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融通の利かない私は「葬儀並びに告別式」という言葉が好きではない

投稿日:2017年6月19日 更新日:

こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。

今回はちょっと変わったお話をします。

非常に共感を得られにくいことだとも思います。

同じ真宗僧侶からも「何言ってんだ、この人は。」と思われるかもしれません。

私は葬儀で使われる言葉で「葬儀並びに告別式」という言葉が好きではありません。

何が気になるかと言えば、真宗の葬儀になぜ告別式を合せて行おうとするのかが理解できないことです。

最近の葬儀では式の進行が決まっているのか、僧侶が葬儀式を始めるために須弥壇の前に向かいますと、司会の人が「ただ今より○○寺様を導師にお迎えして、葬儀並びに告別式を執り行います。」とアナウンスします。

融通の利かない私は「告別式は別にしてくれ」と心の中で思ってしまうのです。


葬儀とは何か。告別式とは何か。

葬儀という言葉はお坊さんは簡単に使いますが、意外と文章にしようとすると難しいものですし、宗派によってもお坊さんによってもとらえ方が違っていると思います。

一般に葬儀とは葬送儀礼を略した言葉であるとか、葬儀式のことであると説明されます。

前者の葬送儀礼の意味合いならば、臨終勤行(枕経)から始まり納棺・通夜・葬儀式・出棺・火葬・収骨・還骨・初七日・中陰・49日(満中陰)以下納骨までの一連の経過すべてが故人への葬送儀礼となるでしょう。

一方で後者の葬儀式を意味するのであれば、出棺前に有縁の参列者が集まり故人を偲ぶ法要が葬儀に当たるでしょう。

今回は限定的な意味合いの「葬儀=葬儀式」として話を進めます。

告別式とはどういう意味でしょうか。

言葉の通り「別れを告げる式」ですね。

誰に別れを告げるのかと言えば亡くなった人、故人に対してですよね。

ここに私には「葬儀並びに告別式」に違和感を覚えるのです。

葬儀と告別式の明確な違い。真宗僧侶の視点では。

浄土真宗では葬儀式の意味・意義として「故人を偲びつつ報謝のまことをささげる儀式」であると紹介されることがありますね。

他にも「故人への生前の感謝を示すため」であったり「遺族の悲しみを回復に向かわせるため」であったりとも言われます。

ここらへんの説明はどの真宗お坊さんも似たようなことを言うでしょう。

でもこれなら告別式でも代用できそうな気がします。

告別式でも故故人との別れに際し、人の生前の功績を称えその死を悼むとともに、遺族の悲しみを慰め共有するために行いますよね。また喪主も参列者に対し挨拶をします。

では葬儀と告別式の何が違うのか。

それは葬儀式は仏様に対して執り行うこと告別式は故人・遺族に対してまたは参列者に対しての挨拶であることです。

つまり葬儀式は仏様を中心とした仏教的な宗教儀式なのですが、告別式は葬送儀礼の中心となる仏様の有無が関係ないのです。

極端なことを言えば、宗教を排した葬儀式をせずに告別式のみをするのもあり得るのです。

浄土真宗では葬儀式を執り行うときは導師と呼ばれる僧侶がご本尊の前に置かれた故人を前にしてお勤めします。

しかしこれは亡き人に対してのお勤めではなく、亡き人がお浄土に還られたことを遺族・参列者とともにお念仏をもって感謝させていただく仏縁なのです。

ですのですべては阿弥陀様のはたらきによることなので、真宗の葬儀というのはお坊さんに力があって引導を渡すのではないんですよ。すべて阿弥陀仏の本願力によるのです。

「葬儀並びに告別式」はどんな感じで行われている。

さて葬儀とは亡き人故人をを偲び、報恩謝徳の思いで仏を念じるのですが、その式を執り行うためには僧侶が必要ですね。

ですので葬儀の会場にはお坊さんが入ってきます。

しかし途中で告別式が入ってくると、お坊さんは必要なくなります。

葬儀式の途中で退出するわけにはいかないので、お坊さんは読経を中断して正面のご本尊に向いたままになるか、棺の横に転座して遺族や参列者の方に向き直るのです。

この時間って葬送儀礼や葬儀式に必要ですか?

この読経を中断している間に、遺族の焼香・参列者の焼香・弔電・弔辞などを行いますね。

これらが終わると再びお坊さんは読経をはじめ、葬儀式を再開するのです。

葬儀式が終わるとお坊さんは会場から出ていきます。

そして会館の人が「以上をもちまして、本日は○○寺ご住職を導師にお迎えして、故□□様の葬儀並びに告別式を滞りなく終了いたしました。。ご導師のご退座でございます。」などとアナウンスしますね。

わざわざ葬儀式を中断する必要があるのだろうか。

告別式は必要だと思いますよ。

勘違いしては困るのが私は告別式を否定しているのではなく、なぜわざわざに葬儀式に合わせようとするのかが理解できないのです。

以前こんなことがありました。

とある葬儀に住職とお参りしたときのことです。

いつも通り会館の人と司会の人が控室に来て式の進行を確認したのですが、それからしばらくして再び控室にやってきたのです。

故人と交流のあった方たちが故人と生前詩吟を楽しんでおり、葬儀で故人に詩吟を披露したいとのこと。

いったいどうしたらいいでしょうかと相談しに来ました。

それこそ告別式でしょ、いつも葬儀並びに告別式と言っておられるではないですか。

結局解決策として、「出棺までの葬儀時間が1時間と決まっていますので、詩吟による告別は葬儀式の前にするようにお願いしてください」とアドバイスしました。

心の中ではいっつも葬儀並びに告別式と言ってるんだから葬儀式を中断して詩吟による告別をしたらいいじゃないと思ったのですが、そんなことで張り合ってどうするんだと抑えました。

そもそも告別という言葉が好きじゃない。

告別式は、物言えなくなった故人に対して、遺された人々が告げる別れの式ですね。

それは参列者が故人に対してであったり遺族に対してであったり、または喪主が遺族・故人を代表して参列者に対してすることもあります。

しかし浄土真宗では倶会一処(くえいっしょ)という言葉があります。

今生ではしばしの別れですが、阿弥陀仏のはたらきによりまたともに一つのところで出会うということです。

浄土真宗の葬儀とは亡くなった人との悲しい別れにただ感謝・御礼を申すためだけの場ではありません。

先立たれた方を先にお浄土に還られた先人として仰ぎ、実は願われていたのが私たちであることに気付き、娑婆にのこされた私たちが故人を偲ぶ中に阿弥陀仏の願いのはたらきをいただいていくのです。

やがて私もお浄土に向かわせていただく身なのです。

なぜ別れを告げる必要があるのだろうか、むしろ故人とのお付き合いはこれからではないだろうか。

 

さいごに。

なぜ葬送儀礼のなかにある葬儀式を中断してまで告別式をぶち込もうとするのだろうか。

告別式は宗教的な儀式ではないので、僧侶不在の場で行うことも十分検討に入ると思うのですが、なぜでしょう。

お坊さんがいる場の方が告別式してるなあ~と感じるのでしょうか。

それとも時間の有効利用しているのでしょうか。

そんなに深く考える人もいないのかもしれないですし、ひょっとしたら私の知識不足・経験不足からいちゃもんをつけているだけかもしれません。

皆さんは「葬儀並びに告別式」に違和感を持ちます?持ちません?

 


【余談】

私は弔電の時に『ご冥福をお祈りします』が気になってしょうがないです。

なんで冥土(地獄)の福徳を祈られているんですかねえ。

真っ暗闇なあの世に行くことを前提とした発言はいかがなものでしょう。

弔電を送る時に「冥福を祈る」と定型文が決まっているから仕方がないという人がいますが、いやいや最近では数百種類から自由に選べられますよね。

浄土真宗では阿弥陀様のお浄土である西方浄土(極楽浄土)に往くので、今生でのしばしの別れを悲しむことで「お悔やみを申しあげます」や「哀悼の意を表します」を使うのをおすすめします。

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