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第260回目のラジオ配信。「木材」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
かっけいの円龍寺ラジオ
これは香川県丸亀市の円龍寺のお坊さん、私かっけいの音声配信です。
今回はお寺を建てる時に使われた木材のお話です。
先日、宗派は違うんですが、近くのお寺さんとお話しました。
宗派が違うとなかなかお話する機会がなくて、久しぶりにお会いすると、若いお坊さんがいました。
聞くと若い人に代替わりしたとのことです。
お坊さんのことをお寺さんというように、お坊さんはお寺に住むもんだと私は思っています。
丁寧な言葉だと、住職や住持というように、やっぱりお寺さん、お寺の住職となる人は、お寺に住むのが当たり前ですよね。
それで、その代替わりをされたお坊さんは、もちろんお寺に住んでいます。結婚されているので、夫婦でお寺に住んでいます。
するとそのお坊さんが、雨漏りがして大変なのよね~とつぶやいていました。
お話を聞くと、今住職が住んでいる建物は、親鸞聖人の650回大遠忌のときに建てられたそうです。
それもご門徒さんの家の木材を流用して建てたとのことです。
なので築100年以上の建物かつ、木材はもっと古いとあります。
当然傷みは出てきますよね。
そのお話を聞いていた別のお寺さんも、実は私の寺も、ご門徒さんの家から木材を移して建てられたものだと話しました。
お寺の建物は意外と、他所から木材を使いまわしているケースがあるんですよね。
木材を一から用意しようと思ったら、時間もお金もかかるでしょう。
なので昔はお寺の建物を建てる木材をご門徒さんが自分の家から寄進する形で、お寺の建物に再利用したりしてたことがあります。
実はいうと、自坊円龍寺の庫裏もご門徒さん宅の家の木材が使われています。
増改築が繰り返されていて、当初の面影が見えにくいですが、実は円龍寺の庫裏はご門徒さん宅の木材が使われています。
自坊円龍寺は、明治13年(1880年)の火事で山門と経堂を残し、本堂から庫裏まですべての建物が焼けました。
お寺の建物を再建するには莫大なお金がかかります。
一から木材を集めるのは大変です。
ご門徒さんがお寺に寄進する形で、木材をいろいろ調達してくださいました。
特に力を注いでくださったのは、小塚という在所の木谷さんという方です。
円龍寺の庫裏の木材は、木谷家が住んでいた家を解体したものが多くあります。
円龍寺の庫裏玄関は、木谷家の正面玄関をほとんどそのままの形で今も使われています。
すこしお話すると、元々、木谷家は円龍寺の西にあたる八幡や小塚の方の地主で、影響力のある家でした。
明治初めの頃の明治6年に、香川県の広域であった徴兵制に反対する一揆に巻き込まれるかたちで、木谷家は家を焼失します。
その後に木谷家が建てた家が、円龍寺に移されたわけです。
ただし建てた直後に円龍寺に移したわけではありません。
木谷家は明治終わりの44年に高松に引っ越すことを決めたので、それを機に、円龍寺には庫裏やお堂が不足していたことから、小塚の家を解体し円龍寺の庫裏に寄進して下さったわけです。
ですので、円龍寺の今ある庫裏は、大正の初めころの建物です。
皆様からの寄進があって、お坊さんが住む庫裏が形となり、また京都にある本山もそのころに無事再建され、それでようやく円龍寺の本堂も再建される目処がたちました。
円龍寺の本堂は大正9年、1920年に再建されました。
本堂や庫裏が焼けてから実に40年がかかりました。
ご門徒の皆様が、木材などを寄進して下さったおかげで、立派な本堂がたっているわけです。
なかなか今の時代、ご門徒さんの家から木材をいただいて、お寺の建物作りに役立てるなんて聞かないですよね。
でも昔は、檀那寺・菩提寺のためにと、家のいらなくなった部分を解体し、お寺の護持のお力になってくださっていました。
今あるお寺は急にポンと出来上がったわけではなくて、皆様の支えがあって時間をかけて作られたものです。
他のところのお寺でも、意外と、お寺の建物は、ご門徒さんたちが寄進して下さっているケース、もっと言えば、家を解体してでも木材を調達して下さっているケースもあるでしょう。
今回は「お寺の建物はご門徒さんの家から移された木材のこともある」というお話をしました。
さてそれでちょっと余談ですが、お寺の建物は古いです。
いろんな木材が使われていて、床や壁、いろんな所からの隙間風があります。
円龍寺の庫裏をよ〜く見ると、床に扉の引き手のようなものがあったりと、おそらくどこかの家の引き戸の木材が使われたんだなあと推測できます。
そういったようにお寺の建物は隙間風があるように使いまわしていますが、傷みがどうしてもひどくなると新しいものに変えなくてはいけません。
火事で焼けた円龍寺は、本堂と庫裏の間に釣屋という建物が新たに作られていました。
もし火事があったとき、釣屋の下にもぐり、ある特定の柱を何本か抜くと、建物が自ずと崩れるようになるという延焼防止の仕掛けがある建物だったそうです。
ただその分、建物の構造は強くないみたいです。
私が子供の頃には釣屋はもう無くなっていましたが、お寺の建物にはそういった工夫もかつてはあったのだなあと自分のところのお寺ながら感心します。
自坊円龍寺の庫裏は、小塚の木谷家が屋敷を解体しその木材を利用しました。
本堂は高知県から運ばれたケヤキで作られています。