真宗僧侶のかっけいです。
浄土真宗のお寺では春秋のお彼岸頃には「永代経法要(えいたいきょう)」が勤められています(お寺によっては彼岸会法要のこともある)。先日自坊でも秋の永代経法要がありました。50名ほどの人が最後まで布教使の法話を聞きご仏縁を大切にされていました。
さて皆さんは永代経とはどんなお勤めか知っているでしょうか。
- 永代経ってどんなお経なんですか?
- 永代経とは永代供養のお経でしょ。
このようなことを考えている人もいるかもしれません。
今回は浄土真宗の永代経について解説していきます。浄土真宗のお寺で永代経と言われるものを本堂の余間のある掛け軸のことをさしますよ。
浄土真宗の永代経は永代供養ではない
永代経(えいたいきょう)という言葉を聞くと多くの人が「永代供養」や「永代納骨」や「永代墓」を連想するでしょう。
お坊さんがお経文を読み、永代に渡って亡くなった人の骨や霊をまつり供養してくれることだと思っているかもしれません。
しかし浄土真宗でいう永代経とは「永代読経(どっきょう)」もしくは「永代祠堂経(しどうきょう)」の意味で使われます。
どちらも同じような意味で『永代に渡って(末永く代々にわたって)、仏様の金言であるお経文が読まれ、仏法を伝え聞いていく念仏道場としてのお寺を護持していく場』ということです。
ちなみに永代とは永遠という意味ではなく、末永く代々へ・長い年月という意味です。
浄土真宗の供養について
浄土真宗では追善供養はしません。きっとそれは有名なことでしょう。たしかに浄土真宗では亡くなった人のために生きている人が自分で善根を振りむける供養をしません。(そもそも自分に優れた善が備わっているのか?)
しかし浄土真宗では供養をしないということではありません。
浄土真宗の供養とは死者のためにあれやこれやとするのではなく、亡き人のご縁から仏法をいただき、仏様の方から私に向けられた願いを知ることです。亡き人のご縁から私も共に養われる(お育てにあずかる)のが浄土真宗の供養です。
供養されるのは両親でも先祖でも菩薩仏でもなく、「この私である」というのが浄土真宗の考え方です。
永代経懇志とは何のためにするのか
永代経懇志(こんし)のことを先祖の供養をずっとしてもらうためにお寺に支払う「お経料」と思われているかもしれません。
間違いです。
永代経懇志とはお経代のことではありません。
浄土真宗の永代経法要とは先ほど説明しましたように、末永く代々にわたってお勤めする法要のことです。門信徒からはこの時に永代経の懇志を納められる人もいます。
それは懇志を納めることによって故人を慰めたりお寺に供養を任せっきりにするということではありません。
お寺(檀那寺・菩提寺)を護持し、子や孫いつまでもお念仏の道場として南無阿弥陀仏のみ教えが伝わっていくようにとの願いから寺に施されることです。
多くの場合はまとまったお金(財)による懇志ですが、中には参拝者用の巨大な香炉や椅子、お坊さんが身に付ける袈裟など、お寺で使われる道具を納められることもあります。
永代経懇志とはお寺が末永く続くために、縁ある人が納めてくれる財や物のことです。
また農村地域では永代経法要の時に、永代経お仏飯米袋が納められます。
この納められたお米は、お寺が仏様にお飾りお仏飯(おぶっぱん)として使われ、お坊さんが食べます。ですのでこれも懇志と言えます。
お寺の余間には永代経の掛け軸がある
さて浄土真宗では永代経は先祖供養のためにするお勤めではないことを説明しました。
しかし浄土真宗では先祖といった故人のためにお勤めすることはないのですが、故人のご縁を通して生きている私たちが仏法にであう大切な機会をいただいています。
両親・先祖といった故人のおかげで阿弥陀仏の教えにあうことができた。そのご縁を大切に先祖を偲び、私もますます仏法にであっていく。その場がお寺であった。
お寺をこれからも大切に子や孫代々にわたり残っていくように、お寺に先祖の命日などのご縁にお寺に永代経の懇志を納めます。
お寺によって対応が違うかもしれませんが、私の住む地域の真宗寺院ではまとまった金額の永代経懇志を納めてくださった施主には本堂の壁にある程度の期間、お寺のために懇志をして下さった印として貼り紙をします。
そして故人のご縁から施主が永代経懇志をされた場合は、真宗寺院では「永代経の法名軸(ほうみょうじく)」を本堂の余間(よま)にお飾りしています。
上の写真のように真宗寺院では余間に永代経法名軸の掛け軸をお飾りします。
この法名軸には中央に本尊である南無阿弥陀仏の名号があり、それらを囲むように住職の手で永代経懇志を付けられた故人の法名などを書き記します。
真宗寺院で言うところの永代経とはこの永代経法名軸のことであり、永代経法要に来られた際には懇志を納められた人はこの余間に掛けられた永代経法名軸にも手を合わし、亡き人のご縁をいただいてお寺に参り仏法にあうことができたお礼参りをします。またお寺の僧侶によるお勤めの声が毎日本堂にて響く場所でもあります。
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さいごに。永代経はなぜ大切なのか
浄土真宗の永代経とはお骨や位牌をお飾りするわけでもなく、故人の供養のための読経でもありません。
故人のご縁によりお寺に参り南無阿弥陀仏のみ教えにであうことができた。そのご縁をいただけたことを大切にし、末永く代々に渡ってお寺が続き、お念仏の声が伝わるようにという願いにより勤められるのが浄土真宗の永代経法要です。
しかし永代経に関して次のような考えを持つ人もいます。
- お寺でなくても供養は自分一人でできるよね
- 懇志を納めたからお寺に行かなくてもいいよね
これでは浄土真宗の永代経ももったいないものになってしまいます。
考えてみますと、供養はお寺でなくても自分たち一人一人でできます。しかしそれが永代に渡ってとなりますと非常に難しくなります。
7代以上家がずっと続いていくというのは非常に難しいものです。しかしお寺では150年でも300年でもそれ以上と末永く続いていくことができるのです。それはなぜかと言いますと、門信徒らの支えがあるからです。
両親の供養は自分でできると言ってもそれは一代のことであり、そうではなく仏法を伝えお勤めの声が響くお寺を皆様が支えてくださることによって、永代に渡る供養が可能になるのです。
また懇志によって支えてくださるのですがそれによって寺に参らなくてもよいのではなく、亡き人のご縁・先祖のご縁から先人らの遺徳を偲び、私自身も仏法を聞き、子や孫に伝えていくことが永代経法要の有難さです。
浄土真宗の教えは死んだ後の話と思われているかもしれませんが、生きている人のための教えです。生きている私がこのご縁を大切にしてお参りしなければ非常にもったいないのです。
亡き人のご縁から永代経懇志を付けられた後も、続けてお寺に参っていただきたいものです。私が養われる(お育てにあずかる)のが浄土真宗の供養です。