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第65回目のラジオ配信。「仏の12光」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
2020年11月に入って新型コロナウイルスの感染者がまた増えつつありますね。
大阪や東京や北海道や兵庫県などでは、これまでの4月5月の第一波、7月8月の第二波を上回るレベルになってい大変な状態ですね。
こちら香川県もこれまでは感染者のあまりでていない県になっていますが、いつ新規感染者が10人20人、100人数百人と爆発的に増え、全国的にも注目される県になるかなあと不安になっています。
そんなことを思っていると、香川は新型コロナウイルスではなくて鳥インフルエンザウイルスの方で全国的に注目されるようになりました。香川県の養鶏場の鶏から鳥インフルエンザウイルスが2年10か月ぶりに確認されました。実は少し前の2020年10月末に北海道の紋別市でも、野鳥の糞から鳥インフルエンザウイルスが検出されていました。
香川県の鶏から鳥インフルエンザが確認されて、感染が広がらないように消毒や殺処分が行われていますが、幸いに香川県内では卵や鶏肉の売り上げ数は減っておらず、風評被害というのは今のところ出ていないとのことです。
日本では鶏肉や卵を食べることで人が鳥インフルエンザに感染したという事例はないですし、お店には感染した鶏の卵や肉が出回ることはないので心配はありませんからね。
しかし養鶏農家からしたら鳥インフルエンザウイルスは怖いもんでしょう。鶏が下痢や出血をしてそれがまた近くにいる別の鶏に簡単に感染して、やがてまたそれが野鳥とかによってさらに広範囲に広がるようです。
思えば香川県は3年前に高松の観光名所の大名庭園栗林公園にある池で、コイヘルペスウイルス病が発生して大量の鯉が死亡しました。コイヘルペスをこれ以上広げないために、池の鯉700匹をすべて殺処分して消毒しました。
あんなどこの川にもつながっていない独立した隔離された庭園の中の池なのに、いったいどこからコイヘルペスのウイルスが鯉に感染して広がったのか全く不思議なもんですが、結局どこから感染したのか不明なままだそうです。池の中の鯉なんで鯉が地上を走って移動するわけじゃないで、素人考えだとなんで突然発生するのかわかりません。
まあこんな風に、20世紀最初のスペイン風邪や天然痘やSARSや新型コロナウイルスのように、私たちの目に見えないレベルでいろんな感染症・伝染病が人類を脅かすということでだいぶ話題になっているようですけど、こんな風にウイルスの脅威に恐れている時代になって思うんですけど、仏教開祖のお釈迦様の時代はいったいどうだったんだろうかなあって私は時々思うんですね。
お釈迦様の時代というのはウイルスについて、ウイルスのようなものについての話題はいっさい無かったのかなあって思うんですね。
実際お釈迦様の時代というのは例えばニュートリノや原子力という考えもないですし、パソコンやスマートフォン、インターネットというのもないですよね。
当然ウイルスという話もなかったと思いますけども、それはお経文の中にも出てこないんです。なぜかって言うと、お釈迦様のされるお話というのはいわゆる対機説法といわれる形式で、お釈迦様に対して質問された人に合わせて、わかりやすくその人に伝わるようにその人にあったようにお釈迦さまはお話しているんですね。
ですからお釈迦様の時代にも、ウイルスとかニュートリノとか地球は円いとか重力とか、今と同じような状態であるんですけども、その当時の人には言ったって何にも分からないことなんですね。その時代の人にとっては当たり前でない存在をしらないことだったので、お釈迦様もお経の中で説法の中でそんな文言を残す必要は全くなかったんですね。
で、今こういうウイルスがたくさん広がって恐れる時代になっていますけども、このウイルスの広がり方を知っていくと、私浄土真宗のお坊さんから見ると阿弥陀様・仏さまの光の伝わり方・広がり方はウイルス以上のものがあるんじゃないかと思うんです。
ちょっと浄土真宗のご門信徒でないとポカーンと分けの分からない話にこれからなるかもしれないのですが、浄土真宗のご本尊、お頼りする仏さまは阿弥陀如来・阿弥陀仏という仏さまなんですね。
でこの阿弥陀仏という仏さまは、光となって私たちに届けてくださっているんです。この光というのは阿弥陀様の智慧や慈悲を表わすんですけども、これが仏説無量寿経やお正信偈のなかには12種類の光で説明されているんですね。
- 普放無量無辺光(ふほうむりょうむへんこう)
- 無碍無対光炎王(むげむたいこうえんのう)
- 清浄歓喜智慧光(しょうじょうかんぎちえこう)
- 不断難思無称光(ふだんなんじむしょうこう)
- 超日月光照塵刹(ちょうにちがっこうしょうじんせつ)
とあるんですがこれを簡単に一個ずつ言うと、
無量光というのは、量ることのできない際限のない光ということです。
ウイルスだったら数は増えたり減ったりしますが、仏さまの光は減るや増えるとかではなく私たち人間が想像を及ばすこともできない量ることができない光ということです。
無辺光というのは、世界の片隅まで届かない所はない光ということです。
例えばウイルスでしたら、人から人へ生き物から生き物へちょっとずつちょっとずつ勢力を拡大しますけど、仏さまの無辺光というのは届かない所がない、世界のあらゆるところまで届くんですね。
無礙光というのは、遮ることができない光ということです。
ウイルスや現実の光だと、壁とかを間に挟むとそこから先はシャットダウンと隔離された空間になってそれ以上伝わることがないんでしょうけど、仏さまの光は遮られない光ということです。
無対光というのは、仏さまの光というのは他の何かと比べることができない光ということです。
よく私たち人間で言いますと、このウイルスとこのウイルスを比較して違いは何だ?とか、ウイルスと菌との違いはなんだ?みたいに、何かと何かを比較して物事を見て対処判断しようとしますが、阿弥陀様の光っていうのは何かと比べる必要がないんですね。なぜなら仏さまの光というのは何よりも優れた徳をもっていて、そのまま私たちは受けるだけなので比べる必要がないんです。
次に焔王光。これは仏さまの光は弱い時がなく、常にどんなときでも最大の光の輝きをもっているということです。
ウイルスだったら冬のような寒くて乾燥して、空気中に漂いやすい時期は感染しやすくなるでしょう。でも仏さまの炎のような光は、常にごうごうと激しく輝いているんですね。
清浄、歓喜、智慧光というのは、仏さま阿弥陀様の光というのはさわやか清らかな光であり、私たちをよろこばせてくれる光である智慧や慈悲の光ということです。
もし私たちがウイルスにかかったりでもしたらバッチいとか、あの人はウイルスや~みたいな邪悪な心が起きるでしょう。でも仏さまの光は清らかなものであり、よろこびに代わる智慧の光ということです。
次は、不断、難思、無称光。
不断というのは途切れることのない光。ウイルスとかでいったら撲滅しよう。打ち勝とうみたいなことを言いますけども、仏さまの光というのはゼロにならないですんね。さっきも言ったように減るということもないんですね。
常に私たちに絶え間なく届けられているのが、仏さまの不断光なんです。
で、難思(なんじ)。これは思うのが難しいと書く字なんですが、簡単に言えば、私たちがあ~だこうだと人間の知識や智恵・経験で、仏さまの光ってこんなもんじゃないかとか、いやいやそんなじゃなくてこんな感じでしょと考えたりするかもしれませんけども、仏さまの光というのは私たちの思いはかりを超えたところ、知らず知らずに届けられている光が難思光。
そして、無称光。
称というのは「称える(となえる)」とか「称う(かなう)」という意味です。
例えばですけど、私たちウイルスにかかったりしたらこのウイルスはどういう症状になるんだろうとか、何に対して気をつけたらいいんだろうかとか言ったりしますけど、阿弥陀さまの光というのはただそのまま受けとればよろしいのです。
なぜなら悩みの多い私たちを救うために仏さまが光となって届られてきているので、光そのものが仏さまのはかり知ることのできない説明することのできない功徳の塊なんです。仏さまから私たちに届けられた光ですので、かなうかなわない・こんなご利益あるんだとかを一切言う必要がなく受ける。それが無称光です。
そして最後の12番目の光が、超日月光(ちょうにちがっこう)。
私は個人的にこれが一番好きな光なんで、また別の時にこの超日月光についてはこれだけをピックアップしてお話しますけども、簡単に言うと、太陽や月の光よりも優れたのが仏さまのお光なんですよということです。
太陽は昼明るい時に煌々として輝き、月は太陽が沈んだ後でも夜道を照らしてくださることもあります。しかしその月や太陽の光は私たちを照らしてくださるんですけども、その照らし方にかたよりがあるんですね。仏さまの超日月光は光の届かない影をつくりません。あらゆる向きから照らしてくださるのです。
ここまで長々と仏さま・阿弥陀様の12の光を紹介しましたが、ウイルスと比べてどうでしょうか。
今年の新型コロナウイルスで言えば、昨年の2019年末に中国武漢でなにか未知のウイルスが出てきたぞとちょっと話題になって、1月になってその広がり方から不安になる人もいた一方で、いやいや大丈夫、春節には日本にしっかりたくさん観光に来てくださいと呼びかけて、そして2月になっても収まらず日本でもちょっとずつ広がって、学校のお休みを決めたり、北海道とか東京では独自の宣言をしたりしました。
そして3月にはオリンピックの一年延期が決まってアフターコロナ、人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証しとしてオリンピックをするとして、それからようやく国が緊急事態宣言をして、7月にはウィズコロナ。コロナと一緒に経済活動をすすめていこうと舵をきっています。
最近11月では第三波となって、徐々にまた広がっています。
直接見えないウイルスではあるんですが人は何とかそれをコントロールしようとして、嫌なものだとしつつもお薬・ワクチンをつくったりして何とか打ち勝とうとしています。
そうやって人がコントロールしようとするのがウイルスなんでしょうけども、一方で仏さまの光というのは、もう一度くどく言いますが、私たちのところに多いや少なくなるとか遮られるとかじゃなくて、仏さまの方から常に世界のあらゆるところに届けられているものです。
香川では今、新型コロナウイルスや鳥インフルエンザが出始めています。今日はウイルスの話題から仏さまの光についてお話してみました。
「ぱぴぷぺぽ・ばびぶべぼ」のように口から勢いよく息が飛び出すと、「ボフッ」とノイズ音が発生します。
ノイズ音を防ぐために試しにマスクをして録音してみました。声質がいつもと違うのはこのためです。意外と上手く収録できたなあと感心したのですが、評判を聞きつつ、次回もマスクをつけるかどうか判断します。
12の光とは
阿弥陀如来の12種類の光(十二光)は、『仏説無量寿経』や宗祖親鸞聖人の『正信偈』にて紹介されます。
- 無量光(むりょうこう)
- 無辺光(むへんこう)
- 無碍光(むげこう)
- 無対光(むたいこう)
- 光炎王(こうえんのう)・燄王光(えんのうこう)
- 清浄光(しょうじょうこう)
- 歓喜光(かんぎこう)
- 智慧光(ちえこう)
- 不断光(ふだんこう)
- 難思光(なんじこう)
- 無称光(むしょうこう)
- 超日月光(ちょうにちがっこう)
阿弥陀さまのすぐれた功徳・威徳を讃嘆されているのが、この12種類の光のはたらきです。
私がラジオで話した内容よりもより詳しく知りたい方は、真宗大谷派東本願寺の公式サイト「正信偈の教え-如来の光明」の第10回から第12回を読まれてはどうでしょうか。
- 無量光:阿弥陀仏のはかりしれない限りのない光
- 無辺光:あらゆるところを照らす際限のない光
- 無碍光:なにものにもさえぎられることのない光
- 無対光:くらべるもののない尊い光
- 光炎王・燄王光:最高の輝きをもつ光
- 清浄光:むさぼりの心を除く清らかな光
- 歓喜光:いかりを除き心をよろこびにかえる光
- 智慧光:無明の闇を破る智慧の光
- 不断光:途切れることなく常に照らし続ける光
- 難思光:凡夫の考えでははかり知ることのできない光
- 無称光:凡夫では言葉ではとても説明できない光
- 超日月光:太陽や月よりもすぐれかたよりなく照らす光
阿弥陀仏の12の光「普放無量無辺光~超日月光照塵刹」は、お正信偈の中にあります。正信偈の読経音声をリンクします。
仏説阿弥陀経は、阿弥陀仏の極楽浄土の様相が説かれています。阿弥陀経の中では、なぜこの仏さまの名前が「阿弥陀」であるのかも説明されています。