こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。
突然ですが、檀那寺(頼りにしているお寺)がある方はちょっと考えてみてください。
あなたの檀那寺さんには定休日ってありますか?
『悪いんだけど、毎週〇曜日はお寺は休みなんですよ~。電話されてもお参りされてもお寺は対応できませんよ~。』っていうお寺がありますか。
そうそうないですよね。
いや、定休日なんてあってはならないと思います。
今回はお寺に定休日なんてないんですよという結論ありきで、なぜお寺には特定の休みの日がないのか、いつでも応対しなければならないのかを説明しようと思います。
また定休日が無いお坊さんがどのように休んでいるのかも紹介します。
お寺は年中無休が当たり前。
お寺という建物は仏様(御本尊)を安置していますよね。
仏様という方は来る人を選ばず、いつでも崇拝される存在です。
いつでも誰でもお参りされるのが仏様でありお寺なのです。
しかし悲しいかな。私個人の印象では、日中にもかかわらず山門を閉じているお寺が多くなっているような気がしています。
お寺の方からお参りの人を拒絶しているような印象です。
お寺の僧侶というのは私的な都合を捨てられる人でなければならないというのが、私の考えです。
お寺に用のある人というのは、お寺に何らかの相談・悩みがあって訪ねてきているのであって、その方のために対応していくのがお寺の役割ではないでしょうか。
仮にお寺の業務時間が朝の9時から夕方の5時だとしましょうか。
この時間帯に来られる方には応接しますし、この時間帯に電話をされる方には応対しますよ、というお寺をあなたは頼りにしますか。
一般的なお寺は御門徒さんと「檀那寺ー檀家」の関係があると思います。
檀那寺とは檀家から緊急時でもあっても頼られる存在であるはずです。
仏様に頼る・お寺に頼る人を拒まないのがお寺の姿であるはずです。
観音菩薩っていう方を知っていますか。
観音様(かんのんさま)って皆さんよく耳にしますよね。
正式名称は観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)・観自在菩薩(かんじざいぼさつ)であり、阿弥陀如来の脇侍の菩薩さまです。
仏様・菩薩様の名前にはそのはたらきが示されていることが多く、観音様は世の中の様々な人の悩みの音(声)を観じ、その方のために自在に姿・形を変化することができる菩薩さまです。
似たような菩薩さまには例えば地蔵菩薩がいますよね。
お坊さんが菩薩さまや仏様の姿をならって、いつでもどこでも誰でも対応するというのは不可能ですが、頼りにしている方がいる以上、その方に向き合っていつでもどこでも対応するように努めていくべきではないでしょうか。
お寺にお参りしたらお坊さんが不在。いても時間外だからお引き取り下さいと言われたら最低ですよね。
じゃあ、お寺に休みってないのか。
お寺には特定の休みの日なんてありません。友引であろうが、年末年始であろうがお寺は常に開いています。また仏事・法事のお勤めがあれば、日を選ばずにお参りしますし、急な枕のお勤めなどが入ればすぐに対応します。
しかし24時間無休ではありません。
お坊さんも人間ですし、家庭を持たれているお寺が多いでしょう。
一般的な寺院(末寺)には業務時間と言うのは定められていませんが、やはり世間の常識というのもある程度適用されます。
よく言われるのが、「お寺にお参りに行くのは日が昇っている間」、「電話をするのは就寝時間の夜の9時から朝の6時以外」です。
ですのでお寺の人間も休みの時間が、個人の自由時間というのはきちんとあります。私がこの記事を書いているのも深夜です。
また毎日休みのないお坊さんではあるのですが、日中でも細かな休みというのは結構あります。
特に末寺というのは仏事・法事がなければ、僧侶が自分で仕事(清掃や連絡など)を見つけてしなければなりません。その時間を自由時間として、お寺を空けたり自分のことに利用したりすることもあります。
私もこのゴールデンウィークは割と暇だったので、お寺に留守番を残して、畑で草抜きや野菜植えなどをしていました。
お寺と言うのは毎日休みがない即ち「年中無休である」と言われているのですが、実は毎日の大まかな予定は事前に把握できているので、そのお勤めが終わりお寺に留守番がいれば、日中でも自分の好きに使える時間を見つけることができます。
最近ではお仏事をする家庭が減ってきているので日中手持ち無沙汰にしているお寺が増えてきているように感じています。
日単位でみると休みがないのですが、時間単位でみると案外自由時間があるものです。
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さいごに。
長期の休みは難しい。
さてお寺とはいつでも誰でも対応するのが本来の姿ですので、特定の休みの日がない年中無休が当然です。定休日のあるお寺は頼りにされないでしょう。
しかし特定の休みの日がなくても、お参りに出かけなくてもいい日がもちろんあり、暇な日というのもやはりあります。
そういう日には留守番・電話番の人がいれば、自由に使える時間を設けることができます。
僧侶は四六時中働きづめであるわけではありません。
ですので過労死の心配はしなくても大丈夫ですよ。
ただし長期的な休みを作ることは難しいです。
お寺の人間は旅行にいけないとよく言われています。(旅行に行けているお寺もあるそうですが)
お寺というのは急な電話があり、急な訪問もあり、急な枕・通夜・葬儀というのもあります。突発的な用事が発生しやすいのです。
お寺を何らかの理由があって留守にする場合でも、なるべくすぐに駆け付けるところにいなければなりません。
最近では携帯電話で連絡が可能なので日中遠くに行きやすくなったのですが、お寺を数日空けることはやはりできません。
長期の休みをとるのは難しいですし、ましてや家族旅行というのはかなり厳しいです。
余談ですが、私の父は私の祖父と旅行したことがないそうです。
私は香川の人間で、父が子供の頃に祖父と京都に旅行に行ったことがあります。当時は本州四国連絡橋がなくフェリーに乗って本州に渡ります。
父と祖父が京都の御本山に着くとすぐに本山にご門徒さんの葬儀の電報が届いたので、祖父は子供だった父を残して一人でフェリーに乗って香川に戻ったそうです。
結局祖父は香川と京都を往復しただけで、父と祖父は家族旅行できませんでした。
そんなもんです。
お寺のサラリーマン化は嫌だ。
私は最近のお寺・お坊さんは会社化・サラリーマン化してきていると感じます。
特にそれは大きな寺院でみられる傾向だと感じます。
大きなお寺には自坊の僧侶だけではお寺を維持することができず、外部から僧侶を雇うことがあります。
雇うということは、勤務時間もありますし、給料も払わなければなりません。
するとね、残業という考えが発生するんですよ。
私はこれが大っ嫌いです。
お寺は来る者は拒まずの姿勢でなければならないはずです。
目の前で電話が鳴ったり、お参りの人が受付(玄関の前)にいたとしたら快く応対しなければなりません。それなのに、勤務時間外です・業務時間外ですといって追い返すのはおかしいと思いませんか。
来ている人は頼りにしているから来ているんですよ。あなたの勤務時間なんて知りませんがな。
最近ではお坊さんも雇われていく時代です。
世の中の流れで会社化・サラリーマン化していくのは仕方ないかもしれませんが、いつでも誰でもに応対していくお寺の姿・お坊さんの姿を忘れることがないようにと願っています。