大きな建物が建ちお寺が見えにくくなる.#217

第217回目のラジオ配信。「お寺が見えにくくなる建物」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)

ラジオテーマの内容まとめ
  • 自坊円龍寺は香川県丸亀市金倉町にあるお寺
  • 円龍寺の北に、東西200m南北100mほどの敷地の工場?倉庫?社員寮ができるらしい
  • お寺の近くに大きな建物ができるのはあまり喜ばしくない
  • お寺が見えにくくなるから
  • お寺を意識しにくくなるから
  • 仏さまのことや仏教とのご縁に出あう機会が、日常の生活から消えてしまうかもしれない
  • 五山の送り火は京都の街中から見えにくくなった
  • 宗教的なこと、文化的な体験が失われるのは寂しい
  • 生活のなかに目に見える形で、お寺が溶け込んでいる景色が私の理想

かっけいの円龍寺ラジオ

これは香川県丸亀市金倉町にいる円龍寺のお坊さん、私かっけいが、短いおしゃべりをする音声配信です。

今回のテーマは、お寺の近くに大きな建物ができて、お寺が見えにくくなるかもしれないことをテーマにお話していきます。

数か月前のことですが、私のとこのお寺、円龍寺の北側に工場ができるかもという噂話がたっていました。

円龍寺の北側には、田んぼや畑が北にある東西に走る道路のところまで広がっています。東西に走る道路までは、おおよそ200メートルくらいの距離があるでしょうか。

元々はお寺の北側には田んぼと畑しかなかったですが、ここ10年ほどで、5・6軒の家が立つようになりました。

それでも新しくたった家は、お寺から少し距離を置いたところにあって、お寺を隠したり、お寺をのぞき込むようなことをしない配慮がされていました。

ところが、数か月前から、円龍寺の北に新しく工場ができるかもという話がでてきました。

昔から、円龍寺の北側には、パチンコ店やスーパーマーケットができるかもしれないという話は何度かありました。

ですが、どういうわけか、どの話も途中で立ち消えて、結局円龍寺のお寺の北側には、大きな建物はこれまで出来ていませんでした。

実際これはありがたいことで、あんまりお寺の近くに大きな建物が出来るのはお寺の人間からしたら喜ばしくありせん。

理由はお寺が見えにくくなるからです。

お寺の存在が風景から感じにくく、分かりにくくなるからです。

別に私のところは、京都にあるような歴史的なお寺、芸術性の高いお寺ではありませんが、たとえそうでなかったとしても、それぞれのお寺は皆様の信仰の場所、仏さま参りの場所です。

お寺が視界から消え、見えにくくなるということは、それはお寺を意識しにくくなるということです。それはやがては、仏さまのことや仏教とのご縁に出会う機会が日常の生活、移動の中から消えてしまうことになると思うわけです。

極端な大きな例をあげると、京都の街の景観も昔だいぶ問題になりましたよね。

京都は古い歴史的な建物、お寺が多く、昔からお寺の伽藍・お堂を隠すような建物、高さのある建物は極力立てるのを控えるようにという考えがありました。

しかし今から70年ほど昔に京都駅の目の前・正面に、京都タワーができて、だいぶ京都の様子が様変わりしたようです。

京都のどんな寺社仏閣よりも大きなタワーができて、京都の街、お寺や神社を見下ろすような建物ができました。

今では京都のシンボルと言えば京都タワーで、京都に観光に来る人が一番に京都に来たという実感を得るのは、京都タワーでしょう。

ですが、それは京都の建物が、京都タワーをはじめ、お寺や神社を街並みを隠すような建物が新しく多くたったからだと思います。

それこそ、つい半世紀前の昔の京都を知る人たちが、電車にのって京都駅に向かうとき、まず一番に見ていたのは、京都で一番高さのあった東寺の五重塔、それと、西本願寺と東本願寺の両本願寺のお堂でした。

電車の中から、こういった京都のお寺が近づく様子をみて、京都に来たんだなあ〜、古都京都にお参りしているワクワク感があったと言いますが、今では、お寺の姿なんかほとんど見えません。

京都タワーが立つ頃、日本画科の巨匠の東山魁夷が、川端康成から、「京都は、今描いていただかないと、なくなります。京都のあるうちに、描いておいてください」という言葉を受け、京都の風景をかいたのも、今思えば、的を射ていたなあとおもいます。

もちろん今の京都の風景が昔と比べて悪くなったという、そんな話ではなくて、お寺や神社という、信仰の場所、お参りの空間、宗教を身近に感じられる場所が、だんだんと私たちの視界から消えてしまうのは、寂しいなあと感じるところです。

それこそ、これは聞いた話なのですが、京都には五山送り火という夏のお盆に、山に火をつけて、亡き人をおくるという宗教的イベントがありますよね。

高い建物が建ち並ぶようになった今では、京都の街中にいても、五山送り火を目にするには、あっちにいったりこっちにいったりと見る場所をいろいろ変えないといけないですが、昔は、京都の街中、洛中のどこからでも五山送り火をすべて見ることができたそうです。

高い建物が立ってしまった今ではもちろんそんなことはできません。

大きな建物ができるのが悪いわけではありませんが、そういった宗教的なこと、文化的な体験が失われるのはそれはそれで寂しいと思います。

さてそれで話は戻って、私のとこのお寺、香川県丸亀市の円龍寺の北に工場ができるかもという話ですが、つい数週間前に、公民館で、地元の人を対象とした会社からの説明会がありました。

その説明会によると、現段階では、工場ではなく、倉庫と管理建物の事務所、それと社員寮をつくろうと考えているとのことでした。

工場ではないようですが、大きな敷地建物ですし、寮もできるようで、面積的にも東西約200m南北約100mとけっこうな広さです。

まだ申請は出していないのでどんな建物ができるのかは分かりませんが、建物が実際にできるのは数年後のことになるそうです。地元の住民からすると、工場だけでなく、社員寮ができるかもという話も不安になったようです。

というのも、お寺の周辺、特に南の方は、生活道路といいますか、狭い道が多いです。

生活する地元の人は、事故のないように速度を出さずに走っていますが、ここ数年地図マップのナビアプリの精度がよくなったからか、このお寺の周辺の狭い道を抜け道として使う車や自転車やバイクがぐっと増えました。

特に朝夕の通勤通学時間は、交通量が増えました。

地元の人からすると、速いスピードで走る車や、見知らぬ人たちが多く移動するようになり、地元の人なのに、朝夕の通勤通学時間に家から道路をでるのを遠慮するようになったり、そもそもこの時間に外に出るのを控えるようになりました。

そんな風に、円龍寺の近くに、大きな工場?倉庫?社員寮ができるのかを不安に感じている人もそれなりにいます。

それこそ、工場やパチンコ店やスーパーマーケットができるかもという話の前に、お寺の北200mほど離れたところにコンビニが10年以上昔できていたことがあります。

コンビニができてよかったなあという人もいましたが、そうでない人もいました。

その理由は、一つは地元の人がよく使う狭い道、生活道が、コンビニができてから交通量が増え、交通マナーが悪くなったこと。

もうひとつはゴミがよく捨てられるようになったからです。

お寺の北側には田んぼや畑がひろがっています。

コンビニが出来てから、田んぼや畑にゴミが捨てられるようになりました。

不思議な話ですが、どういうわけか、コンビニで買い物をした人が、わざわざ200メートルほど南に離れたところにあるお寺、円龍寺まで来て、駐車場に車をとめたり、お寺の境内内で飲み食いをするようになっていました。

それでいて、その食べたものをお寺に捨てたり、夜遅い時間にたむろったりと、コンビニができて良かったという人もいれば、困ったという人もいました。

そんな風に、お寺の近くに、工場のような大きな建物、コンビニやパチンコ店のように人が集まる建物も、良い面もあるでしょうが、よろしくない面もできてくる可能性もあるかもしれないと考えないといけません。

今後、数年ほどで、円龍寺の北側には、お寺が見えにくくなるような建物が出来ると思われます。

お寺が見えにくくなり、存在感が失われるのは悲しいことだなあと思います。

それこそ、私の父、今の住職が子どもの頃だった60年ほど昔は、北にある多度津の海がお寺から見えていたといいます。

距離で言えば2キロメートルほど先です。

今では、お寺と海の間にはスーパーがあったり、家が立ち並んでいるので、絶対に見えるはずがありませんが、60年ほど昔はお寺から多度津の海が見えたそうです。

そんな話をご門徒さんにしますと、こんな話も聞くことができました。

お寺の北2キロメートル先には、丸亀駅と多度津駅を結ぶ線路があります。

戦後間もないころ、お婆ちゃんと一緒に汽車にのって丸亀から多度津に行くときに、走る汽車の中からおばあちゃんが、あれが円龍寺のお寺の建物やでと、2キロほど南にある円龍寺のお寺を指さして教えてくれた覚えがあるとお話してくれました。

今では到底考えられないやりとりですが、これがお寺が生活のなかに目に見える形で溶け込んでいる景色だとも思えます。

お寺の周りに大きな建物が建って、お寺が見えにくくなる感じにくくなるのは残念なことだなあと思います。

以上で、今回のお話を終えます。

最後に、この音声の大元のアップロード先の円龍寺ブログの方では、今から60年前に香川県丸亀市金倉町円龍寺の周辺を撮影した写真をのせておきます。

ご門徒さんの宮武利夫さんが、お寺の近くの金倉川横にある消防屯所の火の見櫓の上からとった写真です。

10mほどの高さからとった写真で、この音声をのせているブログ記事の方では、360度のパノラマ加工したやつも載せておきます。

昔の金倉円龍寺の周りの風景がどんなものだったのか、お寺がどれくらい目立っていたのか、よかったらご覧くださいませ。

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1960年代ごろの香川県丸亀市金倉町の風景

かっけい
かっけい

写真を撮ったのは円龍寺ご門徒の宮武利夫さんです

クリックするとリンク先で拡大されます

写真情報
  • 撮影者:宮武利夫様
  • 撮影場所:金倉橋東の消防屯所の火の見櫓
  • 撮影ポイント:香川県丸亀市金倉町周辺
  • 撮影時期:1960年代ごろ(おそらく1963年か1964年)
撮影時期が1963年か1964年の理由

正面奥に円龍寺と西教寺が写っている写真の手前に、建設中の金倉橋がみえます。

金倉橋は1964年(昭和39年)に架設されています。架設前の金倉橋が写っているので、1963年か1964年の写真だと思われます。

なお平成16年の台風23号で壊れたため、現在の金倉橋は平成18年に新しく架設されたものです。

かっけい
かっけい

これらの写真を重ね合わして、ほぼ360度のパノラマ写真を作成しました

下の写真をクリックすると、リンク先で拡大してみることができます

Scenery Around Kanakura Bridge, Kanakura River, Kanakura Cho, Marugame City In The 1960s All Panorama
金倉川金倉橋から見た360度の風景。1960年頃

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