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第258回目のラジオ配信。「定着した言葉」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
かっけいの円龍寺ラジオ
これは香川県丸亀市にいる浄土真宗のお坊さん、私かっけいの音声配信です。
今回も前回に続いて、新しい言葉についての雑談をします。
さて急に寒くなってきましたね。あと2週間ほどで、ユーキャンによる2024年の新語・流行語大賞のニュースがあります。
候補になっている30の言葉を見ても、あまりピンとこない言葉が私には多いですが、はたしてこの中からどの言葉が選ばれるのでしょうか。
そしてこの中から今後も広く使われていく言葉はあるのでしょうか。
思うと、言葉、日本語も絶えず変化してきているらしいですよね。
例えば、大相撲で使われる「はっけようい」も力を出してガンバレという「発気揚用」からのようですし、力を出すときの掛け声の「どっこいしょ」は仏教の言葉「六根清浄」からきた言葉とされていますよね。
言葉の変化、元々とはまた違った意味で使われるようになるというのも面白いですね。
それでいうと、私は今年になって、アメリカの人と何度か英語でお話をする機会に恵まれました。
ただ英会話をするなんて10年以上もなかったことですから、英語の単語の多くを忘れていました。
単語を知らないとお話にそもそもならないなあと思って、英単語を振り返ってみました。すると、学生のとき勉強したなあと懐かしいなあという気持ちだけでなく、色んな新しい発見があって面白くも思いました。
面白いなあと思った気づきを全部言うには時間が足りないので、ほんのごく一部を紹介しますと、英語にも日本語と同じように造語、いわゆる新しく作られた言葉もあります。
例えば、glampingですね。グラマラスなcampingという言葉を組み合わせた言葉ですが、これが外国では普通のキャンプよりもさらに快適で豪華なキャンプとしてふつうに定着している言葉のようですね。
他にも例えば、日本語で言う、ハイタッチ。ハイタッチは私は英語だと思っていたら、high fiveなんですね。英語で話す中で、日本で使われている言葉が実は英語ではないというのに気がついたのも、面白かったです。
ただそのアメリカの人は、一応ハイタッチでもなんとなくわかってくれましたけどね。
さてそれはさておき、英単語をいろいろ振り返っていると、emotion、emotionalという単語を見つけました。
喜怒哀楽といった強い感情を表す言葉、感情的なといった意味ですね。
先週、新語・流行語の話をしたあと、三省堂の新語を見ていると、2016年に三省堂は「エモい」というのを今年の新語に挙げていました。
その説明を読むと、エモいはemotionを形容詞化したものかとあり、遅くとも10年前には使われており、「エモい」は、感動・寂しさ・懐かしさなど、漠然としたいろいろな感情表現を表す言葉として定着したとあります。
emotion、emotionalからエモいという言葉を引き出してきて、それを定着させるまでに到るというのは、この言葉を生み出した人は、相当なセンスがあるなあと思います。
新しい言葉を生み出すときのセンスはかなりいると思います。
それで言ったら、ベースボールが野球に訳されてそれが今も当たり前のように使われているのがすごいなあと思います。私のイメージだと野球といったら、野外、フィールドですることだから、ゴルフのイメージをなんとなく持ってしまいます。でもベースボールは野球となって、広く受け入れられたんですよね。
ちなみにゴルフの方は打球ですね。漢字で書くと、打つ球です。打つ球、だきゅうの方がベースボールぽいような気がするんですが逆なんですね。打球がゴルフで、野球がベースボールです。
「花まつり」も比較的新しい言葉ですよね。
元々は春4月8日のお釈迦さまの誕生日祝いの灌仏会を、明治時代のある浄土真宗のお坊さんが「花まつり」と表現したところ、その言葉が今でも広く使われています。
こういった広く受け入れられて、長く使われる言葉を生み出すのは相当なセンスがあると思います。
話は戻って、いったい誰が、エモいなんて言葉を最初に作り、使ったんでしょうね。
私は未だにエモいなんて言われても、エモいがなんなのか全然わかりません。
エモいが何なのか、今でもわからないので、私はエモいという言葉を使ったことが一度もありません。
エモいというのは古くは80年代の音楽業界で使われていた言葉のようで、感傷的・情緒的に心情を吐露するような表現で使われたようです。
それが2016年頃に、なんとも言い表せない素敵な気持ちを表現する言葉としてエモいという言葉が若い人を中心に流行ったようです。
ただ私としては、このなんとも言い表せない気持ちを表すエモいが便利な言葉として使われるのが、気持ちの悪さを感じます。
エモいという言葉を使うさまを見ると、なんでもかんでもエモいエモいと言っているように感じます。
もちろんその人がエモいと感じたのであればエモいでいいのですが、エモいよねといわれた人は、そのエモいがいったいどのようにエモいのか、理解するのは難しくないでしょうか?
例えば、花火大会で、小さな子供さんにどうだったとインタビューしたとして、「すごかった、すごい」なんていう子供がいたとします。
すると親御さんは何がすごかったの?、どうすごかったの?と聞きなおしますよね。
すると、花火が大きくてすごかった、音が大きくてすごかった、色がきれいだったなんて、具体的に何がどうすごかったとその気持ちを答えてくれますよね。
これがエモいだとどうなるんでしょうか。
当の本人はエモいエモいと言って、自分の気持ちを表しているつもりなんでしょうが、エモいという言葉を聞かされている側からしたら、何がエモいのか、どうエモいのかなんて、判断に困ります。
エモいの正体をこちらに探らせようとしてきます。
それで仕方なく、「うん、エモいよね」というよく分からない状態に、よく分からない状態の言葉を返さずを得なくなります。
お互いのエモいの感傷は重なり合ったのか、それともすれ違ってしまったのか、エモいを言い合った人たちの中でははたして通じ合っているのでしょうか。
私にはまだその「エモい」という言葉が理解できていないので、会話の中では使ったことがないです。
ちなみに「やばい」という言葉は、私は昔は使ったことがなかったのですが、この頃はたま~に使うことがあります。
でも「やばい」という言葉を使ったあとは、必ず何がどうやばかったのか、補足するようにしています。
そうしないと、語彙力がただ減るだけでなく、自分の気持ちを見直す、理解力や表現力までもが落ちると思うからです。
エモいややばいはとっさに言うには便利な言葉かもしれませんが、あまり多用しすぎないように、したとしても、自分自身に対しても相手に対してもいったいどういった気持ちなのかを分かるように言葉にしてあげる必要があるなあと思います。
結構私は頭の固い人なので、自分がよく分かっていない言葉はなかなか使えない人なんですね。
だから流行りの言葉とか、新しい言葉といわれても、なかなか口に出して使えません。
それで言うと、私はいまだに「霊柩車」という言葉が分かりません。
今では霊柩車って当たり前のように使われているようですけど、私は霊柩車って言えないですね。私の祖父も言ったことがないようです。
私の父・住職は、広く浸透した言葉だからか、たまに霊柩車って言いますね。
おそらくですが、NHKといったテレビニュースとかでも、霊柩車と言わないんじゃないですかね。
私の記憶違いかもしれませんが。
たぶんニュースでは、「棺をのせた車」とか「故人がのった車」といった表現を使っていると思います。
葬祭業者の人は霊柩車とよく使いますが、よくここまで広く定着させたなあと感心します。
家族葬といった言葉もです。私はいまだに家族葬の言葉がよくわからないので、基本使いません。
今日の内容で話したいことはまだまだたくさんありますが、長くなってきたので、今回はこれで終わりますね。
また別の機会に、深掘りしてお話しできればと思います。
新しい言葉を生み出したり、言葉を流行らせたり、言葉を定着させていけるのはすごいなあと感心します。
ちなみに「深掘り」という言葉も新語らしいですよ。お気づきになりましたか。
おそらく家にある国語辞典には載っていないと思いますよ。
深掘りとはあるテーマについて、深く掘り下げていくことを表す新しい言葉で、今ではもう「深掘り」という一つの言葉で定着しましたね。