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長生きすること.ラジオ#124

第124回目のラジオ配信。「長生き」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)

ラジオテーマ「長生き」内容まとめ
  • お釈迦様の2月14日に亡くなり、80年の生涯
  • この世は無常であり、会うものには必ず別れがあることを伝える
  • 若い人ほど自分は長生きしたい傾向
  • 年を取るほど長生きは幸せと思いにくい傾向
  • 縛られずに生きていくのが浄土真宗の長生き
  • 長い短いは周りの人が勝手に決める
老人の手と赤ちゃんの足

かっけいの円龍寺ラジオ

この番組では香川の浄土真宗のお坊さん、私かっけいが、短いおしゃべりをするラジオです。

第124回目の今回は、2022年2月15日に配信予定です。

さて昨日、2月14日と言えば何の日だったでしょうか。

そう、バレンタインデーですね。世界では大切な人に贈り物を贈ったり感謝を伝えるのが一般的らしいですが、日本ではチョコレートを自分や誰か他の人にプレゼントする日となっていますね。

いろんな説がありますが、2月14日は紀元前後のローマ帝国時代での、家庭と結婚の神をお祝いする日だったとされます。それが後の世になって、ローマ帝国によって処刑されたキリスト教の聖職者バレンチノ(いわゆるバレンタイン)の亡くなった日2月14日と結びつけられたとされます。

つまり2月14日のバレンタインデーは、バレンタインの亡くなった日というわけです。

さてバレンタインデーの次の日。音声配信日の2月15日は何の日でしょうか。 お涅槃ですね。

お涅槃と聞いて分かりますか?若い世代の人だと、あんまり耳にしないでしょうか。

お涅槃というのは、およそ2500年前に仏教を開かれたお釈迦様の亡くなった日です。

2月14日はキリスト教のバレンタインさんの亡くなった日。2月15日は仏教開祖のお釈迦さんの亡くなった日です。

2月15日のお涅槃って、何をするの?と思われるかもしれませんが、この日はお釈迦様の遺徳を偲ぶ日です。簡単に言えば、仏様にお供え物をして手を合わしたりする日です。

私のところの円龍寺でも、この2月15日はお寺の北にある南鴨の在所からご案内がありますので、南鴨の薬師堂で、円龍寺住職が薬師如来・お釈迦如来・阿弥陀如来像の前でお涅槃のお勤めして、お参りの人たちにお話をしています。

お釈迦様は2500年ほど前にも関わらず、80歳と結構な長生きをされた方です。現代でしたら80年は男性の平均寿命ほどですが、おそらく今から2500年ほど前では、けっこうな長生きだったと思います。

けっこう長生きすると、今の時代だと「もう十分生きたでしょ」とはたの人は思うでしょうが、お釈迦様の場合は違うんですね。

お釈迦様の亡くなった様子を表した絵、涅槃図を見ますと、お釈迦様の周りを取り囲んでいろんな生き物が嘆き悲しんでいます。もっともっと長生きしてほしいと願う人ばかりだったんでしょうが、お釈迦様が亡くなる前に残した言葉は「この世は無常であり、会うものには必ず別れがある。」というものでした。お釈迦様は人としての人生の最後に、もっとも大事な仏教の教えを説かれたのです。

それを伝えるのがお涅槃という日なんですね。

さて前置きが長くなったんですが、今日は「長生き」について短く雑談していきます。

長生きの話は、1人暮らしのお爺さん・お婆さんの家にお参りに行きますとよく話題に上がります。

80超えて、90超えて、100にもなるお爺さん・お婆さんが、1人で家にいるんですね。

はたの人は「もう十分に生きたでしょ。」と思うでしょうが、当の本人はまだまだ生きるつもりです。そりゃわざわざ、さっさと死にたいと思う人はいないでしょうから、当たり前の話です。

それこそ存命している中で最高齢の119歳の田中カ子さんは、120歳がかねての目標だからすごいものです。現在でも世界歴代3位の長寿記録で、4月には、世界歴代2位の長寿となります。

昔から長生きすることは良いことだとされます。今でも若い世代になるにつれ、長生きしたい傾向が強くなります。ところが一方で、長生きすることが幸せかという話になると、年をとればとるほどそうならないようです。

むしろ、ぽっくりと突然死ぬ方がいいとか、夫婦なら先に死にたいとか、冗談のように言い合うほどです。

そんな風に、若いうちは自分はまだまだ長生きしたい、でも年をある程度取れば、さっと苦しまずに死にたいと思うようです。ホントかどうかは別として。

さてじゃあ、仏教、浄土真宗では、長生きするのはどうなんでしょうか。

例えば浄土真宗の宗祖親鸞を例に挙げれば、親鸞は800年ほど昔の鎌倉時代の人ですが、90歳と当時としてはけっこうな長生きだったと思います。

90歳も長生きして幸せだったのかと言うと、さあどうだったのでしょうか。貧乏だったともされ、亡くなる前は弟の坊舎に頼っていたというのもあり、端から見ると幸せでなかったのかもしれません。

ですが貧乏とか亡くなる時の持ち家がなかったから、不幸せだった、長生きは良くなかったというのは見当違いな話で、90歳と長生きしたからこそ、親鸞は浄土真宗に関する多くの書き物を残しています。その多くが80歳前後からのものです。

長生きしたからこそ、浄土真宗の教えを多く書き残すことができ、また関東からやってきた門弟たちと話す機会というのがあったというわけです。

苦しい人生ではあるけれども、長生きしたからこそできたこと、残せたこともあるというわけです。

ちょっと話がそれますが、2ケ月ほど前の昨年の年末間近に、私は100歳近いお婆さんが1人で住んでいる家にお参りに行きました。

耳がかなり遠くなって、呼び鈴を鳴らしてもなかなか気がつかれないんですが、読経の時には、いつも後ろについていっしょにお勤めしてお念仏をとなえてくださいます。以前よりも体が不自由になってきたそうで、歩くにも壁を押して歩かないといけないそうですが、いつもお顔はニコニコされていて、お話していて気持ちのいいものです。

そんな折、長生きの話がでまして、お婆さん曰くこの頃周りから「長生きしたから楽に死ねるで」と言われたそうです。

そのお婆さんとニコニコと笑いもってその話をしていたんですが、最後にこんな印象的な言葉を話されたんですね。「死ぬのも簡単じゃないんよなあ」と。

その言葉を聞いたときに私ははっと心に打たれるものがあったんですが、今日のお話はここまでという雰囲気で、それで帰ることになりました。

お婆さんとは仏間でお別れしたのですが、どうもこれが今生で最後のお姿のように感じてしまって、後ろ髪のひかれる思いでした。私のためにしてくださった最後の説法に思えてならないのです。

「死ぬのも簡単じゃない」

どういう意味でこの言葉を話されたのか、私にはまだ分かっていませんが、それをたずねていくのも私の人生なのだと思います。

最近の世の中は長生きを望まないという選択肢もあるように言いますが、長生きするしないというのは、私自身が勝手に決められるものなのでしょうか。

それこそ、私の命というのは、ある日突然ぽっと生まれて存在したいのちではないですよね。

両親がいて、その両親のおじいさんおばあさんがいて、またその両親たちがいて続き、またその両親が両親となるために出あったり別れたりの縁があったりして、またその両親が育った出あってきた周りとの縁というのもあるという、自分の今の命があるというのは、あり得た可能性がほぼないという中で、たまたまあるという命ではないでしょうか。

そんな私という奇跡ともいうべき有難い命なのに、それを自分だけのもの、自分が自由にできるいのちというのは仏教的でも、浄土真宗的でもないと私は思うのです。

長生きするかそうではないかは、私が決めることではないと思います。

どのようなこの人生、命の終わりを迎えるかも私が決めることではないと思います。

それこそ親鸞聖人の残した言葉の中に、「南無阿弥陀仏ととなうれば 定業中夭のぞこりぬ」とあります。定業とは定まった寿命のこと、中夭とは半ばの寿命ということです。

つまりは南無阿弥陀仏の教えに出あった人は、寿命の長いの短いのと考えるのは問題なことじゃなく、命の尽きたときが、いただいた命、つながってきた命の終えた縁となるのではないでしょうか。

長生きしたらよし、長生きしない方がよしとかそんな話ではなく、ありがたいこの命は、いつ死んでも、どんな終わり方でもよしと、縛られずに生きていくのが浄土真宗の長生きだと思うところです。

以上で、2022年2月15日のお涅槃のかっけいのラジオはここで終了します。来週もまた聞いてくださいな。ポッドキャストでも配信していますので、iTunesなどのアプリで「レビュー・評価・登録」してくれたら嬉しいです。

さて今回は、なんだかよく分からない話をしているなあと思われた人も多いと思います。まだまだ言い足りないことも多いですが、話が長くなっているのでここでいったん終わります。

ちなみに、じゃあ私は長生きしたいのかと言えば、そうですね、やっぱり長生きしたいです。というより、長生きしたいというよりも、生きられるほどは生きたいところです。

生まれてくる時も、今生きているときも迷惑をかけているんですから、死んでいくときの迷惑かけるのもお互い様なところですからね。

死ぬ時だけ迷惑かけたくないとあれやこれや言い訳にするのはおこがましい話なところです。

極端なことを言えば迷惑をかけて死んでいけばいいんです。

私も、私の父母も、私のお爺さんおばあさんも、その前の人たちも、みんな迷惑をかけてつながってきたんですから、迷惑をかけて生まれて死んでいけばいいんです。極端に言えば。

長生きするしないではなくて、この命、亡くなる時まで、大切に十分に生きていけばいいのです。

長い短いは周りの人が勝手に決めるところです。

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