堂・納骨壇にお骨を移動するのも一考の価値があるのではないでしょうか。

仏花が生花から造花に変わってきている今日では、お花だけの問題だけでなく、命についての問題やお世話になってきた故人とのつながりが消滅してきている問題にも直面しているように感じます。

なお仏壇やお墓に造花を飾るのが全くダメというわけでなく、お参りに行くときには十分な生花を用意し、普段は造花というのはOKだと思います。

お花のお飾りというのは仏教の大切な供養のひとつですので、普段は造花であったとしてもお彼岸やお盆や命日など節目の時には生花をお飾りしましょうね。


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浄土真宗でも造花(常花)を使うことはある

2017年から、私の寺の納骨堂で、部分的に常花(じょうか)をお飾りするようになりました。

関連記事:納骨堂の仏花に常花を用意しました

偲朋堂(納骨堂)1階の常花
蓮の常花

常花とは造花の一種です

常花は仏教において尊い花とされる蓮の形をした花です。また花だけでなく、蕾や葉も表現しています。そして黄金色に仕立てられており阿弥陀仏のお浄土の様子を表現しています。

仏様の台座は蓮の形をしていて、蓮台(れんだい)や蓮華座(れんげざ)と言います。

蓮というのは泥田のような濁った水の中から茎を伸ばし美しい花を咲かせます。仏様の人びとを救う願いの姿が表されており、蓮は仏花として使われることも多いです。しかし蓮は夏しか咲かず、数日で花が散ってしまいます。

尊い蓮華をいつもご仏前にお飾りできるようにしたのが、蓮の常花です。

浄土真宗寺院の自坊円龍寺の納骨堂では、日常時には生花をお飾りします。ですが生花は萎れ、枯れていきます。

生花を活け替える時に、一時的に仏さまにお花がお供えされていない時ができます。

生花を活け替える時に、私の寺では、常花をお供えしています。

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