「第一」という言葉はどちらを向いているか.#319

第319回目のラジオ配信。「第一・ファーストの向き」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)

内容まとめ
  • 「〇〇ファースト」という言葉に少し引っかかりを感じています
  • 「ファースト」は強く、分かりやすく、心をつかむ言葉
  • もともとの「第一」はそんなに強い言葉だったのだろうか
  • 第一は自分を持ち上げることでなかったと思う
  • 他者を下に置く言葉ではなく、相手に向いている言葉
  • もっと優しくあたたかい言葉だったのではないだろうか
  • 私たちは油断すると自分中心になりやすいからこそ、「第一」の向きを問い直したい
  • 「ファースト」と言うなら、自分のためではなく誰かのためであってほしい
  • 今使われる「ファースト」、そして自分の中の「第一」はどちらを向いているのか?

かっけいの円龍寺ラジオ

これは香川県丸亀市にいる浄土真宗のお坊さん、私かっけいの音声配信です。

今回は、「第一」という言葉をテーマにして、短く雑談をしていきます。

最近、「〇〇ファースト」という言葉を耳にすることが増えたように感じます。

ファースト、つまり「第一に・一番に・最優先に」という意味でしょうね。

響きの強い言葉ですね。

短くて、わかりやすくて、気持ちをぐっとつかむ力があります。

でも私は、ファーストと言う言葉を耳にすると、ときどき、ほんのちょっとだけ引っかかることがあります。

ファーストがもつ言葉の意味、「第一」は、 本来そんなに強い言葉だったのかなあ、と。

たとえば昔からある言い方で、 「安全第一」というのがありますよね。

安全第一という言葉は、効率よりもスピードよりも、目先の利益よりも、まずは怪我をしないように、無事であることを大切にしよう、という意味ですね。

ここには、誰かを押しのける響きはありません。

「みんな無事でいてほしい」という願いが前に出ています。

他には例えば、「お客様第一」もありますね。

これも本来は、自分たちの都合よりも、目の前の相手・お客さんの優先・利益を考えよう、という姿勢をあらわしていますよね。

または、「子ども第一」という言い方もきっとありますよね。

これは大人の事情よりも、まず力の弱い・立場の弱い子どもの安心や成長を大切にしよう、見守ろうという思いがあるでしょう。

こうしてみると、昔から使われてきた「第一」という言葉には、どこか自分ではない「相手のために」という方向性・向きがあったように私は感じます。

自分のことを一番にする、というより、他に大切にすべきものを、前に置こうとする。そんな柔らかさがあったのではないでしょうか。

ところが最近耳にするようになった「〇〇ファースト」の言葉は、 少し様子が違う気がするときがあります。

自分たちのことを最優先にする。まず自分らのことを守る。自分が一番だ、と。

もちろん、自分たちを大切に思う気持ちは自然なことです。

それ自体が悪いわけではありません。

ですが、自分で自分のことを「私たちが・私が、ファースト・第一です」と言いはじめたとき、その言葉はどちらを向いているのだろう、と考えてしまいます。

「第一」という言葉は、自分で自分に対して名乗るものなのか、それとも、誰かのために使うものなのか。

実は、仏教のお経文の中にも「第一」という言葉があるんです。

浄土真宗が大切にしているお経『仏説無量寿経』の中にも何度も出てきます。

その中でよく知られているのが、「国土第一」という言葉です。

これは浄土真宗の仏様、阿弥陀様が、まだ仏さまになる前に立てられた願いです。

私が仏になるのであれば、そのお浄土の世界は何よりも素晴らしい世界にすると誓われた言葉です。

けれども私は、阿弥陀様が誓われた第一とは、どこかと競って勝った、という意味ではないと思うのです。

阿弥陀様が誓われた第一の国土は、そこに生まれたいと願ったすべてのいのちが、安心して生れることができる世界。誰も漏れることのない、追い出されない世界。

阿弥陀様はどのような人も見捨てない仏様。だから阿弥陀様の国土は「第一」という言葉が使われているのだと思います。

自分が上だという第一ではなく、他者を含めあらゆるすべてを包むという第一。

私はお経文に出てくる第一という言葉は、そういう第一なのではないかなあと思っています。

私たちは放っておくと、どうしても「自分中心」の世界になります。

時間がないとき、余裕がないとき、まず自分、自分、となってしまう。自分のことばかりに目がいってしまいます。

それは私自身もそうです。私だって、自分のことが第一に・ファーストになってしまうことがよくあります。

だからこそ、もし「ファースト」という言葉を使うのなら、それはせめて、自分のためではなく、目の前の誰かのためであってほしい。

私はそんなふうに自分自身への戒めの気持ちを込めて、思うのです。

「安全第一」と言うとき、 それは辛く苦しい現場で働く人のいのちを守るための言葉です。

「お客様第一」と言うとき、 それは目の前の相手に喜んでもらえるように、向き合うための言葉です。

「子ども第一」と言うとき、それは子供たちが健やかに育ってほしいという思いやりの言葉です。

いずれにしても、自分で自分を持ち上げる言葉ではありません。

相手に向いている言葉です。

仏教でいう「第一」も、同じ方向を向いているでしょう。

誰かの存在を下に置くための言葉ではなく、誰かを大切にするための言葉。

自分とは違う、目の前のいのちを大切にする思い。

「第一」という言葉は、もともとは、 とても優しく相手を思う暖かい言葉だったのではないでしょうか。

今日この頃使われているファーストと言う言葉、そして、私の「第一」はどちらを向いているのだろうか?

自分の方に向いている、自分のためにある言葉なのか。

誰かのために向いている、相手のためにある言葉なのか。 

「ファースト」という言葉を最近耳にするたびに、 私は少し立ち止まります。 

私の中にある「第一」は、 いったいどちらを向いているのだろうか、と。

今日はそんなことを、少し考えてみました。


かっけい
かっけい

音声では「第一」という言葉の向いている方向についてお話しました。

以下では、少し視点を変えて「ファースト」という響きそのものについて考えてみます。

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「ファースト」という言葉の奥にあるもの

私がこの「ファースト」という言葉を聞いてまず浮かぶのは、スピードと優先順位の世界です。

  • 早い者が得をする
  • 先に動いた人が有利になる
  • まず自分を守る

短くて、強くて、断定的。どこか緊張感をまとった言葉です。

そこにはうっすらと「競争」の匂いがあります。

強さの印象とその裏側

「ファースト」は力のある言葉です。

立場を明確にし、迷いを断ち切り、世界をすっきり整理してくれます。

けれども同時に、もう一つの印象もあります。

それはこの言葉は本当に強さだけでできているのだろうか、という問いです。

「ファースト」と言わなければならないとき、その背景には何があるのだろうか。

  • 置いていかれるかもしれない
  • 奪われるかもしれない
  • 守られないかもしれない

そんな不安がどこかにあるのではないか。

だからこそ「まず私を・まず私たちを」と、言葉にして確保しようとする。

強い言葉の奥に、実は弱さや怖さが隠れていることもあるのではないか。

もし一文で表すなら、私はこう感じます。

ファーストという言葉は、強さの顔をしているけれど、その奥に不安を抱えている言葉。

あるいは、

ファーストは、世界を一列に並べようとする言葉。

順番を決めることは安心を生みます。しかし同時に、その列からこぼれ落ちる不安も生みます。

仏教における「第一」という考え方

浄土真宗で大切にされている『仏説無量寿経』にも、「第一」という言葉が出てきます。

「国土第一」(讃仏偈より)

そこにある第一の思いは優劣の順位ではありません。

  • 誰も漏れない世界
  • 排除されない世界
  • 安心してゆだねられる世界

競って勝つ「第一」ではなく、包み込む「第一」。

同じ言葉でも向いている方向がまったく違います。私はそう感じます。

言葉が形づくるもの

私たちは言葉を使っているつもりで、実は言葉に形づくられています。

はっきりした言葉を選べば、世界もはっきりした輪郭で見えてきます。

単純な言葉を選べば、複雑さを切り落とした世界が現れます。

それが悪いということではありません。人は迷い続けるのが苦しいときもあります。

ですがそんな時こそ、ときどき立ち止まってみませんか。

  • この言葉は、何を守ろうとしているのだろう
  • この言葉は、何を見えにくくしているのだろう

そう問いかけるだけでも、言葉との距離は少し変わるように思います。


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「第一」の向きを考える

「第一」という言葉は、本来とても温度のある言葉だったのかもしれません。

誰かを押しのけるためではなく、何を守るかをはっきりさせるための言葉。

その向きが自分の内側に閉じているのか。それとも外へと開いているのか。

すぐに答えを出す必要はありません。

ただ心のどこかに問いを置いておく。私の中にある「第一」は、いま、どちらを向いているだろうか。と。

音声とあわせて、そんなことを静かに考えていただければうれしく思います。

2026年の郡家別院の彼岸会では、「自分ファースト」という言葉を「供養」や「仏仏相念」の言葉からひも解いてみた文章を書いています。
よかったら、そちらもお読みください。

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