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第54回目のラジオ配信。「法名(戒名)」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
法名の漢字を話す前に、まず法名とはなんぞや。という大本の話をしていきます。
法名とは他の仏教宗派でいうところの戒名のことです。
おそらく浄土真宗だけが法名という言葉を使うと思います。でも戒名の方が皆さん聞きなじみがあるでしょう。戒名が日本で最も多く使われる言い方です。でも戒名の他にも日蓮宗が使ったりしている法号や、浄土宗が使ったりする誉号とかもあったりします。この他にもいろいろありますが私も詳しくないので省きますね。
今回の話は浄土真宗が使う表現の「法名」についてです。
法名と戒名ですが、似ているようで違ったものです。浄土真宗のお坊さんはご門信徒から戒名の話をされると、浄土真宗では法名ですよとちょっとだけ訂正します。
戒名とは仏弟子となり仏教の戒・戒めのことですね、戒を守る誓いをした人に師から授かる名前のこと。
一方で法名とは、阿弥陀仏の仏弟子となり、阿弥陀仏の仏法を生活の拠り所にしていく名前のことです。
法名は戒を受け誓うためにするのではなく、生活の中で阿弥陀仏の教えや願いに出あっていくことを宣誓したお名前のことです。
ですので法名は戒を必要とせず、浄土真宗のご門信徒であれば、どなたでも授かるのことできるお名前です。
これが法名に関する大前提のお話です。
それで法名の漢字について話す前にもうひとつだけ大切な話をすると、この法名というのは、生きている時に名づける名前だということです。
おそらくですが、現代人の多くは葬儀の時に寺の僧侶が勝手に名づける名前が法名や戒名だと思っているかもしれませんが、それは誤りで、これは生前・生きているときにいただくお名前です。
もう一回言いますよ。法名は、死んでからではなく、生きているときに名づけます。
その理由はですね。法名は私たちひとりひとりがする生活の中で、阿弥陀仏やお釈迦様の教えや願いに出あって聞いていくことを誓っている名前です。
死んでから仏弟子になるのではなく、今、生きているときが南無阿弥陀仏と仏とともに過ごす新たな人生となります。
誤解があるかもしれませんが、仏教は死んでからではなく、生きている人のための宗教です。生きている人ときから仏弟子になります。
さて前置きが長くなりましたが、ここから今日のテーマ「法名に使う漢字」を話します。
使わない漢字と使わない漢字の二つをわけて説明します。
まず使わない漢字ですが、
- 現代において使われることのほぼない漢字
- 良くないイメージを与えやすい漢字、例えば「争」や「戦」や「敵」や「悩む」といった文字のこと
- 動物の漢字、例えば「犬」や「猫」や「虎」や「馬」
- 宗派を代表するご門主やお裏方の院号や法名とまったく同じ名前
だいたいこんなのが法名で使われない漢字です。
ここでさらっと言われても全然イメージできないと思いますが、使わない漢字というのは結構あるもんです。
ただし、はっきりと明示されて「この漢字は使ったらダメですよ!!」というのはなかったりします。お坊さんによっては動物の一文字をとることだってありますし、なるべく避けた方が良い文字を使っていることだってあります。
それとあんまり表立っては言われないですけど、法名の漢字を名づける時、遠慮した方がよい文字・控えた方がよい漢字というのがあります。
例えば本願寺派だったら歴代門主の一字の「如」や、宗祖親鸞の「鸞」ですね。これはなるべくご遠慮して使いません。私のところの興正派でしたら、「真」をあまり使わないように なるべく遠慮します。
ご門信徒から、真の一字を法名に入れてほしいと言われても、ちょっとこの文字はご門主が使われているので、避けてほしいと遠慮したりします。私の宗派では。
この遠慮する文字の種類は宗派によって違いますし、どこまで遠慮するかはお坊さんによって違うので、なんとも言えないところです。
続けて使う文字についてのお話です。
- お経文に使われている漢字から
- 前向きなイメージを持つ漢字
- 故人を偲びやすい漢字
だいたいこの3点があります。それぞれ説明すると、
法名や戒名は仏弟子になる名乗りですので、その仏様の教えが説かれているお経文の漢字や熟語をピックアップします。
ですので浄土真宗なら、無量寿経や観無量寿経や阿弥陀経。また浄土教の高僧らが書かれた書物から漢字を選び組み合わせて、浄土真宗の法名を名づけます。
他の仏教宗派の戒名なら、その宗派が大切にしているお経文から漢字を選び取りますね。
2つ目の前向きな言葉については、使わない漢字の2つ目に挙げた悪いイメージを与える漢字の逆で、美しい「美」とか、清らかな「澄・清」とか、お浄土の「浄」とか、そういった言葉のことです。
退くとか、悪いとか、そういった漢字はあんまり前向きな言葉ではないでしょう。ですので「進」とか「善」とか誰が見てもポジティブそうな漢字を使うようにします。
3つ目の故人を偲びやすい文字も最近では重視されている要素です。
法名は生前に授かるのが基本ですが、現代では亡くなって葬儀の時に名づけることが多くなっています。ですので最近では、亡くなった人・故人の生前の様子を思い起こしやすいように、その人の社会的活動や功績や地位や職業や趣味や性格などを勘案して法名を名づけることもあります。
ただ私一僧侶の思いですが、特に芸能人をはじめとして、院号の文字を含めて連想ゲームのように面白おかしく漢字を連ねるのはあまり好きではありません。
法名や戒名は仏弟子の名乗りなので、奇をてらったものや連想ゲーム的な名前はどうかなあと思います。
ただ最近では、故人の生前の名前の一字を法名に使うケースも非常に多くみられます。
もう一点。あと4つ目をあげるなら、法名を授ける僧侶の気に入っている文字があると思います。
法名は自分で名づけるのではなく、師から授かるものです。
葬儀の時に法名をいただくことが多くなった現代では、葬儀を執り行う檀那寺・菩提寺が法名を名づけます。すると名づけるお坊さんの癖と言いますか、特に思い入れの強い言葉が法名に選ばれやすいと私は思います。
私の寺で言えば、100年ほど前の住職が名づけた法名だと、「諦」が多く見られ、先代だとお浄土の「浄」、今の住職だと「妙」がよく選ばれている気がします。
法名をなづける僧侶が特に大事にしている一字が、結果として選ばれやすい感じである気もします。
されこれで今日のテーマ「法名の漢字」はお話終わりました。
後は余談で、法名についてよく質問されることをお答えします。今回は3つお答えします。
一つ目のよくある質問。なぜ自分の法名は自分でなづけられないのですか?
法名を自分でつけたい人は多いようです。でもそれは無理な話です。
なぜなら法名は師から授かるものだからです。
本来であれば、法名は生きているときに生前に名づけます。死んでから仏法に出会い仏に頼るのではなく、生きているときに阿弥陀仏の仏法にであい仏の願いを聞いていき、南無阿弥陀仏と仏とともに人生を過ごします。
生前に法名を授かる場合は、その仏さまの教えを伝えようとしている、その仏教宗派を代表する本山のご門主から名前を授かります。
葬儀の時に葬儀を執り行う檀那寺が法名を名づけるのは、生前に本山のご門主から法名をいただいていない人に対して、ご本山の門主に代わって代理で法名をつけさせていただいているのです。
本当であれば法名は生きているときに、宗派を代表する本山門主から授かります。
でなぜ、自分で名前をつけたらいけないのでしょうか。
これは単純な話で、あなたがふだん使われているお名前も自分で名づけた名前ではないでしょう。
おぎゃあーと生まれて、お母さんやお父さんに、「私の名前はこれにしてくれ。この呼び方にしてくれ」と頼んで名づけましたか。
違いますよね。
あなたがこの世に生まれてきたときに、両親や家族や周囲から、この子にはこんな風に育ってほしい・生き抜いてほしいと願われて名前をつけられたはずです。
仏弟子の名のりの法名も同じことです。
仏弟子として身を引き締め、師からいただいた名前を大切にし、仏さまの願いにかなう人生を歩みます。
名前は師や親から授かるものであり、自分でこれがいい・これが気に入った漢字だと名づけるものではないですね。
続けて2つ目の質問。法名はいつの時代から使われているのですか?
これはちょっと難しい質問で、大昔のインドのお坊さんも戒名というか、仏弟子になる時に名前を改めていたそうです。
でこれは仏教が中国に伝わって漢字表記になったときに、中国の出家するお坊さんも師から戒名を授かっていたようです。
で現在、法名や戒名には必ず「釋」の一字が含まれます。これは仏教開祖のお釈迦様・釋尊の「釋」の一字を冠につけて、私は仏弟子となりましたという証しとしたんですね。
で現在のこの「釋」がつけられるようになったのが、4世紀の中国の釋道安というお坊さんからとされているので、現在の法名や戒名の形は1700年弱続いているということになります。
ちなみに日本で最初に戒名を授かったのは、東大寺を建てた聖武天皇とされます。本当は100人くらい一緒に名前をいただいたようなのですが、とりあえず聖武天皇が第一号ということになっています。
中国から初めて日本に正式な仏教の戒を伝えた鑑真が、東大寺で聖武天皇に戒を授けて、勝満(しょうまん)という「勝つ」と「満つる」の二文字をあたえたんですね。
これが754年のことです。ですので日本だと1200年くらいの歴史ということになります。
さいごに3つ目。法名は必要なのですか?という質問です。
仏教徒であるならば必ず必要です。
繰り返しますが、法名と戒名は違ったものですが、仏弟子である名のりという点では同じです。この仏様に頼ってお浄土に生まれさしていただく、今のこの人生を歩んで行くという名のりです。
ですので、仏教僧侶を招き仏教形式の葬儀・仏事をするのであれば、仏弟子の名のりである法名は必ず必要です。
もしあなたが神道やキリスト教など仏さまを頼りとしていない教えの人であって、仏教儀式をしないのであれば法名は必要ありませんよ。
お墓や位牌に刻まないといけないからという理由で法名が必要なのではなく、仏弟子であり仏を頼りに生きていく名前が法名です。
もしお墓や位牌に刻むのが理由なら、仏教葬儀をするときお坊さんが急いで法名を名づけないでしょう。ふだん使っていた姓と名の名前で葬儀をして、後からゆっくりとお坊さんが法名をつけたらいいじゃないですか。そう思いませんか。
そうではなく、この方は仏さまのお弟子さんとして葬儀仏事をするから、葬儀をはじめるまでに急いで名前を用意しているんでしょう。
よかったら生前のうちに法名を授かっていただけたらなあと思います。
「円龍寺かっけいラジオ」では、番組へのメッセージを募集しています。ご感想や取りあげてほしいテーマなどもお寄せ下さい。
私たちがこの世に生を受けた時、両親から願われて名前・俗名をいただいたように、仏弟子として新たな人生を歩む名前・法名は仏法を教え伝える師(僧侶)からいただきます。
世俗の名前・俗名をつけるとき、赤ん坊だったあなたは、両親に「この名前が良い、この漢字は嫌いだ」なんて言ったでしょうか。