こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。
お寺では過去帳と呼ばれる帳面があります。
特に浄土真宗では位牌や遺影を仏壇にお飾りする慣習がなく、一般家庭のお仏壇でもコンパクトサイズの在家用の過去帳が置かれています。
過去帳とは故人(亡くなった人)の没年月日・法名(戒名)が記録されます。
さらには、行年(亡くなったときの年齢)・俗名(生前の名前)・生前の様子・死因・死に際の様子・親子夫婦兄弟の関係(続柄)・住所などが記されることもあります。
これは江戸時代のお寺とは幕府により寺檀制度が決められたため、檀那寺(菩提寺)と檀家の関係ができたからです。
その結果、お寺というのは檀家の家族構成の記録、つまり故人の記録を残す必要が出てきました。これがお寺の過去帳です。
お寺の過去帳というのは古くからのお付き合いがある檀家(ご門徒さん宅)との記録をとり続けていますので、時々ではありますが、家の先祖を知るために過去帳や位牌から先祖の一覧表を作ってほしいとの依頼をお願いされることがあります。
(最近では家系図を作成するのがちょっと流行っていますので、江戸時代以前の先祖の記録を知るためにお寺の過去帳が必要になることがありますからね)
特定の家の先祖の没年月日・法名を調べるのは大変。
さて、当寺では4・5年に一件程度の割合で、「自分の家の過去帳を調べてほしい」と依頼されます。
たいていそのようなお願いをされる家というのは、家のお仏壇に古いお位牌や過去帳があり、200年や300年前にどのような先祖がいたのか気になったケースが多いと思います。
もしくは家の家系図を作成したいけども、役所に行っても明治からの戸籍しか存在しない場合のケースもあります。
お寺の過去帳を調べるときの注意点。
ただですね。お寺に過去帳を調べてもらうときに注意点があります。
お寺の過去帳はたとえ門信徒であっても、お寺の人間以外に自由に閲覧できるものではないのです。
ですので、「家の先祖を知りたいからお寺の過去帳を見せて。」とはできずに、「家の先祖を知りたいので、お寺の過去帳から自分の家のご先祖に当たる人の法名・没年月日等をまとめて下さいませんか。」とお願いしないといけないのです。
なぜお寺の過去帳は見れないのか。
お寺の過去帳とは個人情報の塊なんですよ。
名前や生まれの地や死因などの記録により、差別的・人権的な面への配慮をしなければなりません。
仮に誰でも閲覧できるような状況であったりご門徒さんだけに閲覧可能であったりしても、お寺の過去帳とは家ごとに記録しているのではなく、古い年月日に順に記録しているので、特定の人の記録だけを閲覧するのは不可能であり他の家の記録までも見えてしまいます。
近親者を装っての身元調査もかつてはあったそうで、現在では仮にどんなに顔見知りの人でも個人情報保護の観点からお寺の過去帳を見せることはできないのです。
お坊さんが過去帳から書き写すのは時間がかかる。
さてお寺の過去帳にはお付き合いのあった家(檀家)の記録が膨大に残っています。
それを一ページ・一ページずつ調べるのは実質不可能なので、依頼された家にある過去帳や位牌をお借りして、照らし合わせながらお寺の過去帳から書き写していきます。
家別ではなく日別に記録されるから調べるのが大変なんですね。
あと個人的に大変なのが、昔の人の書く文字が本当に読みにくい。潰れて書いていても気にせず書いたり、草書体で書いていたり、今現代で使われていない漢字を使っていることもあります。(例えば「皕(ひょく)」の漢字。「昍(けん・かん)」の可能性もありましたが、この人物は昔では珍しく100歳以上の人だったので、皕だろうなあと。もちろん書の専門家にも見てもらいました)
また書き写した家の記録をまとめる際にも、俗名が親子や孫子で同じ名前であることが多々あったり、昔は死別が多かったので再婚が多く継母・養母であったり、生後すぐに亡くなったりのケースがあり、まとめるのが面倒だったりします。
過去帳の調査を依頼されても、「はいわかりました。少しお待ちください」とはならず、お寺の都合にもよりますが数か月は待っていただくこともあります。
お寺の古い過去帳を眺めると感じてくること。
お寺の過去帳を眺めていると、お坊さんならではの感じることがいくつかあるんですね。
- 法名には住職の思いがよく出てくる。
- 亡くなる年月日を見るとその時の様子が想像できる。
法名の漢字には住職の思いが表れる。
法名に使われる漢字というのは宗派によって特徴が出てくるんですね。なぜなら法名の漢字には、経典や聖教で使われている文字・意味や語感のいい文字・仏教的に意義のある文字が使われるからですね。
浄土真宗では「教」・「妙」・「真」・「順」・「浄」などがあります。(まだまだありますが一部のみ紹介)
これらの漢字を組み合わせてその人物に相応しい法名をお寺の住職が名付けます。
300年程度の過去帳をみますと、住職の思いが強く出るのか、「妙」を多用するときもあれば、「浄」を多用するときもあり、その時その時の住職がどの文字に思い入れが強かったのかが感じ取れます。
またそんな妙や浄などのよく使う文字ではなく、急にそれまでとは雰囲気の違った法名を名付けるときにも住職の強い思いが感じられます。
例えば、釈離縛(りばく)という人がいました。この数日前にも家族が続けて亡くなり、社会の出来事をみますと渇水・飢餓が起こっていたようです。「縛」という漢字は仏教語では人を悩ますのもの・煩悩という意味があります。辛い出来事が続いているけども悩み苦しみに囚われることなく前を向いて生きていくことを望んだ住職の思いが感じられます。
昔は生きるのが本当に大変。
江戸時代以前の記録には没年月日と法名しか記されていないこともあります。
一般に姓名が許されたのが明治になってからですので、お寺の過去帳も明治からは情報量が多くなったりします。
昔の過去帳をみますと、立て続けに亡くなる様子が見て取れます。
300年程度の歴史だと過去帳には40人程度の記録が残ります。平均して8年に1人は亡くなっているんですね。
ただ実際にはまとまって立て続けになくなるケースが多く、没年を調べると渇水や飢餓が続いていたことがわかります。
またこれはたまたまかもしれませんが、最近私がまとめたとある家の過去帳は江戸時代が終わるまででは9月~1月の死亡が多い印象です。
これは浄土真宗が民衆に受け入れられた宗教であり、自坊のご門徒は米を作る農家が多かったからでしょう。おそらく9月~1月に亡くなるのが多かったのは、飢饉により満足な食糧が得られなかったからだと思います。特に没年月日が近く、法名がよく似ている場合は生まれてすぐ亡くなった兄弟であったり夫婦の可能性もあります。
これが明治以降になると急に夏や春や秋に亡くなる人が出てきて、どの時候でもまんべんなく亡くなっています。むしろ飢えよりも夏の暑さが厳しいのか戦前ごろまでは6月~9月に亡くなる人が増える印象です。
7歳未満の小さな子供が亡くなるのも非常に多いです。
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さいごに。過去帳を記すのはお寺の仕事。
さて浄土真宗では位牌や遺影をお飾りすることを好まず、お寺では全てのご門徒の過去帳を、ご門徒のご家庭では在家用の過去帳を用意しお飾りしていました。
ただ浄土真宗のご家庭でも位牌や故人の写真をお仏壇にお飾りしていることもあります。
浄土真宗では位牌や遺影に故人が宿るとは考えておらず、遺影や位牌に手を合わし拝むのではありません。
過去帳というのは故人の命日を確認し、今日先祖にこのような人がいたんだとなあと知ることでその仏縁によって仏様にお参りする縁をいただくのです。
そして大事なことがあります。
過去帳とはお寺の人の手によって書き写していくのですよ。
もちろん在家用の過去帳を仏壇店で購入しその流れで家の人が書くというケースもありますが、故人の記録を書き写すというのはお寺と付き合いのあった(ある)檀那寺・檀家の関係の上に成り立っており、法名を名付け、お寺が責任をもって残している過去帳と照らし合わせながら書くものです。
例えばお坊さんがお参りに行ったとき家の人によって書かれた過去帳がお仏壇に置かれていても、お寺はその過去帳に責任を持つことはできないのはご理解ください。