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第98回目のラジオ配信。仏さまにお飾りする花(仏花)、「生花・造花・常花」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
かっけいの円龍寺ラジオ
この番組では香川に住む浄土真宗のお坊さん、私かっけいが、短いおしゃべりをするラジオです。
今回は仏さまにお飾りするお花「生花・造花・常花」をテーマにしてお話しします。
さて2021年の8月現在は、東京オリンピックが開かれていますね。
表彰式表彰台にあがるメダリストには、メダルだけでなく、ビクトリーブーケとよばれる花束も渡されます。今回は東北地方の復興五輪の思いも込められた大会で、宮城県産のヒマワリ、福島県産のトルコギキョウ、岩手県産のリンドウを束ねたブーケがメダリストに渡されています。
なかでも夏を代表するヒマワリの鮮やかで大きな黄色い花は特に目をひきます。
この前お盆のお参りに行きますと、「ヒマワリ」は仏さまにお供えしてもいいのですかと、質問されました。もちろんOKです。ぜひお仏壇やお墓にヒマワリをお供えくださいませ。
一般的に仏さまにお飾りする花と言えば、菊やユリやカーネーションなどをイメージするかもしれませんが、どんな種類の花でも基本的になんでもOKです。季節の花やご自分で育てられた花なら、なおご丁寧だなあと私は思います。
ただしですね。基本的になんでもいいと言いますが、手を傷つけるようなトゲや食べられない毒を持ったお花はお飾りするのをさけて下さい。あと悪臭を放つ花も。
具体的にはバラや彼岸花といったお花はトゲや毒をもつので、お飾りするのにはふさわしくありません。
あともう一点、大事なことがあって、生の花「ご生花」をお供えしましょう。似せて造られた花「造花」はできうる限り控えてください。
造花を使わない理由は色々あります。
例えば1つには、お仏壇は仏さまの世界・お浄土を表していることから、お花のお飾りは仏さまの尊いはたらきを厳かに彩る意味があります。
そして、枯れていく花を見ていく中で「命あるものには必ず終わりがくる」という命の尊さ・無常の常ならざるいのちを教えられるからです。
お仏壇やお墓にお供えするお花は、仏さまや亡くなった人のためにしているのではなく、お参りする私達に向けられたものです。
「造花はほっといても枯れなくていいねえ~、仏さまやご先祖も喜んでるだろう」ではなくて、仏の働きや教えを表したきれいな生のお花が枯れていかないように、お供えしていけるように、気をかけてつとめていくことが大事です。
お寺で育った私が小さい時から言われているのは、生のものをお供えするのは仏様参りのためです。
仏さまにお供えする物は花だけでなく、ご飯やお餅やお菓子や果物や水など、なんでも生のものをお供えするでしょう。
よく、模造品と言いますか、本物そっくりに似せた造花のお花だけでなく、ご飯や果物といったお供えものも食品サンプルのようなものをお飾りされる家があります。
たしかにいつまでも腐りませんし、悪臭も放ちませんし、キレイですし、手間もかかりませんよ。
私の寺の近くのお墓でも、一年365日、造花で常に枯れないお花が刺さりっぱなしだったりするものもあります。遠目から見たらきれいにされてるなあと思います。
ただ、枯れるからこそ腐っていくからこそ、このままでは失礼だなあ、見苦しいなあ、申し訳ないなあという気持ちが起きてくるんですね。そして自然と、お花を入れ替えよう、お水を入れ替えよう、お供えをしましょう、お香をあげましょう。そして手を合わそうと、仏様参りができていくんです。
お寺ではこのことを、「お仏壇のお給仕・仏さまへのお給仕をする」と表現しています。
造花といった、枯れないもの・手間が掛からないものをお飾りしておけば、いつまでもキレイでいいじゃないと思うかもしれません。
ですがどうでしょうか。
造花をお飾りしているあなたは、最後にいつ、どなたのことを思い、お参りされましたか。お墓やお仏壇がどんな状態になっているのか気にされていますか?
生のお花は枯れますし、散りますし、腐りますし、手間もかかります。ですがそのおかげで、仏さまにご先祖にお参りし手を合わすご縁がいただけるのです。
造花が絶対にダメとは言いません。造花じゃないと困るという事情があるんでしょう。ですが、お盆やご法事やお彼岸やお正月といった節目節目には、ぜひ生花をお供えくださいませ。
ヒマワリをお供えしてもいいですかというご質問から、生の花の「ご生花」と似せてつくった「造花」の2種類についてお話しました。
ここまでの話をまとめますと、ヒマワリの花ももちろん仏さまにお供えしていただいて大丈夫です。夏にふさわしいピッタリのお花だと思います。それでなるべく、できたら、無理しない範囲でいいので、生のお花、枯れていく「ご生花」をお供えしてくださいませ。
さて、「生花と造花」は質問されることが多い話題なのですが、お仏壇にお飾りするお花には「常花」というものもあります。
常花についても少しお話しておきますね。
常花というのは、簡単に言いますと、一般的に金色で造られた高級そうな感じのする造花・重量感のある造花です。お花の種類は蓮の華・蕾・葉を形どった蓮華の一種類だけです。
常花の文字は、日常・通常の常、常識の常(じょう)という漢字を使います。常(つね)とも読みますね。
勘違いしてはいけないのは、常花は常の花だから、日常的にふだんからずっとお飾りしっぱなしにしてもいいお花ではありません。
常花の常とは、「いつも変わらない・いつも同じ状態」や「永久不変」といった意味です。
常花は造花の一種ですから、常にいつも同じ状態で、一度お飾りすればず~とキレイに金色に輝いたままです。常花は、色もあせないし枯れないし、高級そうだし、常の花とも読めるから、これさえいつもお飾りしておけばOKと思われるかもしれませんが、そうではありません。やっぱり基本は生のお花をお供えしましょう。
常花の花は仏のお浄土を代表する蓮華の花です。蓮華の花は濁った泥の中でも地上に飛び出し、美しい花を私たちに見せてくれます。
仏さまの智慧や慈悲や救いのはたらきが、いつでもどこでもどんな時代でも常にかわることなく、私たちに向けられていることを常花は示してくれています。
常花はいつまでも枯れない造花なのではなく、お浄土に咲く蓮の華のごとく、仏さまの智恵や慈悲、救いのはたらきが不変であり、輝いていることをあらわしています。常花は単なる造花ではなく、仏さまの尊い変わることないはたらきを表現した蓮のお飾りです。
それでは常花はどんなときにお飾りすればいいでしょうか。
私の寺では、ご本尊の仏さまにふだんは生のお花「ご生花」をおあげしています。
先ほどもお話しましたように、生のお花は枯れます。枯れていきますと、お花を新しく活けなおさなくてはなりません。そのお花を入れ替える時だけ、私の寺では常花をお飾りしています。
お寺のお花は数も多く巨大で、活け替えるのもそこそこお時間をいただきます。
仏さまにお花が供えてられていないときがないように、またお参りに来られた方が「あれ?お寺にお花があがっていないよ」と不安になられないように、お花を活け替えている間は常花をお飾りしています。
皆さまも常花をお持ちであるなら、お仏壇のお花を活け替える時や生のお花をすぐにご用意できない時に、仏さまの不変の救いのはたらきを表した蓮の常花をお飾りくださいませ。
枯れる生花はなぜお供えの花なのか?
仏花は仏さまのお浄土・仏様の世界を表現しています。
お浄土では、それぞれの花がそれぞれの輝きを放って、仏さまの尊い徳を讃えています。
特に蓮の華は仏さまの智慧や慈悲の光明として、あらゆるところを照らします。
仏花というのは、お仏壇やお墓にお参りする私たちが、その仏さまの功徳や浄土のすがたを表現し見てお参りするためにお供えする花のことです。
生花とは仏花としておすすめされる花で、枯れていく生の花のことです。
キレイだった枯れていく花は、人生にもなぞられ、花はいのちの無常さを表します。仏の智慧や慈悲や救いのはたらきだけでなく、仏の教えを生花は示してくれます。
キレイな花もよい香りのする花も、ただお飾りしただけではすぐに枯れてしまいます。
私たちがお参りをする縁となるため、花が枯れたら、新しい花を交換していく必要があります。
生花をお供えするということは、水を入れ替え・花を入れ替えるという、仏様へのお給仕をすることによって、自然とお参りをするご縁をいただくのです。
造花はなぜ仏花にふさわしくないのか
造花とは、本物の花に似せて造った花のことです。
- 枯れない・腐らない
- 色や形もあせにくい
- 費用が最初の購入時だけ
- 入れ替えることがなく、手間がかからない
生花にはないメリットがたくさんあるので、仏壇やお墓にも造花をお飾りしたいと思う人はたくさんいるようです。
しかし、造花をお飾りするということは、暗に「私はお花をお供えしにお参りに行きません。ほったらかしにします」と宣言しているのと同じではないでしょうか。
造花は枯れないので、「変化していく」という大切な仏法を私たちが感じにくくなります。
また造花は手間がかからないので、仏さまや先祖にお参りするという気持ちが徐々に薄れていってしまいます。
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常花は仏壇に飾りっぱなしにしない
仏具の一種で、蓮をかたどった造花です。
常とは「いつまでも変わらない・永遠不変」の意味があります。
常花は常(つね)にお飾りする花ではなく、仏さまの永遠不変の真理を表現した花。蓮の華のように、濁った世の中でも常に照らしてくださる仏さまの智慧や慈悲のこころを表した花です。
常花はあくまでも造花です。
常には生花をお飾りします。生花を活け替えるときのように、生花を仏前にお供えできない時に一時的に常花をお飾りします。
釈迦如来や阿弥陀如来をはじめとした仏様の像は、蓮の華の上に座ったり立ったりしています。
また仏説阿弥陀経に書かれているように、阿弥陀様の極楽の世界には、大きな蓮が咲き、それぞれの蓮の花が、それぞれあるがままに美しく咲いて、何とも言えぬかぐわしい香りを放って光り輝いているとされています。⇒関連『阿弥陀経の現代語訳』
蓮の華が咲く場所は、澄んだ水の中ではなく、濁った泥水の中です。泥の中にありながら、蓮華は泥には染まらず、美しい花を咲かせます。
仏さまの智慧や慈悲や救いの光というのは、欲や怒りといった煩悩に染まった私たちの世界の中でも、この私たちを救うために照らしてくださっているのです。
蓮はその仏さまの衆生済度の願いがあらわれた花なのです。