お坊さんはなぜ縁側からあがっていたのか.#320

第320回目のラジオ配信。「縁側からの出入り」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)

内容まとめ
  • 昔の法事ではお坊さんは縁側から家にあがっていた
  • 仏間への導線や、仏事を大切にする意味があった
  • 葬儀の出棺にも玄関ではなく縁側が使われていた
  • 住宅環境も皆さんの認識も変わってきた
  • 今は玄関から出入りしても問題ありません
  • 大切なのはどこから上がるかではなく、仏さまや亡き人を敬う心

かっけいの円龍寺ラジオ

これは香川県丸亀市にいる浄土真宗のお坊さん、私かっけいの音声配信です。

今回は、昔の法事では、お坊さんは玄関ではなく「縁側」から家にあがってお参りしていた、ということをテーマにしてお話していきます。

私が普段お参りしている場所は、香川県の丸亀市や多度津町、善通寺市あたりです。

昔はお参りの際、お坊さんは玄関ではなく縁側から仏間・お座敷にあがる、という習慣がありました。

私も住職から、お参りの時は玄関からじゃないよと、教わりましたし、縁側からあがるのが丁寧なお参りの作法だと聞いたこともあります。

けれども今はどうかというと、縁側から出入りするお宅は珍しくなりました。

祥月命日など普段のお参りだと5軒ほど。法事のときでも10軒あるかどうか。縁側からあがってお参りする家はかなり減りました。

そもそもなぜお坊さんは縁側からあがっていたのでしょうか。不思議ですよね。

これって、私のところだけの話なんでしょうかね。

全国でも普通にあったことなんでしょうか。

それとも宗派の違いなのか。

地域性なのか。

あるいはお寺ごとの慣習なのか。

実は私も、よく分かっていないんです。

私の想像ですが、縁側から上がるというのは、地域性や家の造り、そしてそのお寺ごとの慣習による部分が大きいような気もします。

だから所によったら、お坊さんは縁側から上がるなんて習慣は絶対ないというところもあると思います。

それで、じゃあ、なぜ私のところでは玄関よりも縁側から出入りしていたのか、私なりに理由を三つ考えてみました。

一つ目は、縁側からだと直接、仏さまをおまつりする空間に入ることができるからです。

昔の家の中心は仏間、仏さまの空間です。

その仏さまの空間を生活の場である台所や居間を通らず、外から直接、まっすぐと向かうことができるのが縁というわけです。

仏事の導師としてお参りに来たお坊さんの導線として、縁から出入りするのはとても理にかなっているように思います。

二つ目は、生活空間をあまり見せないためではないでしょうか?

玄関とは言いながら、一般のご家庭で言えば、生活するためにも使っている表口です。

ご家族の普段の暮らしと、お参りの場を分けるために、あえて玄関ではなく縁側から出入りしたのではないでしょうか。

仏事のお参りのためにお坊さんは来ているので、そういった普段の日常生活の雰囲気とは少し距離を保って出入りしてもらう。そんな意味合いがあったのではないでしょうか。

三つ目の理由も、少し似たようなことになりますが、特別感を作るためではないでしょうか。

縁側から出入りすることで、「今日は法事なんだ」という、いつもと違う空気が生まれる。日常と非日常の切り替えが生まれるのではないかと思うんです。

私自身は縁側から出入りするこの感覚、けっこう好きなんです。今日は、普段家にあがるのとはまた違った風を感じるんですね。

しかし、なぜ縁側から出入りするのが減ったのでしょうか。これもいくつか理由を考えてみました。

まず第一に、家の造りが変わりました。

縁側そのものがない家も増えましたし、あっても仏間と外が直接つながっていない場合もあります。だから縁側から入ってもまっすぐダイレクトに仏さまをおまつりしている空間にそもそもいけないのです。

二つ目は、意識の変化です。現代では、玄関こそが家に出入りするための正式な出入口という感覚が強まったのだと思います。

だから縁側から上がるという習慣自体を知らない人たちもいるのではないでしょうか?

三つ目は、実用面の問題です。

実は縁側からの出入りはちょっと苦労します。

沓脱石が小さかったり、その石から縁にあがるまでの段差が高かったり、雨の日は滑りやすかったりと、履き物の脱ぎ履きが大変なこともあります。

高齢になればなるほど、縁側から出入りするのは難しくなります。

そして最後四つ目の理由。

私はこれが意外と大きい理由だと思っています。それは「お坊さんも玄関からどうぞ上がってください」という空気になったことです。

私も経験がありますが、法事にお参りに行った際、縁側から入ろうとしたら鍵がかかっていた、ということがありました。

そうすると仏間にすでに座っている参列者の人たちはどうしたどうした何で開けていないのと、施主さんに気を遣わせてしまったことがあります。

縁には物が置かれていて、急には縁から出入りできません。だから玄関に周り、仏間に入ります。
そうなると、お坊さんも施主もお参りの人たちもお互いに気まずくなります。

だから最近は、家の人から「縁からどうぞ」と言われない限り、玄関から入るのが無難、という流れになっているのだと思います。

縁側からではなく玄関から上がるようになった理由をいくつか考えてみましたが、実際はどうなんでしょうかね。ご存知の方がいらっしゃったらぜひ教えてください。

ちなみにこれはお坊さんが他のお寺の法要に行くときでも同じことが言えます。

私が他のお寺の法要に参らせていただくときは、そのお寺の玄関からあがっているところがかなり多いです。あるいは本堂の正面から上がっているお寺もあります。

ただ、ごく一部のお寺では、今でも縁側に沓脱石があり、そこから出入りしているところもあります。本当に少ないですがそういう縁からあがるお寺もあります。

なので、宗派や地域で一律に決まっているというよりは、地域の家の構造・建物の作りと、昔からの慣習が重なってできた文化なのではないでしょうか。

ここで、一つ気になることがあります。

昔は葬儀と言えば家でしていましたよね。

家で葬儀をしていた時、最後棺を出すのは玄関ではなく縁側から、という家が多かったように私は記憶しています。

皆さんの記憶ではどうですか?
私は棺は玄関を通らず、仏間・お座敷からダイレクトに縁を通って外に出していたと記憶しています。

はっきりとした理由を説明できないですが、やはり縁側から出入りするのには、「今日のこの仏様参りが日常とは違う、特別な時なんだよ」というのを表しているのだと思います。

もちろん単に、玄関より縁側の方が広いことが多く、棺を出しやすかったという事情もあったかもしれません。ただ縁は確かに玄関よりも広いですが、高さもあり、靴を脱ぎ履きするところも狭いので、出入りのしやすさは玄関の方が楽だと思いますよ。

今は家で葬儀をするのは珍しくなりましたが、それでも家で行う場合は、縁側から棺を出していることが多いように思います。

これもやはり地域性なのでしょうか?

ただ、時代は変化し続けています。

家の造りも生活様式も変わっています。

昔は縁側からお坊さんが出入りしていたという形に無理にこだわる必要はないと思います。

大事なのは、玄関から入るか、縁側から入るかではなく、仏さまを敬う気持ちがあるかどうか。今日の仏事を丁寧に勤めるかどうかに尽きると思います。

そのうえで、もし「今日は縁からどうぞおあがりください」と言っていただけるなら、その気遣いと、その少し特別なお参りの空気をありがたく大切に味わいたいなあと思っています。

この縁側から出入りする習慣も、いずれ姿を消すような気がします。

けれどもまだそれぞれの思い出の中にあり、こうして「ああ、昔のお参りはそうだったなあ、あっちからあがっていたなあ」と語り合うこと自体が、また一つの家でする仏事のご縁になると思います。

今回は、昔のお坊さんは縁側から出入りしていたことをテーマにお話をしました。

もし皆さんの地域ではどうだったか、よかったら教えてください。今でもお坊さんは、縁側から出入りをしていますか?


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昔の法事でお坊さんはなぜ縁側から家にあがっていたのか?

かっけい
かっけい

香川県丸亀にいる円龍寺のお坊さんのかっけいです

あなたは昔、法事やお参りのときにお坊さんが玄関ではなく縁側から家にあがっていたという話を聞いたことがありますか?私は普段、丸亀市・多度津町・善通寺市あたりでお参りしていますが、かつてはそのような作法が地域にありました。

現在ではほとんど見られなくなりましたが、なぜ縁側からあがっていたのでしょうか?またその習慣は全国的にあったものなのでしょうか?

縁側はただの空間ではない

縁側とは日本家屋特有の屋内と屋外の中間にある空間です。

建築としては庭と室内をつなぐ場所ですが、外の風景を取り込む「くつろぎの場」でもありました。

縁側には

  • 庭とのつながり
  • 近所の人との交流の場所
  • 居間と仏間への導線

といった役割があり、住まいと人との「ご縁をむすぶ場所」でもありました。

仏教において「縁(えん)」とはすべてをつなぐ関係性そのものです。縁側が「縁」と名付けられたのも、いろんな存在とのつながりを象徴する場所だったのではないでしょうか。

お坊さんが縁側から出入りした三つの背景

仏間への最短導線として

昔の家では仏間が中心的な空間でした。旧家では仏間(お仏壇がある部屋)が家の中央に置かれていることもありますよね。

縁側は仏間に最も近い出入口であり、生活空間を通らずに仏さまの前にまっすぐ向かうことができました。

お坊さんは仏事の導師として訪れるので、この仏さまへの導線が重要視されたと私は考えます。

生活空間と非日常を分けるため

玄関は日々の生活で最も使われる出入口です。

現代では当たり前ですが、昔からそうだったわけではありません。

日常の出入りと仏事の出入りを分けることで、仏事の時間を特別に心を整えて過ごすために縁側が使われていたのではないでしょうか。

仏事の特別感をつくるため

縁側から入る行為自体に、「今日は法事だ」・「今日は特別な日だ」という空気感をつくる効果があります。

これは単なる形式ではなく、訪れる方の心を整えるための工夫でもありました。

文化的・家庭行事との関連

調べてみると、仏事以外でも縁側は大切にされていました。例えば、

  • お嫁さんが結婚のとき縁側から入った
  • 出産後、赤ちゃんと一緒に縁側から家に入った
  • 家での葬儀、出棺のときも縁側から出ていった

という例があります。

どれも「生活の入口ではなく、仏さまの前を通る入口から始める」という共通点があります。

なぜ縁側からの出入りは減ったのか?

昔は縁から出入りすることもありましたが、現代では縁側からあがる家はほとんどありません。

私は次の理由が大きいと考えています。

縁側からの出入りが減った理由
  • 家屋の構造の変化:縁側そのものがない家が増えた
  • 玄関が正式な入口として定着:生活動線も仏事動線も玄関が中心になった
  • 安全・実用面の問題:段差、雨天時、足腰への負担などがる。特にお年寄りには辛いです
  • 気まずさや施主への配慮

気まずさや施主への配慮

気まずさや施主への配慮はお坊さんの私ならではの理由ですが、今で仏事でお参りに行っても、家の人が縁側を開け忘れたり、縁に物が置かれていて出入りしにくいことがよくあります。

それにより「縁側から入ろうとして気まずくなった」、「縁側の方に向かっていたお坊さんが玄関に戻ってきた」という経験をしたことがあります。

そうなると仏事の主催者も施主は、準備不足でちょっと恥ずかしさを感じてしまいますよね。

施主に恥をかかせないために、お坊さんも施主から「縁からおあがりください」と言われないかぎり、縁方向には向かわないようになってしまいました。

「出入口ではなく心」が大事

ここまで書いてきましたが、縁側から出入りする大きな目的は仏さまを敬う気持ちを整えることだと私は思います。

家にお参りするときの形式が変わること自体は悪いものではありません。

玄関から・縁側から(他、裏口・勝手口などから)入るにしても、

  • 仏さまへの敬い
  • ご先祖とのつながり
  • 今日の仏事を丁寧に勤めること

大切なことはこれらに尽きます。

皆さんもコロナ禍のとき経験しましたよね。リモートで画面越しで遠方からのお参りを。仏事へのお参りの仕方は時代やその家の状況によって変わります。大事なのは仏さまや先祖を敬い供養することです。


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あなたの地域ではどうでしたか?

皆さんの地域では

  • お坊さんはどこから家にあがっていましたか?
  • 縁側はどのように使われていましたか?
  • 仏事以外ではどうしてましたか?
  • 今でも続いているお参りの習慣はありますか?
  • お坊さんだけでなく、お参りの人たちも縁から出入りしてましたか?

おそらくお参りの仕方は、地域ごとに違っていることでしょう。

昔の仏事の風景を語り合うことも、一つのご縁になると思っています。


Q
お坊さんはなぜ縁側から家にあがっていたのか?
A

昔の日本家屋では仏間が家の中心にあり、縁側から入ると生活空間を通らず直接仏間へ向かうことができました。日常と仏事を分ける意味もあったと考えられます。

Q
今は玄関から入っても失礼にならないのか?
A

現代の住宅事情では縁側がない家も多く、玄関から入ることが一般的です。どこから出入りするかよりも、仏事のご縁を通して仏さまや先祖を敬う気持ちがずっと大事です。


このブログを書きながら祖父の言葉を思い出しました。

「お寺にお参りする時は、必ず山門(正門)から入ること」「仏様参りのときは、駐車場に近いからと裏口や勝手口・通用口から出入りしたらダメだよ」と。

どこから入っても一緒でしょ。と思われるかもしれませんが、やはり仏様を敬う気持ちを整えるには入るときからすでに、お参りの心持ちが始まっているのだと私は思います。

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