仏教で使われる言葉の意味.ラジオ#28

第28回目のラジオ配信。「言葉の意味」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)

お坊さんの言葉と言いますか、仏教の言葉はあまり知られていないような気もします。正しく言うと、言葉そのものは知られていても、本来あった言葉の意味が知られていないということです。

例えば、他力本願が誤用の代表例としてよく使われていますね。

「他人まかせ、他の人の結果次第」という意味で、他力本願が使われていますが、実際には、違います。

本来の意味は、「自分の思いをこえた、仏さまの働き。あらゆる人を救うと誓われた、仏さまの悲しいまでの本当の願い」が正しい意味です。

仏教の言葉の意味を知るときのコツの1つは、逆の言葉を考えてみるといいですよ。

例えば、他力本願があるなら、自力本願があるでしょうか。ちょっと考えてみてください。

正確に言えば、本願とは、仏さまだけが使える本当の願いなのですが、今では、一般の人でも本願を使ってしまっているので、自力本願でも無理やり意味をつけることはできるのですが、本願を正しい意味で使えば、自力の本願なんてないことがわかります。

ほかの例で考えてみましょうか。

浄土真宗には「極楽往生」という言葉がありますね。極楽に往生とはどんな意味かを知りたいなら、これを逆にしますとイメージしやすいかもしれません。つまり極楽往生の逆は「極苦往死(ごくくおうし・ごっくおうし)」になります。

往死は往生と違い、生まれ往くのではなく、死んで往くこと。極苦は死んでいくのは極めて苦しい世界のこと。極苦往死は極めて苦しみある世界に、死んでいくことを意味します。つまり極楽往生とは、極めて楽な世界に往きて生まれるんだなあとなんとなしに言えるのです。

言葉を逆にすれば、なんとなしに仏教の言葉の意味が分かることもあるのですが、中には、知っておかないと分からない言葉もあります。

ひとつクイズを出すので考えてください。

無学とはどんな意味でしょうか。「無い」という漢字と学問の「学」の熟語です。

無学と反対が「有学」です。「有る」という漢字と学問の「学」の言葉です。

無学の意味は、自分には学が無いからと謙遜している言葉でしょうか。

有学の意味は、自分には学があるからと、努力・才能にあふれた人だという意味でしょうか。

これは知らないと答えられないと思います。

仏教の意味では、無学は学なし、学ぶことを終え、学ぶ必要が無い状態のことをさします。つまり仏さまや悟りの境地に至った菩薩のような人に使われる言葉です。

一方で、有学は学あり、学ぶことがまだある人のことを言います。つまり自分のことをへりくだって謙遜する時は、「有学ながら」となります。

自分は無学です。といったら、どんな偉い人かと思われてしまいますね。

ちなみにお坊さんが、学のない自分のことを謙遜して言うときの言葉は、「浅学ながら」と、学が浅いという言葉を使います。

さて最近では密葬が本来あった言葉とは、違った意味で葬儀の場で使われるようになりました。こっそりと内々で身の濃い人のみでする葬儀のことを「密葬」だと今では使われています。

密葬にて葬儀を済ませましたので、香典云々は必要ありません。なんて、挨拶が使われたりしますよね

しかし密葬の元々の意味は、本葬の前にする葬儀のことをさします。つまり密葬をする場合、必ず後で、本葬もするのです。

葬儀は、本葬のみをするのか、それとも密葬+本葬をするのかになります。密葬だけというのはありません。

密葬とは、本葬という正式な葬儀をする前に、事前に、身の濃い人たちが集まり葬儀をする仮の葬儀です。

少ない人数でするとか、費用を抑えるとか、質素な簡素なとか、こっそり人に知られずという意味ではありません。

実は、私の属する宗派、真宗興正派では、つい先月、前の門主、宗派の前のトップといえば分かりやすいですかね。その人物の密葬がありました。

本山の阿弥陀堂というお堂で、役職者や門主の家族などが集まって、厳かに行われました。もちろん宗派に属する寺院すべてに密葬の日時・場所が伝えられていました。

そして今度の2020年2月3日に、本葬がまた本山の阿弥陀堂でおこなわれます。

今度は、一般の人もどなたでも参列できますし、各宗派の門主らも焼香に参列するなど、賑々しい葬儀になることでしょう。本山興正寺のホームページでも本葬のご案内がされています。

密葬をするなら本葬もする。これが正しい使い方です。

言葉というのは、常に変化していきますので、今広く使われている言葉の意味の方が大事だと考える人もいるでしょう。

しかし音の響きや漢字からのイメージだけで、言葉の意味を使うのはいかがなものでしょうか。

例えばこの10年ほどで、家族葬(かぞくそう)という言葉がぽっと火のついたように流行りました。もともと無かった造語ですし、お坊さん的には好きになれない言葉でしょう。

というのも家族がしない葬儀というのは、よっぽどのことがない限り存在しないからです。じゃあ家族葬は家族だけの葬儀かと言えば、20人未満の小規模の葬儀であったり、近所や自治体や勤めている会社に知らせないこっそりとする葬儀のことであったり、香典をいただかない・帳場を立てないことであったり、お通夜をしない葬儀だったりなどを、家族葬と好きかって言っているようです。

言葉の意味をなんとでも都合の良いように変えているのです。

テレビに出るような有名人が「家族葬」という言葉の葬儀をするようになって、ますます家族葬という言葉が独り歩きしています。

2019年にはジャニー喜多川という人が亡くなりましたね。自分の事務所タレント150名ほどが参列する葬儀のことを、「家族葬」だとして葬儀をしましたね。それって家族葬なのでしょうか?

私の住む近くには、昨年から「邸宅家族葬」の看板がある建物ができました。

なんていうことはないです。とある葬儀社が空き家を買い取って内装きれいにして、そこを葬儀会場としているだけです。それを邸宅家族葬と響きの良さそうな言葉にしただけです。

見た目はただの一軒家で葬儀をするだけですので、自宅でするのと何ら変わりません。ただ邸宅と立派そうな名前がついて、家族葬とこじんまりとこっそりと葬儀ができそうな印象があるだけです。

言葉の意味はどんどん変化していきますし、新しい言葉もどんどん造られます。しかし音の響きや文字だけを見て判断するのではなく、それがどんな意味で使われているのか、使われていたのかも知ることが大事だと思います。

浄土真宗では南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)という言葉を使い口にしますが、なぜこの言葉を大切にするのか、この言葉の意味はなんなのか、どうしてナムアミダブツなのかということを知っていくことは非常に大事なことです。

言葉を変化し作り使っていくのもいいでしょうが、元々あった言葉も軽視せず、大切にしていくべきだと思います。

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ラジオの補足

葬儀に関する私のブログ記事
  1. 密葬の後には本葬をすること
  2. 家族葬とは何だろうか?なぜ急に流行ったのだろうか

上の内容は、今回のラジオと似ています。伝えたいことは、葬儀は死という形をとおして人生最後の説法をする場であり、できる限り多くの人に参列していただきたいことです。

下の記事には、次のことが書かれています。

  • 家族葬とは何か?
  • 家族葬はいつごろから流行ったのか
  • 一般の葬儀や密葬とは何が違うのか
興正寺第三十世の本葬

真宗興正派興正寺、第三十世本賢上人(華園真凖前門主)は、2019年12月16日に亡くなられ(御遷化・ごせんげ)、20日に通夜・21日に密葬をしました。

本葬は、2020年2月3日午後1時より、本山興正寺の阿弥陀堂にて行われます。

本山興正寺の公式サイトの本葬案内ページ『第三十世門主本賢上人本葬のお知らせ

仏教用語にはどんなのがあるの?

仏教用語は仏教発祥のインドが起源とされる言葉・意味が中国日本へと伝わる中で、漢字や日本語へと変化していった言葉です。

現在でも数多くの仏教用語(仏教由来の言葉)があります。

真宗大谷派東本願寺のウェブページ『えっ!仏教語だったの?』では、よく使われている代表的な仏教用語を紹介しているのでご覧ください。

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