セミの一生。セミは夏を知らない悲しい命という考え方。

こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。

夏も8月になり毎日が35度にもなる暑い日が続いていますね。

私たち人間はこのうだるような熱さに参っているのですが、セミはこの暑さの中でも精一杯に鳴き、いまある命を輝かしていますね。

さて今回はセミにまつわる仏教的(真宗的)な話をします。

セミというのは夏を代表する生き物だと私たちはとらえていて、セミは夏をよく知っているのだとも思うのですが、実はセミは夏というの知らずに生きているいのではないだろうか。

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曇鸞大師の言葉。『蟪蛄は春秋を識らず』

曇鸞大師(どんらんだいし)とは浄土真宗では阿弥陀の法を私たちに届けてくださった偉大な祖として選ばれている7人の高僧たちの一人で、今の中国のお坊さんです。

曇鸞大師は往生論註〔(おうじょうろんちゅう)正式名称:無量寿経優婆提舎願生偈註〕の著書の中で、『蟪蛄(けいこ)は春秋を識(し)らず』という言葉を用いています。

この言葉の元は荘子の『朝菌不知晦朔、蟪蛄不知春秋』で、意味は「朝だけに生まれる菌(きのこ)は夜を知らず、蟪蛄(セミ)は春秋を知らない。」です。

曇鸞大師は往生論註の巻上の最後の文に、少しアレンジして引用しています。

「蟪蛄は春秋を識らず」といふがごとし。この虫あに朱陽(しゅよう)の節(せつ)を知らんや。知るものこれをいふのみ。

意味は「セミは春秋を識らないと言われている。ましてこのセミという虫は夏という季節も知らないのである。ただ蝉が鳴くのは夏ということを人間が知っているというだけである。」

セミは夏を知らないのだろうか。

さて曇鸞大師はなぜ荘子の「蟪蛄不知春秋」に「朱陽(夏のこと)を知らない」と付け加えたのだろうか。

人間の視点から見れば暑い夏の時期が来たのだからセミが地中から出てきたととらえられるのですが、地上に出てきたセミ(蟪蛄)というのは30度を超えるような暑い夏の季節しか経験していないのです。

人間が夏という季節を知っているのは春や秋、また寒い冬を経験しているからこそ夏を知っているのです。

これら4つの季節をどれも経験していない地上のセミ(蟪蛄)というのはどうして今が夏だというのがわかるのだろうか。

春・秋を知らないセミは夏も知らないのである。

この考え方は人間にも当てはまると曇鸞大師は伝えたかったのではないでしょうか。

人間も知っていることはごくわずか。

人間はセミよりも地上で生きている時間が長いので、季節の移ろいを感じとることができています。

ただそれは人間がセミよりも優れているからだとか、セミが劣っているからではないですよね。

人間だってせいぜい生きて100年です。

100年生きたって初めて経験することがありますし、数十年もすれば辛い・悲しい出来事ですら忘れてしまいがちです。

仮に200年生きようが500年生きようが800年生きようが、理解できないことだらけでしょう。

浄土真宗では限りないいのち・限りない光のはたらきを示す阿弥陀如来という仏様が本尊です。

仏様からみれば私たち人間というのは悩みや苦しみの中に生きているのに目先のことにとらわれ、むなしく生き死んでいく現状を憐れんでいます。

そのような私たちの人生を「生死(しょうじ)の苦海」とも表現されます。

つまり地上に出てきたセミ自身は今が夏だということに気が付くことなく一生を終えるのだが、人間もまた悩み苦しみの中で生きているのに今の自分を知った気になったまま空しく人生を過ごしているのです。

煩悩や苦しみの中で生きている私たちが、量ることのできない命と光を持った仏様の智慧に出会っていくことで、今の本当の自分の状態について知ることができるのです。


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さいごに。夏を知らないセミでも精一杯生きている。

さて地上に出てきたセミは春秋を経験しておらず、ただ暑い日が続くこの夏といわれる時期のみを生きています。

人間の立場で見れば暑いな~と感じる夏でも、セミからすればこの暑い状態が当たり前なのです。

しかし夏を知らないからセミは空しく悲しい人生だとは言えず、セミは今生きているこの時を精一杯鳴き、子孫を残し一月ほどで死んでいきます。

人間も同じことが言え、本当は生きることや死んでいくことに対して向き合わなければならないのにそれに気が付かない人生を歩んでいます。阿弥陀の願い・お念仏の教えに出会っても煩悩だらけの私は疑いの心を持ってしまいます。ただセミにならって今生きている状態がわからなくても精一杯生きることが大切であり、疑いながらも私たちに願いをかけてくださった仏様に手を合わしていくのが大切なのではないだろうか。

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