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第195回目のラジオ配信。「生成AI」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
かっけいの円龍寺ラジオ
これは香川県丸亀市にるい浄土真宗のお坊さん、私かっけいが、短いおしゃべりをするラジオです。
今回は、生成AIとお坊さんについて思うことを短くお話します。
一昔前にロボットが人間の仕事を奪うかもしれないと言われていましたよね。
例えばスーパーやコンビニの店員、誘導員や警備員、運転手、一般事務といった、情報処理をマニュアルにそって正確にすばやく行う職種では、将来ロボットに仕事を奪われるといわれたものです。
一方で、介護や医療、教育、営業といった人の気持ちをくみとり、相手の心や健康によりそう職業はロボットでは難しいと言われていました。
中でも芸術分野といわれる、作曲や絵描き、文章を書く職業の人は、ロボットに仕事は奪われないとされました。
ですが、どうでしょうか。
最近では生成AIという膨大な量を学習し、その学習したデータから文章や絵や音声を新しく作り出すものが登場しました。
その成長速度はすさまじく、人が時間をかけて作り出したものと遜色ないレベルに至っているものもあります。
ヨーロッパやアメリカなどでは生成AIの禁止や規制を進めるほど警戒感を強めているようです。
今日のお話は、生成AIとお坊さんについてのお話をしたいので、生成AIをめぐる世の中のニュースについては個々人で調べてください。
さて生成AIによって将来、お坊さんの仕事は無くなっていくのでしょうか。
私の考えでは、お坊さんの仕事は減るでしょうが、無くなることはないと考えています。
なぜ無くならないのかという理由を全て話すと長くなるので、一言でいうと、仏教とは、自分の私の問題であり、私たち一人一人が自分自身の悩みや苦しみを見つめていくことにあるからです。
お坊さんの仕事が減るということですが、これは別にロボット・生成AIが発展しなくても減っていくことです。
なぜなら人口が減っているでしょう。お寺も後継者不足だったり、ご門信徒の人数も減ったりしていますよね。
法事や葬儀をしなかったり簡素化したりという世の中の流れになっていますよね。
ロボット・生成AI云々の前に、そもそもお寺の維持をするのが難しいので、お寺は減り、お坊さんの数は減り、お坊さんの仕事は減っていきます。
また現状の技術だけでもお坊さんのやってることはだいたい代用できますよね。
例えばお経だって、録音したものを流せばいいだけですよね。法事や葬儀の仏教儀式だって、撮影したものを上映すれば可能ですよね。法話・お話も有名な方・学僧のお話を録音して流しておけばいいですよね。法名戒名でも、機械が名前を選んでくれて自動で書いてくれます。
極端なことをいえば、お坊さんを呼ばなくても、現状の科学技術だけですべて置き換え可能です。
実際、お坊さん嫌いな人、人とかかわりあいを持ちたくない人は、お坊さん抜きで今言ったことはしているんじゃないでしょうか。
そこに今話題の膨大なデータ量・知識を学んでいるAIが、組み合わさるとどうなるでしょうか。
受ける人には間違いなく受けるでしょうね。
もうお坊さんはいらないんじゃのと。
確かに生成AIの進歩は日進月歩で、将来は知識量、作られた文章、音声もどんなお坊さんも叶わないと思います。
私もこの前ちょっと試しに生成AIを使ってみましたが、まだレベルは低かったり、怪しげなことを言っていましたが、それでも端的に簡潔に解答していたので、そこらへんにいるお坊さんよりも、わかりやすく解答しているなあと思いました。
ですが、それとお坊さんの仕事が無くなるかといえば関係ないと思います。
なんでかというと、お坊さんっていうのは、仏教の知識が膨大な人を指しているわけではないからです。
もし仏教が知識の量、知識の有る無しを問うているんでしたら、学者さんや大学教授とか、知識の豊富なそういった人から救われるはずでしょう。でも実際はそんなことはないですよね。仏教は知識の量は関係ないからです。
お坊さんにしても、そのお話が仏教のうんちくを語り、知識をひけらかしているとか、私についてきたら間違いないですよと指導者のようにふるまうのは、お坊さんとしておかしなもんです。
仏教は完璧なお坊さんを必要としません。
仏教は生きている人のための教えですが、救ってくださるのはお坊さんではありません。仏様です。
仏様の智慧・慈悲のはたらきによって救われるのが仏教なので、お経が上手だとか、法話が上手だとか、知識が豊富だとかといった完璧なお坊さんは必要ありません。
お坊さんというのは、ご縁があって、今お坊さんという立場でお仕事をさせていただいているにすぎません。
ですので、お坊さんも皆さんと同じような人間で、同じように悩み苦しんで生きています。
お金にも困りますし、健康にも悩みますし、将来のことも不安です。
しかしその中で、仏様の教えを聞いていき、法事や葬儀、お坊さんの仕事を通じて、解決しがたい生老病死の苦しみを共に歩んで行っているのです。
生成AI・ロボットがどんなに発展したとしてもお坊さんの仕事は無くなりません。
なぜなら完璧なお坊さんを必要としないからです。
お坊さんは、同朋として、共に悩み苦しみ生きるひとりの人間として、一緒に仏様の教えを聞いていき、仏道を歩んで行く存在です。
お坊さんというのは特別な存在ではありません。
皆様と同じような人間です。
ただ違うのが、お坊さんという仕事を通じて、仏教を知識として学ぶ機会を得て、法要儀式を執り行い、お話をする場をいただいているだけです。
そして皆様と共に仏教にであう場を得るために、お寺といった活動の場を維持しているのです。
これからの時代、生成AIが発展し、仏教の知識は得やすくなるでしょう。
しかし仏教は知識の有無・大小で救われるわけではないので、生成AIが進んでも、お坊さんの役目は変わりません。
お坊さんも皆さんと一緒です。
同じように悩み苦しんでいます。
その中で、先祖を敬い、仏様を讃嘆し、お聴聞のご縁を通じて、仏様の智慧慈悲のはたらきによって、この人生を共に歩んでいっています。
完璧なお坊さんではなく、共に歩み、仏教のご縁を結ぶお坊さんがこれからも先もずっと必要なんだと思います。
だからお坊さんは無くなりません。
以上で、簡単ですが、今回のかっけいのお話を終了します。
それとちょっと余談ですが、仏教のお話ってなんなんでしょうかね。
生成AIは膨大な知識量を持って、質問に答えてくれます。
ですが、この私が救われるのに必要なのは本当にその正確無比な、模範解答、完璧な答えなんでしょうか。
お坊さんによってお話の上手な人、いまいちだと感じる人はいます。
しかし私たちはどんなお話でも有難いお話と聞きます。
仏様のお話というのは、良い悪い・優劣で聞くのではなく、その人だからできるお話を聞いていくことにあると思います。
その人の歩んできた人生・体験を通じて受け取ってきた仏様のお話をお聴聞することが大切なのではないでしょうか。
私たちが学んでいくのは仏教の知識ではなく、そういった言葉だと思うわけです。
そこで私のお気に入りの本を一冊紹介します。
香川県まんのう町に住んでいた吉井正雄さんの書かれた『安心のよろこび-名号領受のこころ』です。
これを書かれた吉井さんは、お坊さんではなく、一般ご家庭に生まれた人ですが、ご縁あって、お念仏ゆかりのある人生を歩んだ方です。
その方のお念仏をたずねて遍歴した人生が綴られた本です。
非売品で多くの方に読まれないのが残念ですが、非常に有難い本だと思います。
この人だからいただけたお聴聞の集大成、安心・お念仏のかなめに触れることができる本です。
知識が豊富な完璧な解答が必要なのではなく、その人その人が人生の中で出会ったいただいた、仏様のお話を見て聞いて感じていくのが、同じく仏教に生きる人に大切なことなんだと思います。
「円龍寺かっけいラジオ」では、番組へのメッセージを募集しています。ご感想や取りあげてほしいテーマなどもお寄せ下さい。