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第265回目のラジオ配信。「あぜ道」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
かっけいの円龍寺ラジオ
これは香川県丸亀市にいるお坊さん、私かっけいの音声配信です。
寒い1月になると、冷たい風がビュービュー吹いて、草木も茂らなくなり、お寺の周りも寂しい風景になります。
池には水がなく、田んぼは土を荒く起こし、畑には麦が小さく生えそろっている風景になります。
この前、そんな田畑の風景に、小学生の子供が田んぼと田んぼの間を一人歩いている様子がありました。
その様子を見て、私が子供の頃、20年以上昔の景色が思い出されてきたので、今回はそんな思い出話をしていきます。コンクリートのあぜ道を歩いていたお話です。
思い出話なので、もしかしたら方言が出るかもしれませんが、ご了承くださいませ。
私の住んでいるところは香川県です。
香川県は何と言っても狭いところです。
狭いところなんですが、昔は農家だらけでした。
みんな田んぼ・畑を持っていました。
私のところのお寺のご門徒さんでも、かつては9割以上が農家でした。ほとんどの家でお米やお野菜を作っていました。
もっと言えば、私のところはお寺ですけども、お寺でもお米を稲を植えていた時代があります。
香川は土地が全然ないんですが、お互いフルにめいいっぱいに何かしらの作物を植えていた時代があります。
だから畑や田んぼの間、あぜのところでも、境界がはっきりせん所でも「ここは我がとこ、我がとこ」と耕して、豆を植えたりしていたそうです。
人の土地でも勝手に何かしようとするので、それでよく揉め事があったとも聞きます。
今の時代はそんなことないですよ。田んぼ・畑をしない家がふえて、また潰して家ばっかり新しく建てています。
空き家率は20%に迫るくらいで、空き家率は全国5本から10本の指に入るくらい、空いた家だらけです。耕作放棄地がかなり増えました。
そんな香川ですが、昔からの名残か、畑・田んぼの間のあぜ道はすっごく狭いです。
私のお寺、円龍寺の周りだと、多くがコンクリートのあぜ道で、その横幅は10cmから15cmくらい、足の横幅分くらいしかないです。
おそらく全国他の地域だと、コンクリートで舗装していない、土の自然のあぜ道の風景であることも多いでしょうが、私のいる地域だと、あぜ道は横幅の狭いコンクリートになっています。
お互いの境界線をはっきりするのと、ちょっとでも畑・田んぼの作付け量を増やすためなんでしょうね。
私のイメージする香川の畑田んぼの風景は、狭いコンクリートあぜ道のある風景です。
さてそれで、私の子供のころの思い出を言うと、その狭いあぜ道を通って学校から帰っていました。
朝の行きしは集団登校で車も通る広い道をみんなで通って行ってましたが、下校の帰りしは一人や二人ボッチで帰っていたので、このあぜ道を通ることが多かったです。
小さい子供はどういうわけか、狭いところや、草木に覆われた、舗装されていないところを歩くのが好きなんですよね。
私もそういう子供だったんですが、大人になった今でもどうしてそうだったのかよく分からないです。
平均台くらいの横幅のあぜ道の上を走ってみたり、背丈以上に伸びた葦の草原の中をかき分けて寝っ転がって秘密基地だとしてみたこともあります。
また香川では田んぼの横にある用水路、水の流れる所を「いで」と言います。
このいでには水が全く流れていない時期もあります。
そういうとき、子供だった私はこのいでの中を歩いて、帰るのがなんか楽しかったです。また土地に入るための橋掛けをしているところがありますよね。そういういでのトンネルのような狭いところをくぐっていたこともあります。
今の子供たちはそんなことをしているのかわかりませんが、私が小学生だったころ、25年くらい昔かな、そのときの私は、そんな遊び、楽しみ方をしながら小学校から帰っていたなあと思い出されました。
ほんと、大人になったら、田んぼの間の10センチちょっとのコンクリートのあぜ道なんか、ふらふらと慎重に歩かないといけないのに、子供の頃はよくこの上を走っていたなあと懐かしく感じます。
いでの中もよく歩いたなあと懐かしいです。
今だと、用水路・いでの中を歩いていたらきっと危ないよと怒られますよね。
昔だからできたことなんでしょうかね。
それとも子供の数が減ったから目にしなくなっただけで、今の子供たちも、コンクリートの狭いあぜ道を通ったり、いでの中を歩いて、冒険したりしているんでしょうかね。
今回は、私の思い出話、田んぼの間の狭いコンクリートの話をしてみました。
私が知らないだけで、全国他の地域でも、田んぼ同士の境界のあぜ道は15cmほどのコンクリートで舗装されているもんなんでしょうかね。