Podcast: Play in new window | Download
第36回目のラジオ配信。「お釈迦さまのお母さん『摩耶夫人』」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
最近ではコロナウイルスで県外に出かけることも難しいですよね。私は大阪に行くときは、高速バスを使うことが多いのですが、大阪に行く途中で、三宮バスターミナルを越えると、左手に大きく摩耶埠頭の文字が見えるんですね。
摩耶って文字を見ると、お坊さんの私はいつも、お釈迦様のお母さんをイメージしてしまいます。
さて2020年4月7日に放送予定の今回は、「お釈迦様のお母さん」をテーマにお話しします。
仏教にはいろんな仏様がいますね。きっとご存知でしょうが、お釈迦様、釈迦如来・釈迦仏は実在の人間としてこの世に生まれてきた仏様なんですね。
ですのでお釈迦様にはお母さんやお父さんがいます。また生まれた日や亡くなった日もあります。
このラジオ放送の明日、4月8日が、花祭りと呼ばれるお釈迦さんのお誕生日祝いの日ですね。
さてお釈迦様のお母さんについてですが、注意点があります。
お釈迦様の誕生は今から2500年ほど昔のことです。誕生やお母さんに関することなどは、伝承にもとづいていることがほとんどで、へえ~、ほえ~と、そんな感じなのかあとリラックスして聞いていただければ幸いです。
まずお釈迦さまの生まれですが、お釈迦様がカピラ国の王子として生まれたのは有名な話でしょう。
当時の北インド・ネパールには、16の大きな国があったとされ、カピラ国はその大国の一つコーサラ国の属国であったとされます。
ただし属国と言っても、独立した自治が認められた関係であり、カピラ国はシャカ族の単一の部族によって、成立した国だとされます。
お釈迦様のお父さんはスッドーダナ王と呼ばれます。漢字にすると、清らかなご飯の王や白いご飯の王となるように、農耕によって発展した国の王だと推測されています。つまり王といっても、裕福な貴族のような人です。
さて、お母さんですが、お母さんはマヤ夫人と呼びます。マーヤーやマーヤとも、夫人「ふじん」と書いて「ぶにん」と呼ぶこともありますが、私は摩耶夫人(まやふじん)が言いやすいので、今回は摩耶夫人でいきます。
摩耶夫人はお釈迦様のお母さんとして有名な方であり、それ以上のことはあまり語られることは少ないです。仏教経典にも、摩耶夫人が実の母という意味以外で、語られることはなかったです。
ですので摩耶夫人のことは本当に伝承の範囲を越えないことを注意して聞いてくださいね。
摩耶夫人はルンビニーの花園でお釈迦さまを産んだことが、もっとも重要なこととして伝えられています。
摩耶夫人はある時、夢の中で大きな白い像が自分のお腹の中に入るのを見て、お釈迦さまを身ごもったそうです。
その後、摩耶夫人はわざわざカピラ城から20キロメートルほど離れたルンビニーの花園で出産したとされますが、この理由は、摩耶夫人がコーリヤ族の生まれだったとされるからです。
摩耶夫人もコーリヤ族の王の娘として生まれ、川を境に隣接した国の人でした。摩耶夫人は隣国のシャカ族に嫁いだが、出産のために里帰りしていたとされます。そこがルンビニー園です。
伝説では、摩耶夫人がルンビニーの花園で沐浴し休み、無憂樹あるいは沙羅の木に触れようと右手を挙げた際に、お釈迦さまを右わきから出産したとされます。
なぜ右わきから生まれたのだと疑問に思われる人もいるでしょうが、その明確な答えはありませんが、ここではひとつの説を紹介します。
お釈迦様の生まれたころは、当然、まだ仏教はありませんでした。
当時のインドには様々な思想がありましたが、その中で特に影響力があったのが、四姓制度でした。カースト制度とも言われるものです。実際は4つ以上に社会的身分が分かれていのですが、基本的に、司祭階級のバラモン、王族・武士のクシャトリヤ、庶民階級のバイシャ・奴隷階級のスードラにわかれます。
この考えはお釈迦さまが生まれるよりもさらに前、紀元前12世紀ころにアーリヤ人によって成立したものです。
『リグ・ヴェーダ』を代表する古インド神話の世界観の中に、世界の最初に存在したとされるプルシャがいます。このプルシャは千個の目と千個の頭、千本の足を持っていたとされ、神々はこれをバラバラにしたそうです。
すると、プルシャの頭・口のところはバラモンになり、上半身・胴・腕のところはクシャトリヤに、下半身はバイシャに、足はシュードラになったとされます。
お釈迦様の生まれた時代はこんな考えがありました。
お釈迦様は王族クシャトリヤではありましたが、やがては悟りを開き仏となります。
摩耶夫人の手を挙げた右わきから生まれたのは、お釈迦さまが身分社会を越えた存在となり、仏教があらゆる境遇の人に向けた教えであることを示しているのではないでしょうか。
さて摩耶夫人がルンビニーでお釈迦さまを産んだという話ですが、この話は、西遊記で有名な7世紀の中国のお坊さん、玄奘三蔵法師が自身の旅行記「大唐西域記」にルンビニーが清らかな池と美しい花が咲いていたことや、ルンビニーに紀元前3世紀ごろのアショーカ王が建てた、お釈迦さま誕生を記した石柱碑文があったことを書き残しています。
摩耶夫人はお釈迦さまを産んでまもなく、一週間後と伝えられていますが亡くなります。
その後、お父さんのスッドーダナ王は、摩耶夫人の妹さん、マハーパジャーパティーを妻に迎え、お釈迦様の養母となりました。
摩耶夫人は白い像が体の中に入る夢を見たこと。ルンビニー園で右わきからお釈迦様を産んだこと。産んだ後まもなく死んでしまったことぐらいしか語られません。
一方で、育ての親である摩耶夫人の妹は、仏教教団最初の出家女性、比丘尼として、仏教経典にもその名前がしばしば登場します。
ちなみに豆知識ですが、亡くなった摩耶夫人は仏さまの国ではなく、忉利天と呼ぶ帝釈天を中心とした神々の世界に生まれたとされます。
そのためお釈迦様が仏さまの世界に生まれていない母のために、忉利天の世界にわざわざ行き、説法したお経もあります。その説法のためにお釈迦さまが忉利天に昇天した場所がインドのサンカーシャとされ、仏教の重要な場所であるお釈迦様の聖地の中で、唯一伝説に基づいた場所となっています。
こんな風に、摩耶夫人に関しては、伝説に基づく話が多いのが特徴です。
豆知識をもう一つだけ言うと、ラジオ冒頭で三宮バスターミナルを越えたら摩耶埠頭の文字が見えると言いましたよね。
あそこ神戸市灘区には、日本で唯一、摩耶夫人をご本尊とするお寺、摩耶山忉利天上寺があります。弘法大師空海が中国から持ち帰った摩耶夫人像を安置したことが寺の名前の由来となっており、今では地名の由来となっているようです。
「円龍寺かっけいラジオ」では、番組へのメッセージを募集しています。ご感想や取りあげてほしいテーマなどもお寄せ下さい。