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浄土真宗・白骨の章はいつ読むのか。

こんばんは。 真宗僧侶のかっけいです。

先日満中陰法要の時に、読経後の法話の締めくくりに「白骨の章」を拝読しました。

白骨の章とは、本願寺8代目住職の蓮如上人が書かれたお手紙の一つであり、派によって「白骨の御文(おふみ)」や「白骨の御文章(ごぶんしょう)」と呼び名が変わります。

私の属する興正派では「御勧章(ごかんしょう)」と呼びます。理由は人に読み聞かせることを勧める文章であるからです。

その御勧章の中の一つ「白骨の章」を読み終えて片づけをしていますと、お参りの一人から次のような質問を受けました。

『白骨のお手紙は、いつどのような時に読むのですか?』

今回はこの質問に答える内容です。

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蓮如上人のお手紙はなぜ読むのか。

先にお断りしておきますが、蓮如上人が書き残されたお手紙を拝読しているのは浄土真宗だけです。他の宗旨では読みません。

また同じ浄土真宗でも、蓮如上人と直接的な関係のない派では読まれないことがあります。蓮如のお手紙が有名なのは西本願寺(本願寺派)・大谷派(東本願寺)といった大きな教団で拝読しているからです。

話を戻して、なぜ蓮如上人のお手紙を読むのでしょうか。

それは浄土真宗の肝要を伝えているからです。

蓮如上人が書かれたこれらのお手紙はひとつひとつが簡潔にまとめられています。もちろん長い文章もありますが、3分もあれば読み終えるものばかりです。

しかし内容が薄いことはなく、ひとつひとつに大切な真宗の教え、真宗の心構えが述べられています。

蓮如上人が生きていた室町時代の頃は本願寺は今ほど大きな教団ではなかったそうです。しかし蓮如上人はこのお手紙による布教をすることにより多くの門信徒を獲得しました。

その理由は読み書きができない人々であっても、蓮如上人のお手紙を受け取った人が周囲の人に読み聞かせることによって、真宗の教えを耳から聴くことによって教えを頂くことができたからです。

今の時代であってもなぜ蓮如上人のお手紙を読むのか。

門信徒たちに向けて書かれたお手紙はその人のためだけに向けて書いた内容なのではなく、真宗の教えとは、時代や場所を変えても常に変わることのない教えであり、今まさに蓮如上人の法話が私の耳に届いているんだという理由で、お手紙を聞きいただくのです。

御文はいつどのようなタイミングで読めばいいのか。

意外に思われるかもしれませんが、いつ読んでいただいてもいいのです。

この御文とは蓮如上人からの私たちにあてた法話です。

ですので、決して仏様に聞かせるために読むわけでも、亡くなった人に対してもありません。

仏様に手を合わしお参りさせていただいたこの私に対して聴かせていただいているのです。

よく祥月命日のお勤めでお仏壇にお参りに行きますと、お手紙が納められている箱が奥に片づけられていることがあります。それはよくありません。

せっかくの仏縁ですので、蓮如上人が書かれた浄土真宗のお念仏の教えを読み聞いていただければなあと思います。

決してお坊さんしか読んだらダメというのではなく、毎日の仏様参りをした後に読んでいただければなあと思います。

基本の読むタイミングは、お勤めの後もしくは合掌の後です。

では白骨の章はいつ読むのか。

お手紙は仏様にお参りした時に最後に、自分や周りの人に読み聞かせるように拝読してください。

その時はどのお手紙を読んでいただいてもいいのですが、お手紙の内容によっては相応しいタイミングがあります。

その一つが「白骨の章」です。

白骨の御文のあて先は山科本願寺の地を寄付して下さった海老名五郎左衛門に対してだと言われています。

この人物には17歳の娘がいたのですが、無常の風が吹き急死してしまいました。

ちょうどこのころにも蓮如上人と縁のある人物が若い人も含め続けて亡くなりました。蓮如はその人生の儚さを感じ、老いも若きもいつ白骨となる身であるかというしれないという事実に向き合い、その日暮らしで過ごすのではなく、阿弥陀仏のお念仏の教えに出あってくださいよと勧められたのです。

この「白骨の章」は先の見えずに不安・悲しみの多い人生において、何を頼りに生きていくのかという道しるべを、亡き人の白骨のご縁を通して気が付いてくださいよという内容です。

ですのでこの白骨の章は、大切な人がお骨になって戻ってきた「還骨法要」の時や、毎週毎週故人を偲ぶお勤めの「中陰法要」の時、そして「満中陰法要」の時にはぜひ拝読しましょうと勧められています。

もちろんお通夜の時や一周忌法要で拝読してもいいのですが、お骨を目の前にした悲しみの深い時に諸仏となられた故人からの呼びかけとして白骨の御文を拝読します。


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さいごに。蓮如のお手紙は何度でも読もう。何度でも聴こう。

興正派では蓮如のお手紙を御勧章と呼びます。

理由は冒頭で説明しましたように、人に読み聞かせることを勧める文章だからです。

「いつ読むのか」「どこを読むのか」「何度読むのか」などと悩む必要はありません。

何度でも読んで聴いてください。

自分の口から発している音ではあるのですが、その音とは蓮如上人が気が付いてくれよ・分かってくれよと私たちに呼びかけた法話であります。

何度も何度もくり返し読み繰り返し聞き、南無阿弥陀仏の念仏・如来の本願をいただくように書かれています。

白骨の御文は非常に有名なお手紙であり、人間の無常を説明し、思い通りにならない人生、そして自分の計らいを超えた世界について説かれています。

なかなか私たち人間は自分のこととして聞くことができないのですが、だからこそ何度も何度も読み、亡き人からの呼びかけであると気が付いていく必要があります。

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