【仏教コラム】家路

かっけい
かっけい

円龍寺は真宗興正派のお寺です。

興正派では教化活動の一環として「宝林宝樹(ひとくち法話)」を毎月出しています。円龍寺住職の金倉崇文に法話の執筆依頼がありました。

令和七年十月号と本山ホームページに掲載予定の法話をご紹介します。

家路

 子供達の遊ぶ姿がお寺の境内から消えた寂しさを感じつつ、草むしりをしながらかつての日本の原風景を思い出します。お寺の周囲は、随分変貌を遂げました。近郊の水田や畑が減り続け、新しい建物が増えましたが、五十年前と現在の人口にあまり変わりがありません。むしろ五軒に一軒が空き家の状態です。

 私が子供の頃、夕焼けを背に、遊び疲れて我が家へと急ぐ帰り道。待ってくれていたのは、家の灯りと「お帰り」という一言と温かいご飯でした。今にして思えば、恐ろしいほどの幸せな時でした。

 さてドヴォルザーク作曲の「新世界より」の中に邦題「家路」という曲があります。原題をたずねると、「我が家へ」「故郷へ」ということになりましょうか。私達の世代には「遠き山に日は落ちて」のフレーズがあります。キャンプの夜の集いに口ずさんだ歌ですが、歌詞を読み込めば、私達が最後にたどり着きたい姿を表しているように感じます。

 もし人の一生を旅路に準えると、人生という業を成し終えて、旅路の最期に我が家(故郷)へと帰ります。向かおうとしている所は、私が望むというより、むしろこの私の帰りを待ちわびてくれている場所なのです。

合掌

祖父のコラム
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