長い法事の時間.ラジオ#105

第105回目のラジオ配信。「法事の時間」についてお話します。(BGM:音楽素材MusMus)

ラジオテーマ「法事の時間」の内容まとめ
  • 香川県の浄土真宗の法事は長い?
  • 東京や大阪といった都会は短い?
  • つい100年ほど前は、数日間にわたる法事もあった
  • 阿弥陀経を500回読む「五百部勤修」というのがあった
  • 香川県では今でも宵法事(よいほうじ)がある
  • ご命日の日だけでなく、その前日も大切

かっけいの円龍寺ラジオ

この番組では香川に住む浄土真宗のお坊さん、私かっけいが、短いおしゃべりをするラジオです。

2021年8月24日に配信した101回目のラジオでは、「お坊さんが読経の最後に横を向くのはなぜか」をお話しました。この101回目では、香川県の浄土真宗の法事は時間が長いことも紹介しています。香川県のような田舎とも呼ばれる地方では、浄土真宗の法事は最低でも1時間、二人以上でお坊さんがお参りすると2時間ほど法事が続きます。

そんなことを言いますと、東京や大阪とかの都会と比べてなんでそんなに長いの?いったい何をしたらそんなに長くなるの?とかいろいろ不思議がられます。

今回の105回目は、「長い法事の時間」をテーマに短くお話します。

まずは法事の長さについてですが、おそらく皆さまの多くは一日で終わる法事しか経験したことがないと思います。

ですが、80歳や90歳以上のご年配の人に尋ねてみてください。昔はどれくらいの長さの法事をしていたのかと。答えてくれる人の中には、2日間や3日間とか、一日で終わらない法事を経験されている人もいることでしょう。

今でこそ法事といえば一日のこと、それも1時間の短い時間から食事のことも含めても6時間くらいと、長くても半日もあれば法事は終わるのでしょうが、昔の法事はもっともっと長いものでした。

どれくらい長いのかと言いますと、先ほども言いましたように、2日間や3日間の法事がありました。

実際、私の寺の円龍寺の明治大正江戸時代の記録を見ますと、2日間にわたる法事があります。また稀に3日間、ごくまれに5日間の法事というのもありました。

それを思うと、今の香川県の浄土真宗の法事の時間が2時間ほどというのは、長いように感じてつい100年ほど昔と比べるとだいぶ短くなったと思います。

さて法事の長さに続きまして、数日間にわたる法事では何をしていたのかについてお話します。

つい最近整理整頓をしていましたら、100年前の円龍寺で執り行った法事の差定が出てきました。差定とは簡単に言えば、どんな読経をしたのか、どんな人が読経に参加したのかを記録したものです。

差定の内容はこの音声をのせるブログ記事にて写真で紹介します。ここではどんなお勤めをしたら数日間の法事になるのかをお話します。

差定の記録によると法事の一日目は、今現在、香川県の浄土真宗の法事で行われているのと同じで3席のお勤めでした。

3席の法事というのはお経を三回に分けて読むもので、浄土真宗では浄土三部経とよばれる、仏説無量寿経、仏説観無量寿経、仏説阿弥陀経の3つの大切なお経を3席の法事で読みます。つまり間で2回のお休みをいただきます。そのため今現在の法事も、2時間ほどのお時間は必要となるのです。

ちなみに仏説無量寿経に関しては今現在は少し短くまとめたものを読んでいますが、昔は上巻下巻と無量寿経をフルで読んでいたので、読み終えるのに長い時間がかかっていました。

100年前の差定に話を戻しますと、2日目は4席のお勤めをしていました。そして読経に参加していたお坊さんを見てみますと、住職を含めて6人のお坊さんが参加していました。

さて、1日目の3席、2日目の4席と、法事の席数でみますと、そんなに長くなるようには思えないでしょう。実は差定の最初に「500部勤修」と書かれています。

500部勤修というのは、阿弥陀経を500回読むというものです。

昔の法事では、阿弥陀経を500部あるいは1000部読むというのがあったそうです。私は経験したことがありませんが、80代以上のお坊さんに聞きますと、戦中前くらいでは500部1000部読むのを経験してきたそうです。

阿弥陀経を500回も1000回も1つの法事で繰り返し読むので、そりゃ1時間や2時間ではとうてい終わりません。そんな風なおつとめをしていたので、今では想像しがたい法事の長さだったのです。

ちなみに阿弥陀経を1000部読む法事を経験した人に聞きますと、こんな法事をするそうです。

夏でしたら分厚い氷の柱を桶に入れて部屋を涼しくして、桶の中にサイダーとかの飲み物を冷やしておくんですって。そして住職導師の元、法事が始まりますと、5人から10人ほどのお坊さんがとにかく速い速度で阿弥陀経をそれぞれのペースで読むそうです。読経の合間合間に、トイレに行ったり飲み物を飲んだりして、全員で合わせて500回1000回を読み切っていたとのことです。

さて最後に、なぜ法事が数日間に渡っていたのかということをお話します。簡単に理由を言いますと、昔の人は法事をていねいに勤めていたからです。

香川県では今でも宵の法事。「宵法事(よいほうじ)」と言う言葉が残っています。

亡くなったその日だけではなく、亡くなったその前日、宵の日も大切な仏事だと考えていたのです。

葬儀の時にお通夜というのがありますよね。あれと似ているもので、亡き人、自分に関係のある有縁の人を供養・弔う場合、前の日から集まり仏事を営み、飲み食いをして亡き人のことを偲びつつ、生きている人たちが交流していたのです。

ご命日その日が大事なのはもちろんのこと、その前の日から次の日に及ぶおつとめもまた、亡くなった人と生きている人とのご縁を結ぶものとして丁寧な仏事としていました。

また昔のように生活するのも大変で、子どもから老人まで何かしら仕事に追われていた時代では、「法事奉讃は孫子の正月」と言われ、普段であえない人たちが法事のもと一つの場に集まり、賑やかに過ごすことで、家族や親戚の結びつきを強めていくという側面もありました。

そんな風に、現代のようにさらっと法事を済ませて食事もせずに解散するのではなく、家族や親戚の結びつきを強くしたり、亡き人とのご縁・つながりを大切にし、先祖や仏さまを敬う心というものがあり、宵からの法事というのが勤まれていました。

これは一般のご家庭の法事だけに限った話ではありません。

例えばお寺で定期的に行わる法要でも、今現在では一日で終わる寺が多いですが、かつては2日間や3日間と複数日に渡って法要がありました。また浄土真宗では報恩講とよばれる宗祖親鸞聖人のご命日の法要もあります。本山では一日や2日・3日で終わらせるのではなく、七昼夜、八日前の宵のお勤めから大切な仏事として法要を営んでいます。

そんな風に、今でこそお寺の法要や一般ご家庭の法事の時間は短くなっていますが、昔は亡き人を深く丁寧に弔う意味や、生きている人たちの繋がり・結束のために、数日間にわたる法要法事というのがありました。

さすがに数日間にわたる法事というのは現代では受け入れられないでしょうが、ほんの1時間や2時間のお坊さんの読経は、つい100年ほど昔と比べたらだいぶ短くなっているのですから、長いなあ・早く終わらないかなあと思わず、法事のご縁を大切にしてお参りしていただきたいなあと思います。

2021年9月21日の法事の時間のお話はここで終えます。

かっけいの円龍ラジオは、ポッドキャストでも配信していますので、「レビュー・評価・登録」してくれたら嬉しいです。来週もまた聞いてくださいな。

最後に余談ですが、円龍寺の昔の差定で2日間にわたる法事、阿弥陀経を500部読む法事を紹介しましたが、これは当たり前にあった法事の形式ではなくたまにある形でした。

例えば50回忌や60年忌や100回忌といった大きな節目のときに、数日間の法事がつとめられていました。通常は今と同じように一日で終わる法事が主流でした。

そのため、2日間するような法事を大きな法事ということで「大法事(だいほうじ)」、阿弥陀経を1000部読んだり、3日間や5日間に渡る法事の事を大法事を超えるものとして「超大法事(ちょうだいほうじ)」なんて言い方をしていそうです。

ラジオで「100年前の法事の差定」を写真付きで紹介することをお話しましたが、今、秋のお彼岸の時期で法務が重なっているため、10月になるまでいましばらくお待ちくださいませ。

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宵法事・大法事・超大法事とは

宵法事(よいほうじ)

宵法事とは宵にする法事のこと。

宵には「日暮れから夜中までの間」の意味のほか、「特定の日の前夜」の意味もあります。

宵法事とは、ご命日にする年忌法事をむかえるにあたって、その命日の前の日からする法事ということです。

大法事(だいほうじ)

大法事とは大きな法事のこと。大法会とも表現します。

通常の一日で済ませる法事と比べて、長い時間または大勢の僧侶や人々がお参りする大規模な法事ということで、大法事といいます。

超大法事(ちょうだいほうじ)

超大法事とは大法事を超える規模の法事のこと。

例えば、阿弥陀経を千部読経する法事や、通常一日で済ませる法事と比べて五日間も営む法事。

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