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第296回目のラジオ配信。「食前と食後のことば」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
かっけいの円龍寺ラジオ
これは香川県丸亀市にいる浄土真宗のお坊さん、私かっけいの音声配信です。
今回は食事をするときの言葉についてのお話です。
皆さんはお食事をするときに何と言いますか?
そう「いただきます」と「ごちそうさま」ですね。
あれって、なぜしているんでしょうかね。
今回はそんなお話をしていきます。
さて仏教では食事をするのも大事な修行の一つとされてきました。
古いお寺には食堂(しょくどう)と書いて「じきどう」と読む建物があって、この食堂はお坊さん達がお食事をするお堂でした。
浄土真宗では修行するお堂の食堂という建物はないですが、別にそれは食事というものを軽んじている訳ではありません。
浄土真宗では日常生活そのものが仏道であり、食堂という建物がなくても、お食事に対する気持ちを失っているわけではありません。
浄土真宗各派では、食事をするときの言葉、食事を終えた時の言葉というのをそれぞれ定めています。
勘違いをしてはいけないのは、その食事の言葉をするのは、単に食事を作ってくれた人に対するお礼の言葉、食事を運んでくれた人に対してだけのお礼の言葉ではないことです。
感謝するのは目の前で、食事をつくり、運んでくれた人だけにするものではありません。
お米やお野菜、お肉お魚、その他色んな調味料、食材など、ガス電気水もそうでしょう、いろんな人たちがいろんな場所で、色んな苦労をかけてくださったことで食事という形でいただくことができています。
何よりも忘れてはいけないことは、この私が食事がでてきているのは、多くの動物や植物たちの恵みによっていただけていることです。
今、私がいただける食事は、私の想像をはるかに超えた多くのいのちのつながりの上にあります。
浄土真宗ではそのことを、限りのない「いのち」と「ごえん」のおかげで、お食事がいただけていることに感謝しているわけです。
人だけじゃないですよ。あらゆるいのちの働きに対しての感謝です。
さて古いお寺には食堂があると言いましたよね。
食堂はお食事を通して仏道修行をする空間です。
なので食堂には必ず仏さまが安置されています。
食事は漫然とだらだらと口にして、単なる栄養補給の意味で食べる行為ではなく、私を生かし、私に活力を与えるものです。
今、口にしているそのお食事は、そういった尊いご恩であることに気がつかないといけません。
浄土真宗では食堂はありませんが、仏さまにお供えするご飯のお供え、お仏飯というものでその心が表されています。
仏さまに食べてもらうためにご飯をお供えしている訳じゃないですよ。私たちが日々いただく食事の中から、古くからの主食であったお米のお供えを仏さまにすることを通して、あらゆるいのち・ご縁に感謝する心に気がつかさせていただきます。
現代ではほとんどなくなった習慣になったでしょうが、かつては、私たちが食事をする前に、まず最初に仏さまにご飯のお供えがされていました。
それはなぜかというと、これからいただくお食事をまず最初に仏さまにお供えすることを通して、あらゆるいのちとご縁に対して感謝していたからです。
現代では、ライフスタイルが大きく変わり、仏さまにお米のお供えをされる家もかなり減り、そういった仏さまへのお供えを通して、お食事をいただく恵みへの感謝をする機会がなくなったことでしょう。
生きていく上で食事は毎日必ずしなければならないことです。
仏像の前でお食事をしたり、仏さまにまずお供えしてから食事をする習慣が失われた今では、食事のことばを大切にし、食事のことばをすることで、あらゆる限りない「いのち」と「ご縁」に感謝し、また仏様のご恩に想いをはせればと思います。
長々しいお話をしましたが、単に短く「いただきます」「ごちそうさま」だけでももちろんいいです。
口にしなくても心の中でしっかり称えていただくだけでもいいです。
大切なのは、今、目の前にあるお食事をいただけていることに対しての尊いご縁に感謝していくことです。
(だから本当は、「いただきます」「ごちそうさまでした」だけでなく、「ありがとうございます」がセットになるべきでしょう)
今回は食事をするときの言葉についてのお話をしました。
この9月9日の自坊円龍寺の永代経法要では、お参りの方々に食事のことばリーフレットをお渡しします。
ぜひお食事のされるところに、この食事のことばリーフレットを置いて、口にして、食事を通して、ご縁に感謝する生活をしてほしいです。
真宗興正派の食事のことば
一粒一滴みなご恩
不足を言っては
もったいない
感謝でおいしく
いただきましょう
いただきます
今尊い食を終わって
心豊かに
力身に満ちる
この心身をもって
おのが業に
励みましょう
ごちそうさまでした
他の真宗宗派の食事のことば

宗派ごとに食事のことばは違っています。
いくつか紹介していきます。
「いただきます ごちそうさま(一水四見)https://enju.xxxblog.jp/archives/51327934.html」を参考に載せています
浄土真宗本願寺派
多くのいのちと、
みなさまのおかげにより、
このごちそうをめぐまれました。
深くご恩を喜び、
ありがたくいただきます。
尊いおめぐみをおいしくいただき、
ますます御恩報謝につとめます。
おかげでごちそうさまでした。
真宗大谷派
み光のもと
われ今さいわいに
この浄き食をうく
いただきます
われ今
この浄き食を終わりて
心ゆたかに力身にみつ
ごちそうさま
真宗高田派
われ今、
さいわいに、
このうるわしき食を受く。
みほとけのめぐみを思いて。
いただきます。

「食後の言葉―朝日小学生新聞から―(ことのは学舎通信)」では文言の少し違った食事のことばが紹介されていました
筆者が6年間通っていた高田派の中学高校で言っていた言葉のようです
われ今
さいわひに
このうるわしき食をうく
つつしみて
ほとけの恵みを思いて
しなの多少を選ばじ
いただきます
われ今、
このうるわしき食を終わりて、
心ゆたかにちから身にみつ。
ごちそうさま。
合掌
われ今
このうるわしき食を終はりて
心ゆたかに
ちから身に満つ
願わくはこの心身をささげて
おのがわざにいそしまん
ごちそうさま
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真宗佛光寺派
わたくしたちは、
今この食膳に向かって衆恩の恵みに深く感謝します。
味と品の善悪を問いません。
いただきます。
わたくしたちは、
この美しい食を終わって、
大いなる力を得ました。
この力を報恩の行業にささげます。
ごちそうさま。
比較(食前)
- 興正派
- 浄土真宗本願寺派
- 大谷派
- 高田派
- 佛光寺派
一粒一滴みなご恩
不足を言っては
もったいない
感謝でおいしく
いただきましょう
いただきます
多くのいのちと、
みなさまのおかげにより、
このごちそうをめぐまれました。
深くご恩を喜び、
ありがたくいただきます。
み光のもと
われ今さいわいに
この浄き食をうく
いただきます
われ今、
さいわいに、
このうるわしき食を受く。
みほとけのめぐみを思いて。
いただきます。
わたくしたちは、
今この食膳に向かって衆恩の恵みに深く感謝します。
味と品の善悪を問いません。
いただきます。
比較(食後)
- 興正派
- 浄土真宗本願寺派
- 大谷派
- 高田派
- 佛光寺派
今尊い食を終わって
心豊かに
力身に満ちる
この心身をもって
おのが業に
励みましょう
ごちそうさまでした
尊いおめぐみをおいしくいただき、
ますます御恩報謝につとめます。
おかげでごちそうさまでした。
われ今
この浄き食を終わりて
心ゆたかに力身にみつ
ごちそうさま
われ今、
このうるわしき食を終わりて、
心ゆたかにちから身にみつ。
ごちそうさま。
合掌
わたくしたちは、
この美しい食を終わって、
大いなる力を得ました。
この力を報恩の行業にささげます。
ごちそうさま。