Podcast: Play in new window | Download
第61回目のラジオ配信。「月とうさぎ」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
2020年の10月は物足りなく感じますね。
香川県は獅子舞の盛んな地域です。昨年10月の13回目のラジオでも話しましたが、香川は日本一狭い県ですが、西から東までどこにでも獅子組があって、その数は800を超えるそうです。
毎年この10月になると各地で獅子舞・太鼓の踊りや音が響くんですけど、今年はどこもかしこも取りやめているので、なんとも寂しい秋です。
それでいったら今年は10月が中秋の名月で綺麗な満月が見えました。中秋の名月は9月のことが多いんですが、今年は10月だったので秋の夜空を見ると、月のうざぎの模様がくっきりと明るく照らされていました。
今回は「月のうさぎ」をテーマにお話します。
月にうさぎがいるとされるのは、仏教が関係するお話です。
結論を先に言うと、お腹をすかせた老人のためにうさぎが自分から火の中に飛び込んで身をさし出し、それを見た帝釈天が後の人のためにうさぎの姿を月にうつしたというお話です。
日本では平安時代末ごろに書かれた『今昔物語集』の第5巻の13話目で紹介されて今日まで広く知られています。
「今は昔、天竺に兎・狐・猿、三の獣ありて、共に誠の心を発して菩薩の道を行ひけり。」からはじまります。
今昔物語集の月のうさぎの由来を意訳しながら部分的に紹介していきますね。
「昔のことだが、天竺・インドでは、うさぎとキツネとサルの三つの獣が誠の心を起こして、菩薩の修行をしていた。
この三匹は前世で犯した罪が深く、他の生き物の命を軽んじ、お金や物を人に分け与えることもできず、地獄に落ちて長く苦しみを受け、そしていやしい獣の身として生まれた。
三匹の獣はこの世ではこの身を捨てて、自分以外の他のために善いことをしていくと誓った。
帝釈天はこの三匹の獣たちの行いを見て「獣の身ながら、なかなかできないことをやっている」と感心していました。
人間に生まれたものでも、生き物の命を奪い、盗みを行い、父や母を殺し、兄弟を憎み、笑顔の裏にも悪い心があり、慈しみの態度をしていても怒りの心を持っているというのに。
そこで帝釈天は本当にこの兎・狐・猿の三匹が誠の心を持っているのかどうか、試してみることにしました。
帝釈天は年老いたやつれたお爺さんに変身し三匹の前に行き、自分には面倒を見てくれる子供もおらず、家もなく食べるものもないことを言いました。
それを聞いた三匹の獣は施しの心が起こり、猿は木に登り、栗や柿などの食べ物をとってきた。狐はお墓に行き、人びとが仏前にお供えしたお餅やお魚などのお下がりをいただき、老人が満足するまで食べさせました。
こうして数日がたちましたが、いつまで立っても兎は何も持ってこれませんでした。
うさぎも灯りをとって、耳を高くして、目を大きくして、東西南北に探し回ったけども、何も得ることができませんでした。
野山に降りたくても、人に殺されるかもしれない、他の獣に食われるかもしれないとできませんでした。
そこで兎は意を決して、自分の体を老人に食べてもらうおうと考えました。
木を拾って火をたいて待ってくださいと言い残して、猿や狐は老人のところで待っていました。すると何も持たずに帰ってきたうさぎが「自分には食べ物を求めて持ち帰るだけの力がありません。ですのでどうぞ私の体を焼いて食べてください」と言い、火の中に飛び込み焼け死にました。
その瞬間、老人は帝釈天の姿に戻り、うさぎのわが身を顧みない菩薩の姿を月の中にうつして、これからあらゆる人びとにうさぎの姿を見せるために残しました。
月の表面に雲のように見えるところは焼けているときの煙であり、黒いのは焼けたうさぎです。月のウサギは自分の身を他にさし出したこの兎であり、これからの人は月を見るたびに、このうさぎのことを思い浮かべなさい。」
意訳もだいぶ入っていますが、だいたいこんな流れの内容が今昔物語集で書かれています。
月のウサギは、菩薩道の修行をしていた兎が自分の身をていして、他者のために施しを与えた利他・慈悲の姿を表わしています。
これが月に兎がいるとされている仏教由来の理由です。実際にうさぎがいるんじゃなくて、兎の姿をうつしているんですね。
ちなみに平安時代に書かれた今昔物語集の「月のうさぎ」は、中国・唐の玄奘三蔵法師のインド・天竺への旅行記『大唐西域記』がもとになっています。
大唐西域記は玄奘がインドに行って、仏教を学び多くの仏教経典を持ち帰る中で、立ち寄った100を超える国々で見聞きしたことをまとめた内容です。
大唐西域記だと7巻目に書かれていて、6巻目にはお釈迦様が説法された祇園精舎や出身地のカピラ城、お釈迦様が亡くなったクシナガラがあります。
玄奘はクシナガラから南に下って、ヴァーラーナシーという波羅奈国に行って、三匹の獣の卒塔婆をみて話を聞いたようです。
インドと言ったらガンジス川に遺体を流す水葬をイメージするかもしれませんが、このヴァーラーナシーはインドの火葬の聖地であり、この地で火葬すると輪廻から解脱できると信じられている場所です。
この場所で玄奘は兎の菩薩道の話を聞きました。
ちなみに玄奘のこの兎の話は、紀元前3世紀ごろの古代インドの仏教説話の『ジャータカ』がもとになっています。
ジャータカとは簡単に言えば、仏教開祖のお釈迦様がこの世に人として生まれ仏に成るまでにどんな生を受けてやってきたかを説いた、お釈迦様の前世が書かれた物語です。
つまりこの兎の正体は、実は、お釈迦様ということです。
ジャータカは500以上の物語りがあるんですけど、その中のひとつがこの兎のお話となっています。
ただし今昔物語集や大唐西域記とはちょっと内容が違っています。
ジャータカでは修行者に施す食べ物を何も持っていなかったウサギが焚火のなかに身を投げて、自分の肉を修行者に布施をしようとする物語となっているんですが、登場する生き物が違っていたり、兎が他の動物から賢者や王様のように讃えられていたりしています。
ジャータカは有名な仏教説話ですので、図書館や本屋に行けば現代語訳されているものが多数あると思います。詳しい物語はぜひご自分で読んでみてください。
今昔物語集「三獣行菩薩道兎焼身語」の現代語訳
布施行とは
バラナシは火葬の聖地
広告 - Sponsored Links
香川県の獅子舞
「円龍寺かっけいラジオ」では、番組へのメッセージを募集しています。ご感想や取りあげてほしいテーマなどもお寄せ下さい。