上部リンクユニット

数珠(念珠)と門徒式章はなぜ法事や葬儀で身に付けるのか

投稿日:

真宗僧侶のかっけいです。

皆さんが法事や葬儀に行くとき何を用意しますか。何も持たずに行きますか?

おそらく数珠(念珠)だけは持っていくでしょう。有難いことです。

昔の法事法要のように正装をし身なりを整えての参列者は非常に少なくなりました。カジュアルな服装ばっかりですね。中には普段着でのお参りもあるほどです。それでもまだ、「仏様へのお参りには数珠(念珠)が必要だろう」という意識が残っているのは有難いことです。

お坊さんは仏教行事に参加する時は、数珠(念珠)と門徒式章を身に着けてくださいねと言いますよね。どうしてなのか、書いていきます。なお数珠(じゅず)は以下、念珠(ねんじゅ)で統一します。また門徒式章とは宗派によって、略肩衣や半袈裟などと呼びます。


念珠や門徒式章は無くてもお参りできるが……

門徒式章を身に着けてお参りする人は非常に少なく感じます。お寺で法要があっても事前に言わなければほとんどの人が肩から掛けないでしょう。

ひょっとすると門徒式章を持っていない人も多数いることでしょう。

お坊さんみたいな恰好に見えるので敬遠しているのかもしれません。もっと言えば、周りの人も身に着けていないし、無くてもお参りできるよねと考えているのかもしれません。

でも念珠はどうでしょうか。初めて法事や葬儀に参列する人でも念珠は必要だとイメージするのではないでしょうか。最近では葬儀会館でも忘れた人用に念珠を貸し出すこともあります。

念珠はなくてもお参りできるでしょうが、なんか手に持っていないと手持ち無沙汰に感じるからか、念珠は持っていく人が多いですよね。逆に言えば、墓参りやお仏壇にちょっと手を合わすときには念珠を持たない人もいるんじゃないかな。あっという間に終わるからね。

念珠や門徒式章は間を持たすためや人目を気にするために身に着けるんじゃないんですよ。

念珠と門徒式章が必要な理由

仏教徒のあかしであり、最高の正装になるから。

煩悩を打ち消す(削る)ために念珠を持つ人もいるかもしれません。でも念珠をこすっても煩悩なんて無くなりません。

念珠がないと法事に参列できない?いやいや、お参りください。

念珠や門徒式章の着用には実理的な意味はありません。しかし念珠と門徒式章を身に付けることが仏様にお参りする時の礼儀作法になっているのです。

これは何も一般の人だけに当てはまるのではなく、お坊さんも同じく念珠と袈裟と法衣を身に付けてお参りします。

仏様に参る気持ち・敬う気持ち・祈る気持ちがあれば服装や恰好なんて気にしなくてもいいと思うでしょう。でも考えてみてください。本当に仏様のことを想う気持ちがあるならば自ずと服装・威儀を正し、仏様のお飾りを整えませんか。

本願寺8世の蓮如上人は、念珠なしのお参りは仏さまを手づかみするようなものだと、いましめたそうです。

念珠というのは仏様に手を合わすときの法具であり、式章は仏様に参るときの正装である。

昔のお坊さんのたとえ話

しつこいですが、実際問題として、念珠や門徒式章は無くてもお参りできます。しかしできるだけ身に付けた方が好ましいです。

むかしのお坊さんはこんなことを言って、念珠や式章の有難さを説明しました。(教義的な説明ではないですよ。)

式章は首輪であり、念珠は手錠である。

例えとしては悪いもしれないが、それだけこの道具が大切だと考えていたのです。

なかなか私たち人間は仏様に参れよと言われてもなかなかお参りしないものです。最近のお参りを見ればよく感じるでしょう。

昔ならば法事があれば小さい子供さんからお爺さんお婆さんまでがきちんと服装を整えてお坊さんのすぐ側までお参りしていたのが、今では法事の案内もしない、法事に参加しても家代表で一名だけ、読経の最中は奥の部屋に引っ込んでいたりと、とてもじゃないですが仏様に参ろうという姿が感じられないですよね。

式章は首輪であり、聞く耳を持たない私を無理にでも仏様の前に連れて行ってくれて、念珠は手錠であり、手を合わす気持ちがない私でも自然と両の手を合わせて拝ましてくれる。そんなたとえで、式章と首輪を身に付ける大切さを説いたお坊さんがいました。


Sponsored Links  

さいごに。念珠を持たない時代が来るのだろうか

念珠も門徒式章も仏様に参る時の正装です。最近は服装もだいぶ簡略化されましたが、かといってお参りの人が増えたかといえばそんなことはありません。

「形から入る」という言葉がありますように、外見や恰好を整えてから取り組むというのは意外と大切なことです。仏教では「信は荘厳(しょうごん)より生ず」を使います。信心は仏様をお飾りしていく(お給仕していく)中に自ずとその仏の心に気が付かされていきます。

今では門徒式章は身に付けない、念珠は持たない、聖典は畳に直置きと粗雑に扱われています。

気持ちがあるならば姿恰好や形式などはこだわらなくてもよく、無くてもお参りできるのであればやがては門徒式章のように念珠も軽んじられるだろう。

しかしそのこだわらない気持ちが蔓延し、儀式・作法・形式を軽んじていく先には、感じる心・敬う心を見失っていくのではないだろうか。法事や葬儀では仏様の周りを豪華にお飾りします。そして僧侶はキチンと着飾ります。そして作法通りにお勤めします。

儀礼・作法・形式・お飾りはただ伝統という形の中で無意味に残ってきたのではなく、「思い内にあれば色外に現る」のように、心の中に何か思うことがあると、自然に表情や言葉、動作、姿などに現れてきます。全員が全員、仏様を尊いと思えないでしょうし、なんでお参りしないといけないんだと思っているでしょう。しかしそうでない人にこそ、まずは念珠や式章といったように形から仏様に参るようになってほしい。

といいつつも、門徒式章が廃れてきているように、やがては念珠なんて持たなくてもいいかという世の中になるかもしれません。

8/11~SP用リンクと関連

8/11~PC用リンクと関連

-僧侶が思うこと・コラム -,

Copyright© 真宗興正派 円龍寺 , 2018 AllRights Reserved Powered by micata2.