皆さんは、年末年始にお寺に行かれましたか?
今年は令和初の正月ということで、有名な寺社仏閣では初詣・三が日参りの人が多かったそうです。例えば、三重県の伊勢神宮はここ6年で最多の56万人だったそうです。
私の住む香川県の「こんぴらさん金刀比羅宮(ことひらぐう)」や「おだいしさん善通寺」も、まだ発表されていませんが、例年通りなら約50万人と20万人ほどの参拝者がいることでしょう。
私のお寺では、毎年正月三が日には、お天気の良い年であれば、50名弱の人がお参りに来られ、手を合わします。
しかし私のお寺には参拝記念となるものが何もありません。
その理由は、私のお寺が浄土真宗寺院だからです。
浄土真宗のお寺は他の仏教宗派と違い、お寺にお参りする回数やどこにお参りしたとか、どんな記念品を貰ったとか全然気にしないのです。
例えば、世界遺産の京都の西本願寺を思い出してほしいのですが、西本願寺は拝観料をとらないですよね。浄土真宗のお寺は拝観料をとらないのが、特徴です。駐車料金もとりませんよね。
それはどなたでも自由にお寺に・お堂の中にお参りしてほしいからです。
小さな末寺から大きな本山にいたるまで、お参りに来た人に対して、お金をいただかないのが浄土真宗です。
で、よくお参りに来た人にこんなことをいわれます。
「どうしてお賽銭箱を置かないのですか?」「何か参拝の記念になるものがほしい」と言われました。
要望があって、私の寺では、この大晦日と正月三が日だけは、本堂の縁に賽銭箱と焼香用の机を用意しています。お焼香用の線香やマッチは寺が用意しているので、だれでも気軽にお焼香できます。
そして1月4日には、賽銭箱とお焼香箱を片付けます。
お参りされる人の中には、「どうして1年中お賽銭箱と香炉を設置しないのですか」と尋ねられます。置いておけば、お寺の護持金として少しは役に立つんじゃないのとのことです。
たしかに浄土真宗以外のお寺では、よく賽銭箱をおいています。
たくさんの人が訪れる観光寺院では、びっくりするほどの金額が賽銭料として得られるでしょう。
でも私の寺では置きません。それには理由があります。
- 泥棒が出て、治安が悪くなるから
- 間違った意味で賽銭が使われるから
1.神社にも賽銭箱がありますよね。私の近くにもたくさんの神社・お宮さんがあります。
あってはならないことですが、賽銭箱があると、かならずそれに対して「いたずら」をする人が出てきます。いわゆる「賽銭泥棒」ですね。
賽銭泥棒をする人は、まるで自動販売機の釣銭を確認する人のように、いたずらをするのが癖みたいになっています。
あるわけもないのに、毎夜毎夜、賽銭箱をガチャガチャとして近隣住民を不安にさせます。
対策としてチェーン・鎖をかけても、ガラガラガシャーンと大きな音をたてて、揺らして転がして壊すかのようにいたずらが加速します。
賽銭箱がなければ、そもそもそんないたずらは起こりません。
あるやないやに関わらず、賽銭箱があれば、賽銭泥棒をする人からすれば、いたずらの対象になります。
だから私の寺では置きません。
2.賽銭箱は何のために設置するのか。賽銭箱は免罪箱や願掛け箱ではない。
浄土真宗では亡くなった人に、護り刀や六文銭を供えません。死んだ後、必要ないからですね。賽銭の間違った意味として、賽の河原を渡る銭金と思う人がいることです。
浄土真宗では必要のないものですが、地域や宗派によっては、葬儀の時に遺体に六文銭や少額のお金を添えることがあります。
賽銭箱に生前の功徳として銭金を払っているつもりかもしれませんが、阿弥陀仏の浄土に生まれるための功徳として、必要ないことです。阿弥陀仏がまちがいなく阿弥陀仏の極楽浄土に連れて行って下さるので、賽銭など入りません。
また健康になりたいとか、お金持ちになりたいとか、交通安全や合格祈願といった願掛けにも使いません。
というのもこれらも浄土真宗の教義に合わないからです。占いや願掛けをしたくなるのが人情かもしれません。しかし当たるかどうかも分からないことに対して一喜一憂し生きていくのは、浄土真宗らしい生き方ではありません。
浄土真宗のお寺では、私の願いを仏様に聞いてもらう場所ではなく、仏さま・阿弥陀さまの願いを聞く場所です。
浄土真宗は迷信にとらわれない生き方をします。それは自分に降りかかる良いことも悪いことも、そのままの事実として受け入れていくからです。
もし浄土真宗のお寺で願掛けして、受験が合格したり、病気が治っても、それはまた別の要因でなっているのです。
願掛けをしても、その帰りに事故に遭う人だっています。
賽銭を置かない理由を2つ言いましたが、実は私の寺でも賽銭箱を置いていた時代があります。その時は、本堂の中に設置していたそうです。
昔は神仏習合といいますか、お参りする人が、神様も仏さまも等しく同じように手を合わせてきました。
聞くと、私の寺でも昔は、本堂にお参りしていた人が、小銭を仏さまの安置している空間の方に投げ入れていたようです。箱とか何もなくても、投げ入れていたとのことです。
で、昔のお寺ですので、床の板は隙間が大きく、小銭が挟まります。それを後から拾うのが小僧さんの仕事だったそうです。隙間から床下に落ちてしまうのも多かったそうです。
仏様に向かってお金を投げるということがあって、お金をいれる箱、平たく言えば「賽銭箱」を本堂の中だけに設置したそうです。
でも今では設置していません。
というのも、浄土真宗では賽銭箱を必要としないということは多くの人が知っていますし、お焼香をされる時やお参りをされた時に、冥加料やおロウソク料として、お寺の護持金をつけてくださります。わざわざ賽銭箱を設置する必要がないのです。
それにかつて本堂の中に設置していたお金を入れる箱は今もあるのですが、その箱の上部がスパッと割られています。どうして割れているのかは分かりませんが、綺麗に割れていることから、だれかが工具を使って無理に開けようとしたのではないのかなあと想像しています。
お堂の外に置いてもいたずらをされて危ないのに、中に設置していても割られるということは、そうとう危険な箱ということです。
賽銭箱は浄土真宗のお寺には無いほうが良いと私は考えます。
賽銭の本当の意味は、神仏に対するお礼です。いわば、お布施です。見返りを期待するものではないのです。
しかし賽銭箱に賽銭をいれている人は、そのことをどれだけ分かっているのでしょうか。どうしても願い事をしてしまいがちです。
繰り返しますが、浄土真宗のお寺には賽銭箱は不要だと思います。
さて賽銭の話はここで一旦終わりますが、ここからはプチ情報を2つお伝えします。
お参り先の70歳や80歳くらいのおばあさんたちから、面白いエピソードを聞きました。
香川県では新年の初詣に行くところに、お大師さんの善通寺と、琴平町のこんぴらさんが有名です。
昔もすごい人だかりだったようです。
今は初詣といっても、皆さんカジュアルな普段着のようなカッコでいきますが、昔は身なりを整えてキチンとした恰好で初詣にいきました。
お大師さんの善通寺は、ふだんからお堂の前に賽銭箱を置いていますが、正月の時にはすごく大きな賽銭箱を設置するようです。
大勢の人が来ますし、みなさん後ろからどんどん投げ入れるんですね。
でも上手く賽銭箱の中にいれられない人もいます。和装の女性は背中の首回りがあいていますよね。もしその中に投げ入れた人の賽銭がすぽっと入ったなら、そのまま賽銭を持ち帰っていいんですって。今の時代はどうなのか知らないですが、昔はそうだったようですよ。
これがひとつ目。
2つ目は、賽銭の平均の金額です。
皆さんはお金をいくら入れたらいいと思いますか。明確な決まりはないので、お寺からすればお任せしている状態です。語呂合わせも気にしません。
じゃあ皆さんはどれくらいのお金を実際にしているのでしょうか。
一般に賽銭の額について、公表されることがありませんが、西本願寺の新聞、「本願寺新報」2016年3月の内容を参考にすると、1人当たりの平均が6円だったそうです。
「え~!!少ないなあ」と思う人もいるでしょうが、実際、私の寺でも1円玉と10円玉が8割を占めています。
焼香には100円を置く人が多いですが、中の見えない箱には、1円や10円が多くなるのだと思います。
ちなみに2011年にウェザーニューズが「年始調査」をしたところ、賽銭の全国平均は149円だったそうです。
でも正直、149円は正しくないと思います。
というのもこのウェザーニューズは携帯サイト上での、1月3日から5日にかけての集計です。
インターネット上での事後報告ですので、なんとでも言えるので、私は当てにならないと思います。それこそ2019年7月の参議院選挙で、投票に行くと答えた18歳19歳が6割いたのに、実際の投票率が3割しかいなかったのと似たようなことだと思います。
平均6円と平均149円、大きく数字が違いますが、どちらを信じるかは人それぞれでしょう。
賽銭は、見返りを期待しない神仏に対するお礼が本当の意味です。金額の大小ではないので、人と比べることなく、あなたが入れたい金額を賽銭箱に投げ入れていただいたら幸いです。
ちなみに賽銭のお金は、お寺をこれから先もずっと、子や孫へとお参りのできるよう維持していくために、護持金として使われます。