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円龍寺ラジオのエピソード番外4。
2020年3月29日にコメディアンの志村けんが亡くなりました。コロナウイルスによる肺炎が死因だそうです。
といったコメントがニュースで流れていますが、仏教的に言えば、無常の風が吹いたから亡くなったと言えます。コロナウイルスにかからなくても、他のご縁でもっと早くなくなったかもしれません。
浄土真宗では葬儀のとき、本願寺の蓮如のお手紙「白骨の章」を拝読します。
白骨の章の拝読音声を録音しました
- 録音日:2020年3月30日
- 読経者:釋克啓
- 録音場所:円龍寺本堂
ラジオの補足
それ人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものは、この世の始中終まぼろしのごとくなる一期なり。
さればいまだ万才の人身をうけたりといふ事をきかず、一生すぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。我やさき人やさき、けふともしらず、あすともしらず、をくれさきだつ人はもとのしづく、すゑの露よりしげしといへり。
されば朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、すなはちふたつのまなこたちまちにとぢ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて桃李のよそほひをうしなひぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外にをくりて夜半のけふりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あはれといふも中々をろかなり。されば人間のはかなき事は老少不定のさかひなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏まうすべきものなり。 あなかしこあなかしこ。
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