香川県、地方に住む僧侶のかっけいです。
あなたは夏の風物詩といえば何を思い浮かべますか?
「盆踊り(ぼんおどり)」でしょうか。
しかし盆踊りを地元のどこでしており、何のためにしているのかを説明できますか。もともとは死者を弔い精霊を迎えるために行っていた仏教儀式が民衆向けに発展して生まれた仏教イベントでしたが、今では盆踊りをしなくなった地域も多くなったのではないでしょうか。
さて夏の帰省時期、お盆の頃には、広島や長崎で戦没者の追悼・平和式典があります。その時に合わせて「灯籠流し(とうろうながし)」・「精霊流し(しょうりょうながし)」が行われています。
全国各地でも有名な地域での灯籠流し、「京都嵐山灯籠流し」や「永平寺大燈籠流し」などでは多くの観光客が訪れて賑わいがあります。
しかしどうでしょうか。
地方では盆踊りのように灯籠流しの行事が衰退しているようにお坊さんの私は感じます。そしてこの流れが続けばやがては仏教行事である灯籠流しは消滅することでしょう。
どうして「灯籠流しが消滅する」とお坊さんの私が考えるのか。その理由をかきます。
お盆のお参りがどんどん減っている
お盆のお参りが減っているというのには二つの意味があります。
- ひとつは、お坊さんがお参りに行く家が減っていること
- ひとつは、お盆を迎えた家に参る人が減っていること
お盆の時期には都会で働いている人がお盆休みを利用してふるさとに戻ります。これをお盆休みといいますよね。かつてはお盆にふるさと・実家に帰ってきた人たちは、お墓やお仏壇にお盆のお飾りをして家族そろってお参りしていました。
しかし今ではどうでしょうか。
お盆に実家に帰って先祖参りをしようとする人も減りましたし、たとえ実家に帰ってきたとしてもお盆参りに来たお坊さんと共に仏壇や墓の前で手を合わすようなことはしなくなりました。いわゆる他人事です。それがどうしたです。
昔はお盆の時期というのはお坊さんにとって非常に忙しい時期でした。各家庭ではお盆の時期に先祖を迎えるための棚・壇を設け、食事を用意したり、お盆用にさまざまな飾り付けをいたしていました。
しかし最近では「お盆なにそれ。来なくてもけっこうです」と先祖を偲ぶ時期であったお盆の意義が失われています。
灯籠流しが無くなっていく理由は
実は私の住む丸亀市では土器川河川敷で毎年「灯籠流し」があります。(→『平成30年丸亀市仏教会燈篭流しのご案内』)これは丸亀市仏教会が主催しており、宗派の垣根をこえた仏教行事であります。長年の間絶えず行われており、今では「丸亀の風物詩」として市長も開始の挨拶に訪れます。
しかし長年続いており風物詩とまでなった丸亀の燈篭流しでも、ここ数年、供養のために持ちこまれる灯籠の数が著しく減少しています。この10~20年ほどで400基から200基ほどと半数の規模に減ったでしょうか。
また自坊のお寺でも門信徒向けに灯籠流し法要をしています。しかしかつては家族そろってお参りに来ていたのが、今では減少し、5人ほどしか法要に来ないという年もありました。個々のお寺だけでなく地域の風物詩として定着していた灯籠流しも衰退の一途をたどっています。
ではなぜのそのように灯籠流しがなくなろうとしているのでしょうか。
- 人手が足りないのでしょうか
- 自然環境に悪いからでしょうか
- 資金運営が厳しいからでしょうか
- 安全面に不安があるからでしょうか
真っ先にこれらの理由が思い浮かぶでしょうが、もっと灯籠流しが続けられない根本な理由があります。
それは先ほどからそれとなく触れていますが、法要に参加する人が少ないのと、お飾りされる灯籠が減ったからです。
香川県ではお盆の時期に仏壇前に盆灯籠・回り灯籠を、お墓には吊り灯籠や墓前灯籠をお飾りする習慣があります。
私はこの夏もお盆参りに出かけています。しかしやはり家の人は奥に引っ込んでいますし、灯籠のお飾りをされている家がほんとうにありません。
家でのお盆も迎えないの人がわざわざ法要に参加するわけはありませんし、そもそも流す灯籠を用意していないのですから。だから灯籠流しに参加しないのです。
灯籠を飾らなくなった原因は
浄土真宗という仏教宗派はお盆という行事はそれほど積極的には案内していません。
しかし盂蘭盆会法要としてお寺ではお勤めをしていますし、通仏教にならってお盆のお参りをしています。お飾りも通仏教にならっています。
お盆にお飾りするお灯籠いは、先祖を迎えるための「迎え火」と、お盆が終わった後先祖を供養するための「送り火」の意味があります。
灯籠の灯されたあかりというのは、先祖のための道しるべだけでなく、お盆という先祖を偲び敬うためのご縁にであい、亡き人にささげたつもりであったこの灯りが還ってこの私を照らして下さる灯になるのです。
ですのでどの仏教宗派であれ灯籠というのは非常に大切な仏具なのです。
しかし最近では灯籠が単なる賑やかしの道具としてしか思われていないように感じます。
少し前では葬儀の時に故人のために遺族が灯籠をお飾りすることが多く、その灯籠を続き初盆や二年盆にお飾りをして最後灯籠流しで供養していました。
しかし最近では【孫一同】と灯籠に表記され、葬儀業者の用意したセットプランにそのまま組み込まれていることがあります。そのため今までは持ち帰りお飾りできていた灯籠がお仏壇にお飾りできなくなったケースもあります。さらには葬祭業者によっては「あとで銭金からかるからサービスで引き取る・あとで面倒なことになるぞ」などと無茶苦茶な説明をすることも利用者から聞いています。
灯籠が仏具から単なる道具になり下がったいま、灯籠を飾ろう、供養しようという意識にならないのは当然なのではないでしょうか。
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さいごに。灯籠流しは仏教行事である
灯籠流しの仏教行事が衰退しているのはお盆のお参りが減ったことと灯籠を飾らなくなったこと、そして灯籠が仏具と思われなくなったことがあると思います。
しかしそれだけでなく、灯籠流しを葬祭業者が自社のサービスとして行っていることも間接的な理由になっていると思います。
どこの葬祭業者であるかは避けますが、新聞広告を出すほど大々的に営業しています。自社で売り出した燈篭をまたお金をいただいて回収するんだから頭いいと思いますよ。
私が憤りを覚えるのがこの葬祭業者は丸亀市仏教会のスポンサーである点というのもあります。後援であるならば、宗派の垣根を越えた仏教行事として続いてきた土器川河川敷蓬莱橋での風物詩・灯籠流しに灯籠を持ち込むようにすすめてほしいものです。
もちろん自社の営利もあるでしょうから、灯籠流しをするなといっているのではありません。しかしどこのお寺の僧侶が責任をもってお勤め・法話をすると案内したり、地元の仏教行事である灯籠流し法要が終わった後でするなど、ある程度の配慮はしてほしいです。
しつこいかもしれませんが、広島や長崎や京都や福井など一部の有名な場所での灯籠流しを除いて、先祖を偲び敬い仏法を聞くご縁である地方ごとの灯籠流しは将来ほとんどが消滅するでしょう。
今年のお盆参りに行って灯籠がことごとくお飾りされていない現状を見ますと、ますますその思いが強くなっています。