僧侶のかっけいです。
正座離れが進んでいるのか、法事に行きますと椅子が用意されていることがあります。小さい子供さんも正座する様子がありません。
お寺も同じように、最近では参拝者のためにたくさんの椅子が並んでいるのが、ごくありふれた光景になってきています。
昔は正座をして仏さま参りすることが当たり前だったのですが、最近では無理に正座をしなくてもいいじゃないという風潮なのかな。
正座と椅子について、お坊さんが感じていることを書きます。
正座とはそもそも何か
礼儀正しくきちんとすわること。膝をそろえてきちんとすわること。
日本国語大辞典第2版
辞書によると、正座は「きちんとすわること」となっています。
なにか曖昧な表現ですね。きちんととはいったいどういう状態なのでしょうか。
続けて「正」という言葉を調べてみます。
正
①ただ-しい・タダ-シ ㋐かたよらない、真っすぐなさま。連用化 真っすぐに。きちんと。「正坐」
全訳漢字海
「正しい」という文字は正式であると言う意味だけではありません。
正座には「かたよらない・真っすぐなさま」という意味があてられています。
よく学校の先生が姿勢を正して座りなさいといいますよね。そうすると子供たちは背筋を伸ばして、真っすぐに前を見て座りますよね。
私は仏さん参りで座る正座も、これと全く同じことだと思っています。
正座の意味は姿勢を正してまっすぐに向き合う姿勢のことです。
注意しないといけないのが、正座には座るときのまっすぐした様子が説明されていても、何に対して座るのかまでは説明がされていません。
正座は特別な座り方
外国にも正座というのはあります。
しかしそれは両足を折り曲げて重ねて座る日本式の正座とは違います。
例えば韓国では男性は胡座(あぐら)で、女性は片膝立ての座り方が正式とされているんですね。民族衣装のチマチョゴリを着たときはそのほうが美しく見えるんだそうです。
中国では座るというのは主に椅子に座るということなんですね。中国では「座る・しゃがむ・立つ」という3つの形で主な姿勢が決まっているんですね。中国での正座という言葉は、座る位置での「上座・下座」という意味であり、正しく座ると言う意味ではありません。
日本では椅子に座るという文化があまり広まりませんでした。そのかわりに700年頃か800年頃に中国から、様々な座り方が伝わったそうです。
地面に腰を下ろしたり、床に座ったり、畳に座ったり、片膝を立てたりと場面や身分の上下で様々な座り方をしてきたそうです。
現代の両膝を180度近く折り曲げて座る正座は、室町時代の頃にはあったそうです。
しかし武士は片膝を立てるのが、江戸時代までごくありふれた座り方だったそうです。理由は刀を素早く抜くためや足を痺れさせないためですね。
それまでの正座というのは「偉い人物が畳のところで座る」上座のような意味だったんですね。普通の人は地べたや木の板の上に思い思いの座り方をしていたはずです。
江戸時代以降に畳が一般に広まるようになって、庶民にも正座という座り方が広まりました。また武士も比較的安定した時代になったため、両膝を整えて座る正座が美しく、正式な座り方へと変わりました。その他にも茶道・華道・武道・仏道などあらゆる道を求める作法でも取り入れられ、正座が「きちんと・まっすぐとした姿勢」という認識になったのですね。
正座は足が痺れ膝も痛みます。真っすぐに向き合う場面や敬う姿勢を表すといった特別な時の座り方です。
しかし明治以降、椅子が西洋文化の流入により広まり、畳の上に座るというのが徐々に減り、正座が失われつつあります。
椅子に座ると気持ちがだらける
私の意見になりますが、お寺に椅子があっても問題はないと思います。膝の痛む人、そもそも正座のできない人もいるでしょう。
ただ、まっすぐに座る正座ができにくくなるという不安がでてきます。気持ちがだらけるということです。
私たちは少しでも楽な方に向かっていく傾向がありますよね。畳に正座するよりも、椅子にドンと腰かけている方が楽でしょう。
しかし忘れてほしくないのは、お寺の本堂というのは道場であるということです。仏さまにお参りする場ということです。
- 木の板や石に座ることは相当つらいです。だから畳を用意していますよね。
- でもまだ足りない。すると座布団をクッションにします。
- でもまだまだ足りない。そうなると畳に座るのをやめて椅子がでてきます。
本当は足の悪い人や正座のできない人が座るために椅子を用意しているのですが、楽をするために座る人もおそらくいるでしょう。
椅子に座っている人の様子を見ますと、姿勢が悪くなっているなあといつも感じます。
椅子に座るとみなさん往々にして足を投げ出すんですね。足を組む人も。そして背もたれに背をもたせかけますね。
するとだんだん手の置き場がなくなっていき、腕を組んでいきますね。
最後は眠ってしまいますよね。
眠ってしまうほど居心地のよろしい場所だとしたらありがたいのですが、できることならば仏事に来ているときは起きておいてほしいものです。
椅子に座ると気持ちが緩み、仏さまにお参りする姿勢ではなくなってしまいがちです。
お寺に椅子があるのは時代の流れにそうと、ごく自然のことだと思います。でも当たり前かといったら、違うのではないでしょうか。
お坊さんは一人でも多くの人に、仏さまに参ってほしいという思いで色々と接待をしています。そして仏様の前に座り、感謝と敬いの合掌をしていただけたらなぁと思います。
合掌・礼拝は姿勢を正さないとできませんよね。
普段は足を崩してたり投げ出していても問題ありません。
でも仏さまに手を合わすときだけは、姿勢を正し、仏さまに対してまっすぐ向き合って座ってください。それが正座です。
そのうちに椅子では足りなくなって、ソファや布団を用意して寝そべる時代がやって来るかもしれないですね。
正座は正しい座り方だという誤解
私たちは「正座」と聞くと、「正しい座り方」の意味だとイメージします。もちろんそのような意味合いでも正座を使うこともあります。
でも、きちんと姿勢を正して座れればなんでも正座なんですよ。
椅子に座っても、背筋を伸ばし真っすぐと相手と向き合えれば、それは正座です。しかし椅子席だと背をもたれたり腕を組んだりと足を投げ出したりと、姿勢だけでなく気持ちも緩みがちです。
正座は正しくない・あんなに膝に悪い座り方はないと言う人もいます。私も膝には悪いと思います。膝が痛む人には辛いでしょう。
一方で正座は腰には負担がかからない座り方とも言われます。
椅子に座るのも腰椎や股関節、下肢の関節に負担にがかかっているそうです。それぞれの座り方にも一長一短があります。
その意味では私は正座という漢字ではなく、整えて座る「整座」で広まっていたら、また違った捉え方になっていたんではないかなと思います。
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法事で椅子は当たり前の時代
お寺に椅子があるのが当たり前になりつつあることに、私は違和感を覚えます。
しかし今では椅子を参拝者のために用意していないお寺の方が少なくなってきています。
家の法事でもお寺での法要でも、椅子に腰掛けるのが普通の時代になりつつあります。
私はお寺に椅子がダメだとは思っていません。
椅子は非常に便利なものです。楽ができます。
楽ができるんですけども、仏さんに手を合せるときやお話を聞くときは、崩していた姿勢をきちんと正していただけたらと思います。これは畳に座るときでも同じことです。
まっすぐに姿勢を正すときと、楽な姿勢であるときのメリハリをつけられるのでしたら、椅子でも全く問題ありません。
膝を180度近く曲げて座る正座ができるというのは、動物の中でも人間だけらしいですね。下肢に全体重をかけて座ると、緊急のときに動けないのが理由だそうです。
自然界ではいつ襲われるのかと、心を落ち着けることができない状態です。
人として生まれ、仏様に向き合うように正座をし、手を合わし念じることができるというのは、非常に有りがたいご縁ではないでしょうか。
椅子に座っていても正座をする心を忘れないでほしいところです。