こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。
ここ10年の間に、法事や葬儀が縮小・簡素化が加速しています。
それは人口の多い都会だけでなく、地方都市の田舎、過疎地域でも同様の傾向です。
もちろん時代に応じた仏教法要の形態が生じてくることはお坊さんとしても理解できるのですが、一方で、それはしては駄目だろうという法要形式も出てきてます。
それが今回の話のテーマである『葬儀式途中での初七日法要をすること』です。このことを『式中初七日(しきちゅうしょなのか)』という表現を使うようになっています。
お坊さん的には式中初七日をするのが当たり前になるのであれば、葬儀という仏教行事はもう終わりやなあと感じます。
都会を中心に広がる「式中初七日」とは。
私は香川県にお寺を構える僧侶です。
香川県もこの10年で大きく葬儀の形態が変化しまして、9割近くが自宅で葬儀していたのが、今では9割以上が葬祭業者の会館で葬送儀礼を行うようになりました。(お坊さん的にはせめて生前お世話になった仏様へのお礼参りとして、枕のお勤めだけはお仏壇にお参りくださいとお願いしています)
田舎の葬儀の流れは一例として、次のような感じです。
- 亡くなった後、自宅ないし会館で枕のお勤め(臨終勤行)をする。
- お通夜を葬儀をする場所で前夜に行う。
- 葬儀式の途中で告別式をする。
- 出棺後、僧侶も火葬場に行き火屋勤行(炉の前のお勤めを)することがある。
- 火葬収骨後、還骨法要・初七日法要をする。
- その後は会食をすることもある。
一方で東京・大阪・京都などの都会では式中初七日というのが最近の流行です。
都会の葬儀の一例を挙げてみます。
- 亡くなった後、自宅ないし会館で安置される。臨終勤行が無い場合がそれなりにある。
- 葬儀式(火葬)の前日にお通夜をする。
- 葬儀式の途中に告別式をするだけでなく、初七日法要までする。
- 出棺後、僧侶も火葬場に行き火屋勤行をすることがある。
- その後の収骨・還骨は僧侶は立ち会わず、葬儀は終了される。
都会と田舎では葬儀の形態が違うながらも、一つ言えることは都会の葬儀は簡素化だけでなく、いろんな法要をごちゃごちゃに混ぜ込んだ感じになっています。
楽に楽に手間が掛からないようにしようというのが、最近の流れです。
例えば田舎でも当たり前になりつつあるのが「葬儀並びに告別式」です。
葬儀式という死者を弔う偲ぶ場での葬送儀礼であり、仏教形式の葬儀であれば僧侶が読経をし参列者は焼香などをします。一方で告別式は故人との別れの挨拶をする場であり、宗教儀礼とは無関係ですので、僧侶がお勤めをしている葬儀の途中にする必要がなく、元々は別々に執り行うものです。
それが今ではどういうわけか、「葬儀並びに告別式」とカッコつけてやっているんですよ。私からすれば、もしも告別式をするならお坊さんが退席してからしてほしいのですが。
式中初七日も似たような感じです。
初七日法要って知っていますよね。亡くなって7日ごとにするお勤めのことです。七日毎にお勤めをして、7回目の周りの49日法要(満中陰法要)で故人を偲ぶ一区切りの節目とします。
式中初七日は葬儀式の途中でする初七日法要のことです。もちろん告別式まで重ねていたりもしますよ。
まだ火葬して白骨にすらなっていないのに、初七日法要をしているんですね。
もちろんメリットがあるから、式中初七日が採用されているんですが。
- 葬儀に参列した人がそのまま初七日法要まで参加できる。
- とりあえず初七日法要をしたていにできる。
- 葬祭業者が式中初七日法要できるのをサービスのように振舞う。
田舎では想像しにくいですが、都会では火葬で葬送儀礼が終わりということが多く、初七日法要を葬儀式の途中でできるのが良いと思われています。
お坊さん的には式中初七日が当たり前になると葬儀ももう終わりやなあと感じる。
昔から葬儀式の途中で初七日法要がなかったわけではないですが、それはよっぽどの理由があった場合に限られていました。
しかし今では式中初七日が当たり前になりつつあります。
もちろん田舎でも、火葬後の還骨法要の時に初七日法要を繰り上げて行う「繰り上げ初七日法要」というのはあります。
これはお坊さん的にはギリ許容範囲です。
初七日法要が三日後・四日後ともう目前ということもありますし、お骨という故人の生前を偲ばせる縁となっているからです。
しかし式中初七日はただでさえ、簡素化されごちゃごちゃになった葬儀の中でより形骸化されたお勤めです。
例えば浄土真宗の一部の宗派では一週間ごとの周りのお勤めでは「白骨の御文」を拝読します。
身の濃い肉親を失った悲しみの中、その人の最後のお姿である白骨の様相を見ながら世の無常や仏法を頂いていきます。
火葬という荼毘にふす行為には不思議なものがあります。火葬の前には別れるのが辛く、悲嘆にくれ涙が止まらないのですが、いざ炉が点火されお骨の状態になりますと涙が枯れ、故人の死が現実のものとして自ずと受け入れられるようになります。
その白骨の姿を見て故人の偲び弔う中に、火葬前の葬儀式とはまた異なった心持ちで死者と向き合うことができるのです。
それが単に便利やから、葬儀業者の都合やからなどの理由で葬儀式の途中で初七日法要をするのであれば、もう葬儀の意義が失われていくのではないだろうか。
それこそ今でこそ葬儀式中の初七日法要で済んでいますが、おそらく後10年、いや5年、いや3年で葬儀の当日で初七日法要から49日法要までをすべて合わせてお勤めするようになるのではないだろうか。もしもそのような不可解な葬送儀礼に変貌してしまったなら、もうしない方が良いんじゃないだろうか。
式中初七日が当たり前になることは何を意味するのか。
冒頭でも触れましたが、この数年のうちに葬儀の形態は大きく変化しました。
葬祭業者が葬儀全般を取り仕切るのが当たり前になっています。そして多くの人がそれが便利だ楽だと受け入れています。
また最近では僧侶派遣というのが菩提寺との関係を持たなかった人を中心に流行りつつあります。(まあ田舎の方では僧侶派遣の方が高額なので頼まれることは少ないですが)
式中初七日が当たり前になっているのは、人々の支えあっての葬儀という意識が失われ、お金さえあれば楽でき解決する感覚になってきたからではないだろうか。
昔の葬儀はそれこそ手間がかかり大変でした。一方で地域の人(講中)の助けを借り、故人の死を通じて地域とのつながりが形成されていました。
例えばひと昔前の田舎では人が無くなると、自治会長に声を掛け、有縁の人が枕に集まりお勤めをし、講中の人が手分けして火葬場の手続きや受付・葬儀の段取り飾り付けをしてまいた。また地域の人がお米を持ち寄り非食(ひじ)を用意したりもしました。葬祭業者は霊柩車の手配や一部のお飾りなど補助的なことだけでした。
しかしお金を支払うと何でもかんでもするようになり、講中の人がしていた地域の互助がなくなり、葬儀の内容も簡素になっていきました。
お金のある人や時代であればこのような形は良いもんだと感じられるのでしょうが、もしもそうではなくなった時がやってきた時はどうなるのだろうか。
葬儀のことを葬送(そうそう)と言いますよね。今の人達は言いますか?
なんで葬送と言っていたのですか?
昔は野辺で火葬していました。荼毘にふすところまで葬儀式に参列した人が棺を担いだりして葬列を組み、自分たちの手で死者を送っていました。
今では最後の出棺を参列者が担がずに会館の職員がすることもあります。しかし棺を担ぐというのはその人のこれまでの人生を担ぎ、その人の生前のご苦労を偲び感じ取るということです。ですので昔は私が担ぐ私が担ぐと大勢の人が棺に集まっていたのですが、今では他人事、観客としてただその場にいるだけです。
お骨にすらなっていない状態の葬儀式途中の式中初七日が当たり前になることは何を意味するのか。
それは人の死を偲ぶ儀式が単なる面倒な一行事としか感じなくなり、人の死を弔い送るという大変なことや悲しいことをお金で解決し人任せにすることで、人を偲ぶこと敬うことを葬儀から頂けなくなり、最終的には葬儀なんていらないとなるのではないだろうか。
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さいごに。式中初七日法要は無いほうがまだいい。
式中初七日は何のためにしているのだろうか。火葬の後の還骨法要もしないのに。
式中初七日をした人はその後も周りの2七日、3七日、4七日…と勤めるのだろうか。お坊さんを呼べないのであれば自分たちで集まりお参りすればOKです。
式中初七日が便利だからとか、サービスに入っているからだとかという理由で行っているのであれば無意味極まりないでしょう。そんなのに時間を取るのなら、告別式にもっと時間を割いたらどうですか。
お金で解決する手間のかからなくなった葬儀というのは、やがては葬儀の終わりを意味するでしょう。
面倒やなあと感じたことをお金を支払うことで解決できるのは最初だけで、最初は業者もサービスで「これもしますよ・あれもしますよ」と言うでしょう。でもだんだんサービスが細かく分類され、「あれをするにはこのお金が必要。それをするにはこれだけのお金が必要」となると、だんだんお金を支払うことがもったいなく感じ、「じゃあしません。もっと省略したプランで結構です」と、ただでさえ不可解になった葬儀段取りがさらに抜かれ、葬儀が故人を偲ぶ場とは無くなってしまうでしょう。
もしも式中初七日法要が画期的なサービスやと思っているのでしたら、早々にやめた方がいいですよ。
何でもかんでも『○○式』『□□法要』とカッコつけずに、少人数でもいいので、故人をじっくりと偲ぶ場を提供してあげるのが何よりの供養ではないだろうか。