借耕牛.ラジオ#199

第199回目のラジオ配信。「牛を借りる」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)

内容まとめ
  • 香川県(讃岐)は土地が狭い
  • 飼料を用意できず、牛を飼うのが難しかった
  • 徳島(阿波)から牛を借りるところもあった
  • 牛は大切な存在で、家族同様の存在のこともあった

かっけいの円龍寺ラジオ
これは香川県丸亀市にいる浄土真宗のお坊さん、私かっけいが、短い雑談をするラジオです。

今回のお話は、私自身の体験談ではありません。

今月の8月15日に自坊円龍寺では、納骨者の追悼法要がありました。
その法要開始一時間以上前、どなたよりも早く、円龍寺の元総代だった方がお参りに来られて、その方と住職と私と三人で雑談していた時のお話です。

内容は、その元総代さんの子どもの頃のお話で、牛や農具を借りていたということから始まります。

おそらく多くの方はご存知でしょうが、香川県・讃岐の国は、とっても狭い場所です。
昔も今も狭い場所で、それでいて雨も少ない場所です。

そんな場所なので、香川に住む人は限られた場所を最大限使うように、積極的に働いている人が多かったというそんな所です。

それプラス、狭い香川では、広い土地を持っていることが、けっこう重要なステータスでした。

お話の主役の元総代さんは、昔は貧しかったそうです。

畑仕事をしていたある日、自分が持っていた鎌や鍬によく分からない印があるのが気になったそうです。

香川では土地が狭いので、お互いの土地の境界ギリギリまで、耕そうとするので、お互いの持ち物・道具が混じる恐れがあるんですね。

それでこれは自分のものだと示すために、それぞれ独自の印をつけていました。

例えば、私のところの寺、円龍寺でも、円龍寺の持ち物には、昔は龍の文字を丸で囲った焼き印をしていました。

その元総代さんは、自分の家にある農具の印が気になってご両親に話を聞くと、この家の農具の多くは借り物ということでした。

広い土地持ちの親戚がいて、自分のところが貧しかったから、農具を貸してくれていたとのことでした。
他にも畑仕事に役立つ牛も借りていたそうです。

もちろんただで貸してくれていたわけではなくて、お米や野菜など、とれたものを一部お返ししていたそうです。

その総代さん曰く、冗談めいて、年貢と表現していました。

そんな話を聞いていた私は、ふと疑問に思って、年貢という言葉があるんでしたら、毎月納める月貢や毎日納める日貢というのもあるんですかと、しょうもない質問をしてしまいました。

すると、住職とその元総代さん曰く、月貢や日貢があったかどうかは分からないけど、基本はやっぱり年貢だよなあという返答でした。

というのも、お米といった農作物は取れる時期が限られていて、毎月納めることはできないですし、牛を借りるにしても、年単位で借りていたため、一年に一回納める年貢という形が自然な形だそうです。

そこから話は膨らんでいき、昔は牛を借りていた家が多かったなあという話題になりました。

私の父である住職が子どものときも、お寺の周りでは牛を使って農作業をしていました。

今でこそ、耕運機といった機械を使うのが当たり前ですが、昔はそんな機械がなくて、昭和40年頃になるまでは、ここ香川では、多くのところで牛を使っていました。

それで私の住んでいる丸亀、香川の西の方の話ではなく、東の高松や南の山あいの地域では、阿波の徳島県から、牛をよく借りていたそうです。

徳島は草地が豊富で牛が多く、その牛を畑の労働力として、香川の人が借りていたわけです。
そしてお礼に香川でとれたお米や野菜をお返ししていました。

牛の借り方にもいろいろあったそうで、とにかく牛を働かせてやせこけて牛をお返しすることもあったそうです。
もちろん貸し主の方もそれを分かって、牛を貸していたそうです。

そんな風に、農繁期のときだけ借りて牛を使い倒すというのもあったそうですが、中には、一年以上牛をずっと借りっぱなしというのもあったと聞きます。
そうなると、借りている牛・畜生の牛ではあるんですが、家族同様な関係にもなったそうです。

今現在、円龍寺のご門徒さんで、牛を飼われている家はほぼありませんが、数十年前までは牛のいる家はいくらかありました。

これは私の住職が経験した話ですが、あるご門徒さんが、家の牛が病気で亡くなったから、埋める前にお勤めをしてほしいとの相談があったそうです。

浄土真宗の教義では、牛にお経を唱えることで、牛が極楽浄土に往生できるかは分からないですよと、いうニュアンスでお伝えしても、それでも良いので、埋める前にお勤めしてほしいとのことでした。

そんな風に、狭い香川県の人にとって、牛は労働力であると同時に、中には家族同様の気持ちで暮らしていた人もいたというわけです。

ちなみに先ほども言いましたが、阿波・徳島から牛をかりていたのは、香川の東や山あいの地域の風習で、私の住んでいる西の海の方の丸亀では、阿波・徳島から牛を借りることはなかったそうです。

それでここらでは、牛を家で飼うことができれば、一人前と言われたそうです。

というのも牛を飼育するのは香川ではけっこうたいへんだったそうです。
牛が食べるわらを用意するには広い土地をもっている必要があるからです。

それで私の方では、牛を飼っている家は、まず自分のところの畑に牛を使って、それから周りの家に牛を貸し出していたそうです。

そんな風な昔のお話を聞いて、へえ~と面白いなあと思っていたわけなんですが、もうひとつ疑問がでてきて、馬についても聞いてみました。

土地が狭い香川では牛を飼育するのが難しくて、牛を借りることが多かったそうですが、馬はどうなんですか?

ご門信徒さんの中には、昔、馬を飼われていた家もありましたよねと質問しました。

するとこんな風な答えが返ってきました。

馬は引くもの、牛は追うものというように、馬と牛では役割が違うとのことでした。

牛はパワーがあって、追い立てて畑の土を耕すのに力を発揮するそうです。

馬もパワーはあるんですが、耕すよりも物を運ぶ方に力を発揮するそうです。
そんな話を聞いて、なるほど、狭い香川だから、運ぶ距離は短いんだから、わざわざ長距離輸送の馬を持つ必要性は乏しいんだなと妙に納得しました。

牛でも物を運ぶことができますしね。

そんな風に、馬を飼う家もありましたが、土地が狭く、土地をできるだけ使おうとする香川の人からすると、牛は本当に大切な存在だったんだなあと、その8月15日の元総代さんと住職との昔話から、感じたところです。

以上、今回の199回目のかっけいの雑談は終わります。

こういう仏教行事のありがたいところは、昔のいろんな人の話を聞く機会があることだと思います。

最近は親戚であっても顔を合わす機会は少なく、今回のような貴重な話を聞く機会は減っているんだと思います。

もちろん親戚でなくても、ご両親や兄弟や家族とも顔を合わせてお話をする機会が減っていると思います。

お盆やお彼岸、法事など、色んな仏教行事がありますので、そういった機会を積極的に設けて、参加して、お話をしてみるのもいいのかなあと思います。

また今度は8月31日に、丸亀では燈籠流しという仏教行事があります。

丸亀の燈籠流しはお盆にお飾りした灯籠を焚き上げる行事です。もし燈籠流しに参加されるご家族がいるのであれば、ご一緒に参加されてはいかがでしょうか。

「円龍寺かっけいラジオ」では、番組へのメッセージを募集しています。ご感想や取りあげてほしいテーマなどもお寄せ下さい。



    メール内容は暗号化され、安全に送信されます。

    タイトルとURLをコピーしました