求道(ぐどう),興正寺霊山本廟長金倉崇文のエッセイ集

金倉崇文は2014年4月より本山興正寺の初代霊山本廟長となりました。霊山本廟は浄土真宗宗祖親鸞聖人の廟所として、真宗興正派興正寺ご歴代住職とともに、肉親のご遺骨をその傍らにと願われ尊崇護持されてきた場所です。

霊山本廟の求道(ぐどう)は、本廟長や本廟に勤める僧侶・学生らが感じたことを刊行し、参拝者に配布しています。

金倉崇文に許可を頂き、興正寺初代本廟長の毎月の求道(エッセイ)を紹介していきます。なお、各月の副題は私が勝手につけています。

「尊厳」2015年4月

春の観光シーズンの到来を告げる、京都東山の社寺を彩る花灯路は、すでに十三年目を迎えているとか。幾重にもつながる万燈の灯りは、幽玄の世界を醸しだし春宵の京の雅を演出しています。ここ霊山本廟の参道をほのかに照らす行燈を見つめていると、ふと「長者の万燈より貧者の一燈」の言葉が脳裏を過ぎり、僧侶のひとりとしては別な意味で、一隅(いちぐう)を照らす一燈でありたいと願うのは、はかない望みなのでしょうか。

 

さて、本廟に赴任してから早一年、春の穏やかさにつられたわけではありませんが、田舎への郷愁が折に触れて募ることがあります。長閑な田園を飛び交うモンシロチョウの姿やヒバリの鳴き声には、荒んだ心を和ませてくれる趣があり、子供のころには時が経つのも忘れたものでした。なかでも優雅に舞う蝶々は、私の格好の遊び相手で、当世風にいえば追っかけをしていました。

 

よくよく観察すると、幼虫から蛹(さなぎ)になり蝶々へと生まれ変わる姿には、目を見張るものがあります。もとの青虫とは似ても似つかぬ綺麗な蝶々となるその成長過程には、蛹という不思議な期間があります。有り体に言えば、姿態を変えるのに蛹としての時間が必要ということです。新しい世界へ羽ばたくために蛹となり、自らの身体そのものを溶かし生まれ変わっていく様は、何かしら憧れさえ抱く生命の神秘といえます。私とて容姿が生まれ変われるものなら蛹にもなり・・・・徒事なことです。

 

しかしながら、姿形は変えられなくても、人には生まれ変われるものがあります。生まれ変わりで思い出すのが、イプセンの「人形の家」の主人公のノラという女性のことです。私が若かりし頃、よく理解できないまま読み飛ばしてしまった小説ですが、夫婦の心の機微について、当時の私には理解できるはずもなく、ただ人間には単なる愛情以上に大切なものがあることにノラは気づき、生まれ変り飛び立つ姿に、生新な女性を感じたのを憶えています。

 

今読み返してみると、宗教的な味わいはあまり感じませんが、ノラは鷹から身を守る小鳩のように夫の翼の下にかくまわれ、籠の中で囲われた鳥であったことに気づいたわけです。つまり、愛玩たる人形に新たな生命が宿り、人形の心の衣装を脱ぎ捨てた時、それは人形のノラが生まれ変わった姿であったのでしょう。ノラにとって生活の安住を貪ることより、人間としての尊厳を貶められることが一番辛いことだと。私も気づくのが遅すぎました。反省しきりです。

 

ただし、時として人は尊厳なるものが尊大になりかわる時があります。尊厳が自我なる執着から起こりうる内省なくしては、因果の道理をわきまえない慢なる我執に他なりません。それでは、仏教の持つ本当の生まれ変わりとは、何を意味するのでしょう。それは我が心が道徳的に悔い改め、心が入れ替えられることではなく、今までの価値基準がいかに危うい自我の上に立っていたかに目覚めることを意味します。まさに心が改まることではなく、重篤なる心が転ぜられていく世界が頷けた時、悲しみは悲しいながらも癒され、苦しみは苦しくとも、願いに生かされた我が身へと、廻心(えしん)されることなのです。

 

今宵も、是非聞いておきたい曲があります。ウォルター・ビショップ・ジュニアの「Alone Together」は、アルバムタイトル曲の「スピーク ロウ」の名演の影に隠れがちですが、この曲は哀愁のバラードでありながら、ウォルターのピアノは甘さに溺れることなく、凝縮された人生の哀歌を力強く歌い上げています。『二人一緒にいるだけで 突然の雨も 星さえない夜も むなしくなんかない 恐れるものなどないんだ・・・・』悲しい心に寄り添ってくれる者がいる人は幸せです。けれど、たとえ気づかなくても、必ず案じて下さっている仏さまと一緒です。

合掌

「恩讐の彼方に」2015年3月

早春を告げる梅便りが聞こえてくると、つい郷里の自坊に自生するフキノトウを思い出します。ここ霊山本廟の留守職を任せられた限り、ゆっくりと田舎で過ごす暇などはありませんが、ならば霊山本廟でも山菜採りが出来ないものかと周辺を見渡せば、やたらお掃除箇所ばかりが目に付き、仏さまはきちんとお仕事の方を用意してくれていました。どうやら悠長に春を味わう余裕などはなさそうです。ただ、それでも日差しの中に温もりを感じるようになると、啓蟄とは言い得て妙で、自然と背伸びをして気持ちも緩みそうになります。

 

さて、歳を重ねるにしたがって昔を懐かしむのは人の世の常ですが、私自身にとって、色あせることなく心に留められた思い出や感動は、慰めにも似た追憶の喜びのひと時をもたらしてくれます。そして悲しくて辛かった出来事でさえも、懐旧の涙を流す一齣(ひとこま)の中に、たぐいない人生の彩りとしていただけるのです。

 

中学生の頃、父の書斎の本棚にある一冊の本に目が止まったのを憶えています。手に取り少しめくると、歴史的仮名遣いではありませんが近代文学特有の読みづらさから、本棚に戻そうかと思いながらも、題名のもつ不思議な響きの魅力に惹き込まれてしまいました。その本とは「恩讐の彼方に」という短編小説であり、郷土出身の著名な作家である菊池寛の出世作品のひとつです。

 

「表裏」、「明暗」、「有無」、「虚実」、「黒白」等々、反対の意味を持つ熟語は沢山あり、それこそ枚挙にいとまがありません。その中でも人間存在に係る言葉には、何かしら悲哀とともに生きるが故の苦悩そのものの響きを感じます。「生死」、「善悪」、「苦楽」、「愛憎」等々は、人としての内包する根源的な問題として、避けては通れぬ悲しい響きなのです。「恩讐の彼方に」の「恩」は、情けとか慈しみを表します。反対に「讐」は、かたき、あだなどを意味し、相反する人間の感情表現としての新鮮さを感じます。菊池寛自身が「彼方に」描いてみせた世界とは、人の持つ優しさと瞋恚という怒りとの相克を、決してお涙頂戴ではなく、身も心もやり場のない葛藤、それでいて、人が立ち帰るべき姿にあったのではないのでしょうか。

 

内容について詳しく紹介する余裕は紙面上ありませんが、歴史上に実在した「青の洞門」を基づいて書かれているとはいえ、おそらくこれが男女の痴情のもつれ云々を全面に絡ませたりすると、浄瑠璃の題材の域をでなかったでありましょう。改めて読み直すと、それは人間の犯さざる罪業という大きな巨岩に、ノミを持ち槌を振るう姿を通して、逆に人の恨みという哀れさもまた罪業に他ならぬことを暗示しているのだと思います。

 

マルウォルドロン作曲の『Left Alone』,1959年作曲

マルウォルドロンの『Left Alone』

今月も、心に残る名曲を聴きながら。・・先立たれた方を見送り、ひとり残された寂しさは、誰しもいつの日か味わうことです。マル ウォルドロンの「レフト アローン」には、残されし者の悲しみが記録されています。波乱万丈の人生という言葉だけでは足りないビリー ホリデイ作詞の歌には、私にとっても辞書を片手に訳すことさえ躊躇してしまう何かを感じます。『私の心を満たしてくれる 愛はどこなの 決して離れずにいてくれる人はどこにいるの みんな私を傷つけそれから見捨てていった 私は一人 ひとりきりなの・・・』ジャッキー マクリーンの嗚咽にも似たアルトサックスが、そして彼女に捧げた、マル ウォルドロンのピアノが、痛々しくも夢の跡を追うように、残された者のみに許された、悲しき旋律を奏でています。

合掌

「鹿の子の御影」2015年2月

夜半より降りかけた雨は、除夜の鐘の音とともに、煙雨となって一年の終わりを告げようとしていました。ここ霊山本廟でも、除夜会の勤行の後、お参りの方々が入れ替わり立ち替わり梵鐘をつき、過ぎ去りし一年を振り返りながら、新年に期待を膨らませているようでした。それにしても、新しい年を迎えながらも、歳を重ねる度に感じるえも言われぬ一抹の寂しさは、文豪トルストイも内観したように、時間そのものが流れているのではなく、流れ流されているのは自分自身であることを、遠く空を眺めながら身と心に落ちる氷雨の中に感じることでした。

 

2015年1月大雪の霊山本廟の鐘撞堂

2015年1月の霊山本廟の鐘撞堂

 

元旦の昼ごろに雨は雪に変わり、例年の三が日なら溢れかえる本廟の参詣者も、京都に訪れた約六十年ぶりの大雪に出鼻をくじかれ、しかし反対に、押して参詣頂いたお参りの方とは、ゆっくりと語り合うことができ、雪景色と相まって、思い出になる参詣として頂けたのではないのでしょうか。ただ、瀬戸内育ちの私では、さすがに雪かきやらゴム長靴でのお参りだけは、何ともくたびれたお正月となりました。

 

さて、寒い冬の夜、最後に寺務所の戸締りをして、薄暗い階段を降りながら、ふと思い出すのは、父が晩年に掛け軸を取り寄せてまで思いを馳せた「鹿の子の御影」のことです。蓮如上人の幼いころの出来事で、生き別れた母への追慕の物語であり、その痛嘆はご生涯を貫き通し、生身の人間であるがゆえの、凡情という積木の上に立つ、念仏者蓮如上人の原点がそこにはあります。

 

僅か六歳の我が幼子(蓮如)を残してまで本願寺を出てゆかねばならない事情、別れる母としてできる精一杯であろう、鹿の子絞りの着物を蓮如に着せ、その姿絵を形見として胸に抱きしめる心情。嫡子でないがゆえに身を引いた母に対して、別離の悲しみだけではなく、子を案じた母の願いを,自身のいのちの中に受け止めたからこそ、闇夜に溶けていった母の姿は、光となって蓮如上人のもとに戻られたのに違いありません。今から、五百九十四年前の二月九日(新暦)、寒い日の出来事でした。

 

What Can I Say (After I Say I'm Sorry)?

レッドガーランドの『What Can I Say (After I Say I’m Sorry)?』

寒い夜に、レッド ガーランドの「What Can I Say After I Say I`m Sorry?」は、カクテルピアノといわれても、こんな素敵なピアノに慰めてもらいたい気分の時もあります。『ごめんなさいと謝った後 これから何を言えばいいんだろう あなたを苦しませるためにしたことじゃないんだけど・・・本当にごめんね』。戻れない日々はわかっていますが、音楽だけはあの日に帰れます。

合掌

「新春」2015年1月

謹んで新春のお慶びを申し上げます。

 

初めて霊山本廟で迎える年末年始は、忘れそうになっていた感動を呼び起こすものでした。寺で生まれ育った私にでさえ、当たり前の光景が、実は、いとおしき非日常であったことを改めて知らしめるものでした。それは、毎日が常ならざる世界である事を、老いてゆく父親が寂しい別れをしてまで諭してくれた無言の戒めに通ずるものです。

 

私にとってこの霊山本廟に住込み、本堂へと繋がる五十段の階段を上った先にひろがる世界は、夏目漱石の『草枕』の文中の会話にも登場する、ものが逆さまに見える、まさに全てのものが逆転する世界がそこにはありました。

 

「別れの中にこそ、別れた人との本当の出会いがある世界」、「悲しみの中にこそ、喜びがある世界」、「往く世界こそ、還っていく世界」。しかし、実際のところは、その世界に頷きながらも階段を降り、温かい布団にくるまれて、嬉々としてこの世の安住にしがみつく、まるで聞き分けのない駄々をこねる幼児の姿の私があります。

 

寺で生まれ育った者にもそれゆえの、名状しがたい苦しみがあります。透けて見えてしまう世の中の偽りに対する反発、寺の束縛からの反抗、み教えの頂の高さへの畏怖、これらを目の前にして立ちすくむ、めまいにも似た不安。これらを生活の中でかかえながらも、僧侶として生きることは、自己にも偽りの世界が内包する問題として、私への、み仏の悲しいまでの願いとして、再び苦しみまでも受け取りなおした時、あらゆる手立てを施してまで私にかけられた、み仏の願いに目覚めていくことなのです。

 

浄土真宗は、誰のためのみ教えなのでしょう。私のため、あなたのため、人のため、全てのもののためでしょうか。生老病死に代表される四苦八苦の苦しみは、それを内観する人にとっては、み仏の願いが光として届けられています。悲しみもそして苦しみでさえ、我がいのちの中で働き、輝きを放つ不可思議な光となるがゆえに、私のために起こされたものだと、み仏の願いの生起がいただけてくるのです。何という広大無辺なみ仏の願いなのでしょうか。その願いは、我が心に念仏を称える(となえる)という華の種を蒔いて下さり、華ひらくその念仏の称らい(はからい)は、往生浄土という本末の在り処(ほんまつのありか)を信知せしめて下さるのです。

 

後になりましたが、霊山本廟に来て九ヶ月、その間には、四十年ぶりに再会できたクラスメート、親鸞聖人御像の前でそっと手を合わす一人の少年、投げキッスをしてくれる女の子、なかには厳しいお言葉も頂戴しながら、お一人おひとりとの出会いの喜びを頂ける場所は、ここ霊山本廟だからこそと、しみじみ振り返る一年でした。お礼を申し上げます。

 

Bill EvansのMy Foolish Heart

Bill Evans, My Foolish Heart

今宵もまた、ビル エバンスの「マイ フーリッシュ ハート(愚かなりし我が心)」のピアノに心は酔ってしまいます。『 夜は いとおしい歌のよう 愛なのか ただの魅惑だけなのか こんな夜には 見分けがつかかなくなってしまいそう・・・』。誰にでも思い出の中に、心がうずき胸がが締め付けられるような出来事があると思います。ビル エバンスの心の糸をときほぐすような澄みきったピアノには、それが単なる甘酸っぱい出来事だけではなく、悩み傷つきながらも生きてきた、証しであることを私に教えてくれます。

合掌

「回帰」2014年12月

東山三十六峰の嶺より、紅葉が錦を織り成すように、ここ霊山本廟の周辺にも届くと、まさに錦秋と呼ぶのに相応しい景色となり、やがて束の間の浮世の宴が終わると間もなく、木々は冬の準備に取り掛かります。先月、十一月の本廟の楓も、薄紅を差したように葉先から色づきながら、寒さとともに紅(くれない)に染まり、もう師走に入ると、冬の寒さに耐える為に葉を落としながら眠りにつくように体を休めます。自然の摂理とはいえ、人生にも重ね合わせると寂しさも感じてしまいます。

 

ところで、私自身今年を振り返りますと、春四月一日、霊山別院の本廟化に伴い、急遽本山勤務より霊山本廟へ単身赴任を致しました。その折には、坊守から「どうぞ、お好きなようになさって下さい。」と、あきらめ顔で言い渡され、「本廟に行くのはいいですけど、まさか本廟にご自分のお骨を納めて戻ってくるのではないでしょうね。」と、釘を刺されてしまいました。実際、寺の留守を預かるということは、日曜日はもちろん休みなどなくなり、寺での生活そのものが仕事となります。

 

思い起こせば、先代父親には子供の頃より、昔は雑巾を持たぬ日はなかったと言われ、雑巾掛けをすると、次は箒を持たぬ日はなかったと言われ、「それじゃどうしたらいいのですか」と言い返すと、雑巾掛けも箒で掃くのも、両方毎日するものだとまとめて叱られたものです。今思えば懐かしい限りですが、いつのまにか今度は私の方が、若い者のすることが気に入らないようになり、やはり親の子なのでしょうか。

 

さて、秋の深まりにあわせ紅葉だよりと前後して、北の各地より鮭のニュースが届きます。瀬戸内育ちの私には馴染のない魚でしたが、旅行にて間近に鮭の遡上を見て驚いたことに、鮭は産卵のために生まれた川に舞い戻り、それが母川回帰(ぼせんかいき)ということを知りました。数年間外洋で回遊し、どうして生まれた川が分かるのでしょうか、また必ず母なる川に帰ってきます。遡上中、体は傷だらけになりながら、ただ次なる生命を紡ぐためだけに、いろいろな障害をくぐり抜け上流を目指し、新たな生命の誕生のために、自らの命を代償として差し出し、産卵を終えると、そこでその命は燃え尽きてしまいます。捕獲され食べられるものもあれば、大地に帰っていくものもあり、最後まで自分の命をもって、自然の生命という世界にお返しをしていくのです。ひるがえり私たちの人生も、もがき苦しみ傷つきながら何処へ向かい、次世代に何を残し、何処へ帰ろうとしているのでしょうか。私たちも母なる川や道を求めて歩んでいるのに違いありません。

 

マイルス デイビスの「バイ バイ ブラックバード」

マイルスデイビスの『バイ バイ ブラックバード』

今宵、深々と静まり返った霊山の私室にて、心に染み入るジャズを聴きつつ、マイルス デイビスの「バイ バイ ブラックバード」の切ないまでのミュートに心を震わせ、『悩みや悲しみを全部バッグに詰め込んで、どこかで私を待ってくれている優しい人の所へ そう彼女のもとに・・・』に胸を詰まらせながら、帰るべき処を訪ね求めた一年が、夜の静寂(しじま)とともに暮れてゆきます。

合掌

「晩鐘」2014年11月

参道に舞い落ちる枯葉に、秋深しの物悲しさを覚えながら、部屋の一輪挿しのススキの穂を眺めていると、おもわず郷里の風景が胸に迫ります。例年十三夜の頃には、丸亀藩京極家別邸の中津万象園で催される月見の宴にて、名残惜しむように一秋を満喫していたはずですが、霊山本廟の留守を預かる今の私には望むべくもなく、せめてこの霊山の地から同じ月を眺めることで心を慰めていました。

 

それにしても、なにゆえ月は人の心を惹き付けるのでしょう。古より洋の東西を問わず、月にまつわる事象は、あらゆる分野で歴史を彩ってきたといえます。もし月が存在しなければ、陽光さす昼間から落日後、突然闇夜になり、それは生と死をも想起させる寂寞たる世界になったことでしょう。おそらくほのかな明かりを演出する月が、人の心の中に憂愁と影をもたらしたからではないのでしょうか。

 

自然科学の幼き時代の人々にとって、自らの拠り所が動き、天に舞い空に浮かぶ月の本質を知る由もなく、しかしながら、日の光と入れ替わるように現れるおぼろげなる月光に、心の影や内なる世界を見出したからこそ、月に憧憬と悲哀を抱いたのに違いありません。特に日本人の心には、「雪月花」や「花鳥風月」に表されるように、もののあわれや美意識を月に投影し、また多くの歌人が月に思いを重ねているようです。

 

郷里の丸亀に程近い善通寺の吉原町には、諸国漂泊の西行法師が旅の途中に庵を結んだ旧跡があります。ミカン畑に囲まれた山の中に、息を潜めるようにたたずむ庵を訪ねると、そこには木の葉を揺らす風のみで、月さえ友にしたい幽寂の世界があります。自然と向き合い自己と向き合う中で、花や月をこよなく愛し想い焦がれた西行法師は、心の果てに何をいただいたのでしょうか。私には西行法師という人が、仏の世界を現世と来世で願い、聖の心を持ちながらも、花月を通して捨てきれぬ俗世の哀楽を歌にしたところに、多くの人たちが心震わせるのだと思います。

 

フランソワ・ミレーの1859年作成『晩鐘』

フランソワ・ミレー『晩鐘』(1859)

ここでいつもの休題ですが、どなたにも心の奥底に、口に出さずとも手を合わせ頭を垂れる姿がある筈です。それは無視することのできない、主体的な命の有限さと自然への畏怖に、内心驚いた時だと思います。そこで思い浮かべる絵画の一つに、ミレーの『晩鐘』があります。自然主義とも写実主義ともいわれるこの絵画には、夕闇が迫ろうとする直前の燃えるような瞬間の光の中に浮かぶ農夫を通して、人間本来の崇敬さと敬虔な姿に、私には宗教心なるものの普遍さを強く感じるところです。農夫の背景から伝わる、辛苦にあえぐ人を遠くからそっと温かく包み込む鐘の音は、鑑賞する人にさえ聞こえてきそうです。

 

かつて、心ときめかした古き良き映画に『誰がために鐘は鳴る』がありましたが、だれかの為に鐘は鳴るのではなく、生きとし生けるもの全ての命の上に響き渡っているのです。

合掌

「記憶の固執」2014年10月

待ちわびた冷涼溢れる空気を味わいながら、コオロギたちも束の間の秋を楽しむように、愛おしい音色を奏でています。秋のお彼岸も過ぎますと、後は日中が短くなるばかりで、まさに白秋の思いがつのります。気がつけば季節の移ろいの速さに驚きつつ、私としては人生の黄昏にはもう少し先などと抗いながらも、いつの間にか百代の過客の寂しき客人の一人となっています。

 

さて、中国の傅大士の言葉に、「朝な朝な仏とともに起き、夕な夕な仏をいだきて臥す」とありますが、一日を報仏の功徳を持ちながら起き、弥陀の仏智とともに臥すことは難しく、折角この霊山の懐に抱かれながらも、機に遠き私には、残念ながらため息とともに、刹那のごとく日ぐらしをしてしまいます。

 

そんな中、有り難いことに、浄土真宗ではお勤めの後に、蓮如上人がお書きになった御勧章の拝読があります。誰もがご存知の『白骨章』、それに『末代無智章』や『聖人一流章』などは、毎朝のお勤め後には頭を垂れて、蓮如上人から私へのお手紙といただいて、早朝の冴えていない頭にでも、一日の始まりには勿体なく聞き入っています。

 

それにつけても、蓮如上人はこれらの御文をどなたに宛てられたのでしょう。門信徒のために与えられたお手紙とされていますが、その穿鑿(せんさく)よりも、私にとってはある瞬間頷けたこと、つまり蓮如上人には別の感得があったように思えてならないのです。

 

「聖人一流の御勧化のおもむきは・信心をもって本とせられ候、云々」。文言の飾言を剥ぎ取り、簡潔にまとめられた文体は、紛うことなくご自身の心に宛てた、蓮如上人の独白ではなかったのでしょうか。きっと感涙に咽びながら、親鸞聖人のお心を自分宛の手紙にしたためたからこそ、時空を超えて私たちの心に届き、随喜をもって涙がこぼれ落ちるのだと思います。悲しい哉、なぜ今までこの私は漫然と拝読し、何といたずらに聞いていたのでしょう。返すがへす、申し訳ないことです。

 

サルバドール・ダリ『記憶の固執』1931年製作

サルバドール・ダリ『記憶の固執』(1931)

人生の戻らぬ時計の針に、嘆息をつきながら思い浮かぶのが、ダリの『記憶の固執』です。この絵は別名『柔らかい時計』とも呼ばれているもので、時間の概念やら生と死そのものの不安定さを問う作品でしょうが、理屈を用いずに鑑賞し、人それぞれの感性に任せるべき作品だと思います。

 

「記憶」とは、辛い出来事を、記憶の彼方に追いやり、目を背けることではなく、人生に寄り道などなし、灯火のついた家へ帰る道こそ、いばらの道も有り難き道なのです。

合掌

「蝉」2014年9月

霊山本廟の盂蘭盆会法要が勤められた翌週、今私は、まだ熱さの残る風を頬に感じながら、子供たちと一緒に手を合わせ、地元のお地蔵さんにお参りをしています。これは地蔵盆といわれる京都に残る晩夏の風物詩です。今でも関西地方を中心に続いている宗教行事で、浄土真宗のお寺と直接の関係はありませんが、地域の大人たちとともに、子供たちの成長を願う習俗と申せましょう。

 

地蔵盆が終わると、さすがに夏も峠を越え、蝉の鳴き声にも一足早い秋の訪れを感じます。この霊山本廟に住込み始めて分かったのですが、蝉の鳴き声にも何かしら地方色があるようです。知っての通り蝉は、オス蝉しか鳴かぬわけですが、京都の蝉は大変穏やかに鳴きます。この霊山は木々に囲まれた所ですから、耳栓まで用意しなければと覚悟をしていましたが、その鳴き声たるや何とお上品なことでしょう。それに引き替え郷里の香川の蝉の喧しいこと。蝉の鳴き声を聞けば、文化が分かると言えば言い過ぎでしょうか。それとも、蝉の世界でもこの頃風の草食系蝉の登場なのかもしれません。

 

ところで、蝉は夏や秋の季語に用いられますが、その喧噪とは反対に、「ものの哀れ」をも表します。うつせみとは「空蝉」と書きますが、土中に長く暮らしながらも、天敵の多い地上に這い出て残り僅かの命を燃やす。それは新しい命を紡ぐ最後のお礼なのでしょう。

 

クロード・モネの《散歩、日傘をさす女性》1886年の作品

『散歩、日傘をさす女性』クロード・モネ

さて、夏の日差しから秋への香り漂うなかで、思い浮かべるのが、モネの「日傘をさす女」(一八七五)です。十一年後に製作された「左、(右の)日傘をさす女」は、パリで見ることが出来ます。後年の作品のモデルが誰かについては諸説あるようですが、私のような素人にはどのようにも理解できるわけで、絵画鑑賞なるものは、どれだけその作品に自分が入り込めるのかであり、むしろ年月を経たモネの心胸を頂くところに興味が湧くわけです。

 

写実から印象への軌跡のなかで、画家の目を通した世界。それは喜びと悲しみの思い出であり、製作時における、まさに印象世界なのでしょう。

 

私たちも心にフィルターをもっています。過去の辛い悲しい出来事も、今の私に何を残してくれたのか。心の一部分となり、手が届きそうで届かない愛しき思い出。過去に生き、今を生きる私たちに、どうか慈悲という名の光が頂けることを願っています。

合掌

「蓮華」2014年8月

暑中お見舞い申し上げます。

 

京都の夏を彩る祇園祭も、今年は約五十年振りに後祭が催されたとか。一か月に及ぶ宴も終わると、早この七日には立秋です。秋の気配を味わう暇もなく残暑の挨拶もそこそこに交わす言葉は、酷暑への恨み節ばかりです。

 

ただ、我々の愚痴をよそに季節の花だけは凛として精一杯咲いています。私の郷里の香川では、ため池が多く有名ですが、農耕地の減少に伴い、小さな池では夏の七月から八月にかけて蓮の華を多く見かけます。可憐で清楚な水上の華は、数日で散ってしまう儚さと、水中の泥のよごれに染まらぬ清らかな華として、極楽浄土の池に咲く華でもあります。

 

私にとって蓮の思い出は、子供のころに外塀堀の遺構に蓮を植えようと、兄弟揃って汗をかいたのに、そこに希少な野生のハンゲショウの群生があるとは知らず、叱られ泣きべそをかいたことも良き思い出です。本音を申せば、蓮根がほしくて花より団子ならぬまさに華より蓮根でした。

 

さて、霊山本廟内の淨華堂(寺院・門信徒の個別納骨堂)の玄関ロビーには、「蓮華」の陶板レリーフが参詣者を出迎えてくれます。この「蓮華」は、京都近代画壇のみならず日本画界に功績甚大な菊池契月の大正六年の文展出品作品です。翌年、師であり義父にも当たる菊池芳文が死去するわけですが、恩師たる芳文に画風ともども惜別を送るが如くの味わいを、この「蓮華」に抱くのは私だけでしょうか。

日本画蓮華(1917年製作) 菊池契月

蓮華(1917年製作), 菊池契月

池に浮かぶ一艘の小舟、女官らしき二人の女が舟遊びに興じているのか、平面ながらも池の広さをも感じる構図。蓮に比して多い華は、艶やかさとともに契月の心の華なのかもしれません。

 

この「蓮華」を仰ぎつつ心に浮かぶ風景は、今は面影を残すのみの東北・藤原氏の栄華の跡、毛越寺の広大な浄土庭園を見た時に感じた、当時の人々の切ないまでの欣求の極楽浄土であり、池の水面に咲き誇る蓮華を愛でながら、曲水の宴に興ずる儚き現世の享楽の哀れさに、時空を超えて胸の疼きを覚えたことでした。

 

私はこの淨華堂にて、極楽浄土という名の倶会一処の世界へ、一足早くお暇なさった肉親に、お礼を申し上げる参詣者に、「蓮華」の心を伝えていきたいと願っています。

 

最後に、好きな言葉を添えて、菊池契月に感謝を捧げたいと思います。

仏心の蓮華は胸にこそひらく

蓮如上人御一代聞書

菊池芳文・菊池契月親子のお墓は、ここ霊山本廟墓地にあります。

合掌

「故郷」2014年7月

兎追いし彼の山 小鮒釣りし彼の川 夢は今も巡りて 忘れ難き故郷

「故郷」唱歌

 

長い間口ずさんでもいないのに、ふと思い出す忘れえぬ歌が幾つかあります。不思議なもので、年齢を重ねると自然と脳裏に焼き付いた景色が蘇ります。いずれにしても、懐かしい思い出とともに、穢されたくない心の原風景なのです。

 

さて、霊山本廟の朝は、鳥のさえずりにあわせて、毎日お勤めが始まります。勤行の最後を締めくくる廟堂にお参りする丁度その頃、廟堂の屋根の露盤宝珠の傍らより、太陽が昇ります。東山連峰のなだらかな稜線から来光した輝きは、おそらく古より幾多の人々が感じたであろう、時をも忘れる厳かな感覚に誘います。その光を身体一身に浴び、絶えることのない手向けの献花に眼を移せば、この廟堂にてお別れをし、また倶会一処の思いを抱いた方々の心に思いを馳せ、思い浮かべるのが長谷川等伯の「松林図屏風」です。

 

松林図屏風・長谷川等伯

『松林図屏風』長谷川等伯

能登七尾の無名の絵師は、しがない絵描きを生業にしながら、当時主流画壇の狩野派の敵対心を煽るまでに伸し上がり、絶頂を迎えたその時おとずれた夢の崩壊。生涯を絵に捧げた等伯の言葉にならない無念を絵筆に込めて描きあげた心象世界とは。

 

幸いなことに、ここ霊山本廟に程近い智積院には、等伯の代表作「桜楓図」を含む大書院障壁画の数々が拝観できます。なかんずく将来を嘱望された若き息子久蔵の遺作「桜図」は、等伯「楓図」の啓発に応えるように花びらが乱れ咲いています。しかしその時「桜図」の巨幹とは裏腹に、一門を支えてくれるはずの久蔵の死という心の柱が倒木することになるのです。

 

国宝 長谷川久蔵『桜図』。

『桜図』長谷川久蔵

国宝 長谷川等伯『楓図』

『楓図』長谷川等伯

その時等伯の胸に去来したものは、追い求めてきたものと反対の世界であり、遠く故郷の情景であったに違いありません。故郷の松林の澄みきった空気のなかに立ちこめる奥が見えない霧、時を止めながらも無限を感応する情景を、筆使いのみならずその抑えきれぬ荒い息遣いも聞こえてきそうな松の葉は、等伯の心情を映し込んだ鏡のような心象世界なのでしょう。

 

山は青き故郷 水は清き故郷 「故郷」の歌詞の最後は、私たちが抱き願う安らぎの世界です。しかし、五濁悪世の世に身を持ち崩し、人生を享楽することで背を向けて逃げる私に「松林図屏風」は、黙して語らずに諭してくれるのです。

合掌


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「わくら葉」2014年6月

青葉が目に眩しい季節です。霊山本廟の早春を告げた梅、そして、春を謳歌した桜の花が散ると、ツツジ、牡丹、サツキと、我あとに続かんとばかりに、色とりどりの花を咲かせて、参詣者の心を和ませてくれます。

 

まさに、命を燃やす自然の営みに、感じ入るわけですが、一方春は、葉の入れ替わる時期でもあり、新しい芽が吹くと言うことは、古い葉が落ちていくことを意味し、一本の木にも、命の循環があるわけです。

 

ふと生い茂る木々に目をやると、一本の枝の中にも、葉を広げようとする若葉、太陽を一身に受けようとする大葉と、命の息吹を感じます。なおも目を凝らすと、わくら葉があります。虫に食われたのか、病気なのか、はたまた春風に痛んだのでしょうか。

 

わくら葉は、病葉と書きます。夏の季語に使われますが、病気や虫のために変色し、枯れた葉のことをいいます。その語源については不詳ですが、「別れる葉」を当てる人もいます。また、「まれに」とか「偶然に」といった意味、すぐに散りゆく葉ですから、「哀れ」とか「儚さ」の対象にもなります。

 

青々と繁茂する葉の中の病葉。これを心の眼で見ると、浮かぶのは一点の静物画です。カラヴァッジョの「果物籠」は、美の一瞬を切り取ろうとした静物画の中に、枯れ朽ちる葉の徹底した現実描写で描きながら、画家本人の内面投影でもある故に、私の心を掴んで離しません。それは、おもわず手に取りたくなるほどの果物の持つ瑞々しさの中に、朽ちていく葉の質感まで感じ取れるリアリズム。私はそれに、画家の内なる憂愁の世界を感じ、心が揺さぶられるのです。

 

カラヴァッジョの「果物籠」。求道の挿絵

カラヴァッジョの「果物籠」

誰しも、健康、長寿、物の豊かさなどの幸せを求めますが、その中に儚き病葉を抱えています。人は、自己に内在する憂愁を、凝視するのをためらい、享楽に走るのに対して、木々の病葉は、全ての命の一部として、それとて愛おしむ青葉と共に、命の循環の中で立派に生きています。

 

今、悲しき別れを抱いたお参りの方に接し、初夏を思わせるこの霊山の地で、匂い立つような草木を眺めつつ、人生を有り難く沁み〲いただいています。

合掌