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外遊・遊ぶの意味.ラジオ#62

第62回目のラジオ配信。「外遊・遊ぶ」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)

0:32 外遊の勘違い

1:20 遊ぶの本来の意味

4:17 仏教の言葉の「遊ぶ」はどんな意味?

ラジオテーマ「遊」の内容まとめ
  • 外遊は外国に遊びに行くことじゃないよ
  • 遊ぶは、部首のしんにょうが道・行くこと、旁の斿はゆらゆら動く旗と子供を表わす
  • 自分が本来いる場所から離れた所に行くことが、元の意味
  • 仏教では、自由自在に動き回るという意味

先日の10月18日から20日にかけて、菅総理大臣がベトナムとインドネシアに外遊デビューしましたよね。

子供のときから疑問に思ってる人も多いと思うけど、「外遊」って「外に遊ぶ」と書くから、外遊って外国に遊びに出かけてるんじゃないの・羽を伸ばしに行ってるんじゃないのってイメージしてしまいませんか。

でも実際は遊びに行ってるんじゃなくて、外国に出かけて視察や意見交換・共有する大切なお仕事に行っていますよね。

遊ぶという漢字を辞書で調べると、だいたいどの辞書も10個近くの意味がのっていると思います。

私たちが一番よくイメージしているのは、スポーツや趣味といった好きなことをして楽しい時間を過ごすという意味だと思います。

でも本来の遊ぶ「遊」の意味はこれではないんですね。遊ぶ・遊の漢字は、部首のしんにょうが道・旅・行くこと・出かけることを表わして、旁の斿はゆらゆら動く旗と子供を表わしているとされます。

そこから、自分が本来いる場所から離れた所に行くことの意味ができたとされます。

ですので総理大臣の外遊という言葉は、本来は総理大臣のお仕事場は日本の国会なんだろうけども、外・外国に行って、別の場所で総理のお仕事をすることになります。

他にも似た例として、野球の遊撃手もありますね。

本来野球の内野手はそれぞれの持ち場である一塁・二塁・三塁ベースには、それぞれに一塁手・二塁手・三塁手の三人がいるでしょ。それでいいはずです。でも遊撃手には持ち場のベースがありません。自分の持ち場のベースを離れて、あっちこっちを守る働きをしているのが遊撃手なんですね。

他にも国会議員の遊説がありますね。遊ぶと説くという漢字です。これも本来の持ち場を離れて外国でお仕事をする総理大臣の外遊と同じで、国会議員の遊説は本来のお仕事場所である国会から離れて地方に行って、それぞれの場所でいろいろ政治政策を人びとに対して説明・演説してるんですね。

ですので今日の話をまとめると、「外遊」という言葉には、「遊・遊ぶ」という漢字が使われます。

私たちは遊ぶという漢字を見ると、お酒やゲームや趣味やスポーツとか楽しいこと、気がまぎれることをするみたいなイメージをもつかもしれません。

でも本来の意味は自分が本来いる場所から離れた所に行くことであり、外遊は自分の持ち場から一時離れて外に行くことを意味します。

ですから日本の総理大臣の外遊は、たいてい国会の閉会中に行きますよね。国会を開いているときは、本来の持ち場を離れてお仕事をすることはできませんからね。

さてこれで今日の「外遊・遊ぶという文字」のお話は終わります。

ちょっと早く終わったので、続けて、浄土真宗のお坊さんの立場から遊ぶという文字についてお話します。

実はこの遊ぶという文字は、お経にそこそこ出てくるんですね。浄土真宗でよく読まれる「お正信偈」のなかでも、「遊煩悩林現神通」って箇所があります。

遊ぶという文字は仏教では、自由自在に動き回るという意味があります。

よく小さな子供たちに対してお遊戯してねって言うでしょ。遊び戯れると書いて「ゆうぎ」と私たちは一般的に言いますが、仏教では「ゆげ」と読みます。意味は何ものにもとらわれずに自由自在なことを表します。

浄土真宗のお正信偈には「遊煩悩林現神通」って箇所があって、煩悩の林に遊びてとありますが、これはお浄土の世界にいる仏さまや菩薩さまたちはただお浄土の世界にとどまっているんじゃなくて、私たち衆生を導いて下さるために、本来いる仏さまの世界のお浄土から離れて、煩悩だらけの私たちの元に来てくださっているんだよということになります。

この遊ぶ・遊という漢字は、一方的に行くという意味じゃなくて、行ったり来たりというニュアンスがある言葉です。つまり自由自在に行き来するということです。

仏教をそれほど知らない人からすると、仏さま・如来って、どこか遠くの世界の存在で、今生きている私たちとは関係ないところにいるんじゃないのかと思っているかもしれませんが、仏さま如来やお浄土に行かれた方たちというのは、いつも私たちのもとにはたらきかけているんですね。それがお浄土の仏様です。

仏教っていうのは亡くなった後の話じゃなくて、生きている今、私たちに届けられている仏の教えです。それがこの遊ぶ・遊の文字に込められていると私は思います。

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遊煩悩林現神通

遊煩悩林現神通

お正信偈の一節に「遊煩悩林現神通(ゆうぼんのうりんげんじづう)」があります。

この一節は、阿弥陀仏の浄土世界に往かれた人や、極楽の世界の仏さまや菩薩さまが、どのようなはたらきをして下さっているのかが書かれています。

煩悩の林とは、病気や悩みや苦しみや欲や妬みといったさまざまな障りの中で、生きている私たちの住む世界のことです。その煩悩が生い茂った林の中に、わざわざ来られているのがお浄土の世界の仏さまたちです。

「遊ぶ」は、暇だからとか、何もしないでふらふらするとか、気をまぎらわすことではありません。仏教用語の「遊ぶこと」は「何ものにもとらわれずに自由自在なこと」です。

阿弥陀仏の浄土世界に生まれ往った先人というのは、ただ浄土に往けたことに満足するのではなく、仏の境地となり遊び、思いのままに救いのはたらきを私たち煩悩世界のあらゆる人に対して届けて下さっているのです。

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