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数珠・念珠について.ラジオ#64

第64回目のラジオ配信。「数珠(じゅず)・念珠(ねんじゅ)」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)

  • 0:22 お寺のお参りに必要なもの
  • 1:24 数珠の起源
  • 2:17 珠の数は108が基本
  • 3:05 数珠念珠を使う意味
  • 5:48 糸が切れたら?
ラジオテーマ「数珠念珠」の内容まとめ
  • 数珠は「じゅず」、念珠は「ねんじゅ」と読む
  • 数珠念珠は寺や仏様参りするときに必要な仏具
  • お葬式や法事にも持って行くこと
  • 珠の数は108が基本
  • 数珠はお経や念仏の数を数えるため、煩悩を滅する意味がある
  • 浄土真宗では仏を念じるために使い、念珠と表現する
  • 数珠念珠の糸が切れたら、お寺にて供養をお願いし新しく買い求めたり、数珠念珠専門店にて修理を依頼する
  • 修理する時は、かならず珠をすべて拾い集めておくこと

先日お参りに行きますと、次のような質問を頂きました。

「お寺にお参りする時に必要なものはなんですか」

まず最初にこの質問にお答えしますと、何も持たずに気軽にお寺に来ていただいてもOKです。でもできることなら、数珠・お念珠を持ってお寺にお参りしていただけたらなあと思います。

2020年11月10日に放送予定の今回は、数珠・念珠についてお話していきます。

さて数珠あるいは念珠ですが、一般的には数珠の方がよく使われる言葉になっているかもしれません。

数珠というのは、お坊さんが必ず手や腕にかけている珠の輪っかのブレスレットみたいなものです。仏様に手を合わせる時に、両手に数珠を掛けたり挟むようにして拝んでいるでしょう。あれが数珠です。

ところで数珠とはそもそもなんなのかということですが、数珠のはじまり・起源というのはよく分かっていないのがほんとのところです。

数珠という漢字は、計算道具のそろばんの珠と数えるという漢字を使うように、元々は珠で数を数えるために使われていたと考えられているようです。

一説によると、仏教開祖のお釈迦様の時代に多くの人が仏教教団に入られたので、その数を紐を通した珠をもって数えていたともされます。

それがやがて仏さまを敬うとき、合掌礼拝する時に使われる仏具となっていったようで、日本には仏教が伝わってきたときに数珠も一緒に伝わってきました。

珠の数は煩悩の数とも言われる108を基本の数としています。お坊さんが法事やお葬式で使うときは、おそらく108だと思います。

昔はお坊さん以外の人も108の数珠を持っていたそうですが、今では108の半分の54やその半分の27、あるいは108の6分の1の18珠や36珠のように、108の約数になっている1連のサイズが一回り小さい略式の数珠が一般的になっています。

でも一応正式は108の珠数とされています。

で数珠の役割ですが、浄土真宗の考え方とは違いますが、お経や念仏を唱えるときにその回数を数えるために数珠の珠を順に繰っていく宗派もあるそうです。

また数珠の珠数が煩悩の108であることから、数珠の珠をこすり合わせることで煩悩をすり砕くという意味をもつ宗派もあるそうです。

でも浄土真宗では、お経の数や南無阿弥陀仏の称えた数を数えるために数珠を使ったり、煩悩をすり砕き滅するために数珠を使うようなことをいたしません。数珠は仏さまの前で身なりをととのえ気を引き締めて、合掌礼拝・仏を念じるためだけに使います。

数珠を持たなくても仏さまを拝むことはできますが、浄土真宗ではなるべく持つことをおすすめしています。

浄土真宗本願寺派の本山本願寺の蓮如という600年ほど昔のお坊さんはお手紙の中で、「珠数(じゅず)の一連をももつひとなし。さるほどに仏をば手づかみにこそせられたり」と、「数珠を持たずにお参りすることは、仏様を手づかみにしているようなものですよ」と伝えています。

浄土真宗では仏様を敬い念じるために数珠を使います。ですので浄土真宗では数珠のことを仏を念じる珠「念珠」というのが一般的になっています。

最初のご質問の「お寺にお参りする時に必要なものはなんですか」ですが、何も持たずに気軽にお寺に来ていただいてももちろんOKですが、あらかじめ寺に参拝する予定があるなら、仏さまを念じる仏具のお念珠・数珠をもってお参りしていただければなあと、浄土真宗お坊さんの私は思います。

またお葬式や法事や、初参り・結婚式のような人生の節目のイベントにもぜひお念珠をもって参拝していただきたいところです。

ちなみに数珠・お念珠の糸が切れたらどうしたらいいの?縁起が悪いの?お祓いしたほうがいいのとかを聞かれることもあります。

浄土真宗僧侶の立場から言えば、数珠・お念珠が切れるのはよろしいことだと思いますよ。糸が切れるほど、それだけ多く仏様にお参りされてきたという証拠ではないでしょうか。

浄土真宗では数珠に厄除けや魔除けといった考えはないので、お念珠の糸が切れても、縁起が悪いもお祓いする必要もないです。

糸が切れた数珠お念珠では仏様に参るにはもう使えないので、お寺に頼んで引き取ってもらいご供養して新たにお念珠を買い求めたり、あるいは新しく買わずに仏具店や数珠念珠専門店で修理を依頼していもいいでしょうね。

ただし糸が切れたお念珠の修理を依頼する時の注意点として、必ず糸が切れてこぼれ落ちた珠をすべて拾っておかないといけません。

数珠・お念珠の珠の数は決まっているので、珠数(たまかず)が足りずに修理してもらうと、戻ってきたお念珠の珠が足りないままで、そこだけ何もない糸だけのスカスカしている可能性もあります。

もし糸が切れた時に珠をいくつか無くしてしまったら、修理する時にはない玉の分だけ糸を詰めてもらうか、似たような珠を補充するように伝えておきましょう。

仏教では数珠念珠が大事な仏具
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数珠を持たないのは仏さまを手づかみしている?

かっけい
かっけい

本願寺の蓮如はお手紙にて、真宗の肝要を説きました。

数珠についても書かれているので、現代語訳して紹介します。

蓮如の手紙より

そもそも、この三四年のあひだにおいて、当山の念仏者の風情をみおよぶに、まことにもつて他力の安心決定せしめたる分なし。そのゆゑは、珠数の一連をももつひとなし。さるほどに仏をば手づかみにこそせられたり。聖人、まつたく「珠数をすてて仏を拝め」と仰せられたることなし。さりながら珠数をもたずとも、往生浄土のためにはただ他力の信心一つばかりなり。それにはさはりあるべからず。まづ大坊主分たる人は、袈裟をもかけ、珠数をもちても子細なし。

これによりて真実信心を獲得したる人は、かならず口にも出し、また色にもそのすがたはみゆるなり。しかれば当時はさらに真実信心をうつくしくえたる人いたりてまれなりとおぼゆるなり。それはいかんぞなれば、弥陀如来の本願のわれらがために相応したるたふとさのほども、身にはおぼえざるがゆゑに、いつも信心のひととほりをば、われこころえ顔のよしにて、なにごとを聴聞するにもそのこととばかりおもひて、耳へもしかしかともいらず、ただ人まねばかりの体たらくなりとみえたり。

この分にては自身の往生極楽もいまはいかがとあやふくおぼゆるなり。いはんや門徒・同朋を勧化の儀も、なかなかこれあるべからず。かくのごときの心中にては今度の報土往生も不可なり。あらあら笑止や。ただふかくこころをしづめて思案あるべし。

まことにもつて人間は出づる息は入るをまたぬならひなり。あひかまへて油断なく仏法をこころにいれて、信心決定すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

文明六、二月十六日早朝ににはかに筆を染めをはりぬのみ。

蓮如の手紙「2帖目の5通目、珠数の章」より
現代語訳

さてさて、この3~4年の間、当浄土真宗の念仏する人を見ていますと、まことに他力の御信心を決定している様子がありません。その理由は、数珠の一連すら持つ人がいないからです。それは仏さまを軽んじて手づかみになさっているようなものです。

宗祖親鸞聖人は、決して数珠を捨てて仏を拝みなさいとおっしゃられたことはありません。もちろん数珠を持たなくとも、阿弥陀仏の浄土往生にはただ他力の信心ひとつが大事なのであって、数珠を持たないことで往生が妨げられるわけではありません。まずは立派な坊主たる人は、袈裟をかけて数珠を持っても差し支えのあるものではないでしょう。

私蓮如が思うに、真実信心を得た人は、必ずや口から念仏がこぼれ、また身の振る舞いにも仏を敬うすがたが見えてくるものです。ですので、最近では真実信心をしっかりと間違いなく得ている人は稀なように思われます。

どうしてそのようなことになるのかといえば、阿弥陀如来の本願は、凡夫の私たちのために相応したものであるのに、その本願の尊さのほどを、私たちはそれぞれ自らの身の上にわきまえられないからです。ですので、いつも信心についての一通りのことを自分は心得ているというような顔つきをして、あれやこれやと聴聞しても、それならよく知っていると思い、聴聞の言葉も耳にしっかりと入らず、ただ人のまねばかりしている様子なのだと思います。

そんな聴聞の言葉も届かない、人まねばかりしている人は、自身の極楽往生も危ういかもしれません。ましてや門徒や同朋を導き信心を勧めることなど、とうていできないことではないでしょうか。このような心持ちでは、この度の阿弥陀仏の極楽浄土への往生も難しいことです。ああ、なんと残念なことでしょうか。ただ深くこころを落ち着かせて考えてください。

本当に人間は、吐いた息を吸うのを待つことができないほどの性分です。心構えをしっかり持って、仏法と真っすぐに向き合って、御信心を決定しなければなりません。あなかしこ、あなかしこ。

1474年2月16日の早朝にさっと書きました。

数珠はどこで買う?

仏具店・数珠念珠専門店がおすすめ

通販サイトや100均ショップで買うのはおすすめしません。

おすすめは「仏具店」や「数珠念珠の専門店」で、店員と相談しながら買うことです。

「仏具店」や「数珠念珠の専門店」で買う理由
  • 仏様参りの必需品なのだから、実際に触り、自分の手になじむ数珠を選ぶべき
  • 宗派や男性女性に適した数珠を、専門知識のある人に相談できる
  • 今後糸が切れた時に、修理依頼をするときに便利

ラジオ32「仏壇屋や石材店の選び方」でもチラッと言いましたが、お住いの地域性や専門知識のある人に相談できるのは、仏具選びにおいて重要な点です。

数珠念珠の糸が切れたら?

数珠・念珠の糸が切れることなんて、めったにないと思うでしょう。

でも毎日持つお坊さんの場合は、よく切れてるんですよ。

切れるのは縁起が悪いことじゃないよ

仏様に良くお参りした証拠見出し

法事やお葬式の場所で数珠が切れると、周囲の人から

  • 縁起が悪いんじゃないの?
  • 不吉なんじゃないの?
  • お祓いしたほうがいいんじゃないの?

とか言われたりして、不安になったことがありますか。

そんなの心配する必要はまったくないです

ラジオでも言いましたが、糸が切れるほど、よく仏さまにお参りされてきたという証です。

またガラスやプラスチックのような軽い珠ではなくて、天然石のような重い珠でつくられた数珠念珠の場合は、糸が摩耗しやすいです。結果、糸が切れてしまいます。

しっかりした数珠念珠を持つ人、よくお参りをされる人ほど糸が切れやすいのは自然なことです。何の心配もありませんよ。

供養をする

糸が切れた数珠念珠はもう使えません

供養して新しく買い求める

これまでしっかり使いきってきた数珠念珠は簡単に捨てることができませんよね。

手元に保管してもいいのですが、仏さまをおまつりする寺にあずけて、供養してはどうでしょうか。その後、また新しく買い求めて気持ち新たに仏様参りしましょう。

数珠や念珠は仏様参りの際に必要な大切な仏具です。ゴミに出すようなぞんざいな扱いにはできませんよね。また当然、畳や床の上のように、私たちが踏み歩く場所に直接置くのも駄目ですよね。

修理に出す

大切な数珠はいつまでも使い続ける

糸が切れた場合は新しく買い求めたらいいのですが、そうは言っても先祖や家族から受け継いできた数珠、仏前結婚式で用意した記念の数珠は、手放したくない気持ちも当然あるでしょう。

大切な数珠をいつまでも使い続けたい時は、仏具店や専門手にて修理を依頼しましょう。

その場合は、糸が切れたら珠がバラバラと散らかり落ちると思いますけど、きちんと全部拾っておきましょう。そうしないと、元通りの数珠に修理できないかもしれません。

似たような珠の素材で代用できるかもしれませんが、大切な数珠の場合は、糸が切れた数珠の珠は拾って修理にだしましょう。


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仏事には数珠と門徒式章を身につける【過去記事】

過去記事で「数珠と式章」について書いていたので、こちらに統合します

皆さんが法事や葬儀に行くとき何を用意しますか?おそらく数珠・念珠だけは持っていくでしょう。

昔のような正装の参列者は非常に少なく、カジュアルな服装ばかりになりました。中には普段着でのお参りもあります。それでもまだ「仏様へのお参りには数珠・念珠が必要かな?」という意識が残っているのはありがたいことです。

お坊さんは仏教行事に参加する時は、「数珠と門徒式章を身につけてくださいね」と言います。その理由を説明します。なお数珠・念珠は以下、数珠で統一します。また門徒式章は宗派によって、略肩衣や半袈裟などとも呼ばれます。

数珠や門徒式章は無くてもお参りできるが…

門徒式章を身につけてお参りする人は非常に少ないです。お寺で法要があっても事前に言わなければ、ほとんどの人が肩からかけないでしょう。

また門徒式章を持っていない人、門徒式章を知らない人も多数いることでしょう。

門徒式章をつけると、お坊さんみたいに見えるので敬遠しているのかもしれません。もっと言えば、「周りの人も着けていないし、無くてもお参りできるよね」と考えているのかもしれません。

でも数珠はどうでしょうか。法事や葬儀にはじめて参列する人でも数珠だけは必要だと考えるのではないでしょうか。最近では葬儀会館でも忘れた人用に貸し出すこともあります。

数珠がなくてもお参りでますが、なにか手に持っていないと手持ち無沙汰に感じるからか、数珠は持っていく人が多いですよね。逆に言えば、墓参りやお仏壇にちょっと手を合わすときには、数珠を持たない人もいるでしょう。

数珠と門徒式章が必要な理由

煩悩を打ち消すために数珠を持つ人もいるかもしれません。でも数珠をこすっても煩悩なんて無くなりません。

数珠や式章がなくても忘れても仏様にお参りはできます。しかし数珠と門徒式章を身につ身なりを整えることが、仏様にお参りする時の礼儀作法になっているのです。

これはお坊さんも同じく、数珠と袈裟と法衣を身につけてお参りします。

仏様に参る気持ち・敬う気持ちがあれば服装や恰好なんて気にしなくてもいいと思うかもしれませんが、本当に仏様のことを想う気持ちがあるならば、自ずと服装・威儀を正しませんか。

本願寺の蓮如上人は、数珠なしのお参りは仏さまを手づかみするようなものだと戒めました。

数珠は仏様に手を合わすときの仏具で、式章は仏様に参るときの正装です。

手錠と首輪のたとえ

数珠や門徒式章はなくてもお参りできます。しかしできるだけ身につけた方が好ましいです。

むかしのお坊さんはこんなことを言って、数珠や式章の有りがたさをたとえました。

数珠は手錠であり、式章は首輪である。

例えとしては悪いかもしれないが、それだけ数珠と式章が大切だと考えていたのです。

私たちは仏様に参りなさいよと言われても、なかなかできないものです。

昔なら法事があれば小さな子供からお爺さんお婆さんまで、きちんと服装を整えてお坊さんのすぐ側まで寄ってお参りしていたのが、今では、

  • 親戚への法事の案内をしない
  • 法事に参加しても家代表で一名だけ
  • 読経の最中は奥の部屋に引っ込む

と、縁ある人がそろって仏様や故人に参ろうという姿が感じられません。

そんな私たちに対して、

  1. 数珠は手錠であり、手を合わす気持ちがない私でも、自然と両の手を合わせて拝ましてくれる
  2. 式章は首輪であり、聞く耳を持てない私を無理にでも、仏様の前に連れて行ってくれる

そんなたとえで、数珠と式章の大切さをご法話されたお坊さんがいました。

数珠に関する内部関連
  1. 疑問。数珠はなぜ擦る人がいるのかな?
  2. お坊さんは数珠の糸がよく切れる

1つ目の内容は、数珠の使い方です。

浄土真宗では数珠をこすり鳴らしませんが、他の宗派ではゴリゴリとこすることもありますよね。それについて書いています。

2つ目の内容は、今回のラジオとよく似ています。

数珠の糸が切れると縁起が悪い・不吉と心配になる人もいるかもしれませんが、お坊さんのように毎日身につけていれば、しょっちゅう切れます。

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