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親鸞聖人の火葬場所,鳥辺野(とりべの)をおもう

真宗僧侶のかっけいです。

794年に奈良から都をうつし、古都京都は1200年以上の歴史を有しています。都市外観だけでなく、歌・書・花などをはじめとした宮中の文化が発展し、数多くの神社・寺院が建てられ建築技術も高まりました。

京の都は古来より日本の中心でした。天皇や貴族が住む場所でもあり、仏教が取り入れられた京都では火葬も行われていました。

京都には有名な葬送の場所が3か所あります。

  1. 鳥辺野(とりべの)
  2. 化野(あだしの)
  3. 蓮台野(れんだいの)

浄土真宗の人々にとって、鳥辺野は特別なところです。なぜなら宗祖親鸞聖人が荼毘(火葬された)場所だからです。

今回は、親鸞聖人の火葬場所「鳥辺野(とりべの)」についておもうことを書きます。

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京都には「野」が付く地名が多い

京都には「野」がつく地名が多いです。

野の意味とは、単純に野原という意味であり、集まって何かをするのに適した場所ということです。野は広い場所ですので、狩りをしたり寺社仏閣を建てたり、また儀式(イベント)をすることもできます。

京の都は神聖な空間とされ、死(葬送)というのは洛中の外で行っていました。

庶民や行倒れの人は、鴨川に流されることもあれば、洛外の地に運ばれ風葬されることもありました。貴族や僧侶などであれば、火葬され墓も作られました。

その葬送の代表的な場所が「鳥辺野・化野・蓮台野」だったのです。

鳥辺野は浄土真宗にとって大切な場所

浄土真宗の宗祖は親鸞(しんらん)と呼ばれる人です。1262年11月28日に亡くなられました。その後、火葬されたのが鳥辺野という場所です。(鳥辺野そのものは、鳥葬がメインの場所ですよ。一部の人のみが火葬できました)

  • 鳥辺野:庶民はこの地で鳥葬していた。藤原道長らの藤原一族はこの地で火葬
  • 化野:無常の野という意味で野ざらしの遺体が多かった地。空海が堂宇を建立
  • 蓮台野:蓮台にのって極楽浄土に往生する野という意味。皇族も火葬された地

浄土真宗には報恩講(ほうおんこう)という、宗祖や仏徳の恩に報じる法要を今も大切に行っています。

親鸞聖人の生涯は御伝鈔(ごでんしょう)と呼ばれる書物に、絵と文章をもって伝えられています。その最後の6段7段に、親鸞聖人の亡くなられる時・葬儀の様子・廟所(墓)の様子が刻々とつづられています。

11月28日、京都の押小路の南、万里小路の東の坊舎で息を引き取った。

遺体は鴨川の東側の道を通り東山のふもとの鳥辺野の南に運ばれ、延仁寺にて火葬にされた。

11月30日、同じく東山のふもとにある鳥辺野の北の、大谷という所に遺骨は納められた。

『御伝鈔』下巻第6段より意訳

親鸞聖人の具体的な火葬場所は不明

浄土真宗では宗祖のご命日の法要「報恩講」を大切にお勤めしてきました。

浄土真宗は遺骨そのものを拝むことはしませんし、霊的なものも扱いません。

しかし宗祖のご命日のおつとめをし宗祖を偲び、この仏事を通して阿弥陀仏の教えにであい、お念仏をもうすご縁を大切にしていくのです。

親鸞聖人は火葬された後、その遺骨は慕う人たちが分骨していきました。

お骨に対しては拝まない宗旨ではありますが、遺骨や墓や像は、お念仏を申させていただくありがたいご縁であります。宗祖の誕生地・出家地・修行地・布教地・廟所というのは、宗祖の恩を偲ぶ大切な場所です。

火葬地というのも非常に大切な場所だと私は思います。

先日私は親鸞聖人が火葬された鳥辺野に行こうとしました。しかしナビが示したのは行き止まり場所で、地元の人に聞いてもポカーンと何も知らない雰囲気でした。宗祖の火葬の地でありながら鳥辺野の人の中ですら、その事実を知りませんでした。

実際、宗祖の廟所については大谷本廟・大谷祖廟・霊山本廟などと各寺院は積極的に宣伝しているのに、火葬の地については取りたてて話題に挙げているように感じられません。

実は「現代の鳥辺野」と「親鸞聖人の火葬した鳥辺野」は同じとは言い切れないのです。

平安時代から親鸞聖人のころの鳥辺野は、阿弥陀ヶ峰(鳥辺山)の一帯と非常に広範囲をさしていたとされます。

しかし現代では、清水寺の南部の大谷本廟とその東一帯の、非常に限定された範囲をさします。またかつての延仁寺は、現代に残っていません。

大谷本廟を廟所とする西本願寺(本願寺派)は、自派の大谷本廟を「御荼毘所」としています。一方で、大谷祖廟を廟所とする東本願寺(大谷派)は、阿弥陀ヶ峰の南に位置する西光寺を「御荼毘所」と定め、1883年に延仁寺と改称しました。

大谷本廟(阿弥陀ヶ峰の北)

延仁寺(阿弥陀ヶ峰の南)

浄土真宗を代表する二つの本山は、それぞれ別の地を火葬場所としています。


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親鸞聖人の火葬場所をおもう

個人的な感想ですが、私はもしも西本願寺と東本願寺の2か所から親鸞聖人の火葬場所を選ぶなら、東本願寺の定めた場所が正しいような気がします。

理由は、御伝鈔には鳥部野の南の延仁寺にて火葬とあるからです。現代の大谷本廟のは阿弥陀ヶ峰(鳥辺山)の北に位置します。

↑阿弥陀ヶ峰は東山七条の東。山頂に豊臣秀吉を祀る豊国廟がある。

いくら平安時代の鳥辺野が広かったしても、鳥部野の南の辺りといわれたら誰でも阿弥陀ヶ峰(鳥辺山)の南を想像するでしょう。

個人的な想像では、鳥辺野の火葬の地は阿弥陀ヶ峰の南であり、遺骨は師である浄土宗法然上人の知恩院(知恩教院大谷寺)の側に持っていたのではないだろうか。すると葬儀の翌日に大谷にお骨を納めたことに合致しそうな気がします。

もっとも私が「鳥辺野は一号線の南、京都女子大学の奥」と聞いてきたからというのもあります。どうも個人的には、現代の大谷本廟のような崖地に延仁寺というお寺があったとは想像しにくいです。墓地ならありえますけども。お寺はもっと「野」と呼ばれる自然なところにできるような気もします。

いずれにしても、火葬の地(また亡くなった地)は今の時代も不明ですし、さあ行こうと思っても地元の人も知らないほどです。

  • 宗祖の命日は大切
  • 報恩講は大切なお勤め

というのであれば、親鸞聖人のゆかりの地として火葬場所をもっとアピールしてほしいです。

今の状態だとぜったい気軽に立ち寄れないよ。だってナビですら鳥辺野を案内させると、行き止まりの場所を示すんだから。