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第110回目のラジオ配信。「献血」についてのお話。(BGM:音楽素材MusMus)
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かっけいの円龍寺ラジオ
この番組では香川県丸亀市に住むお坊さん、私かっけいが、短いおしゃべりをするラジオです。
今回は「献血」をテーマにして雑談します。
おそらくほとんどの人が献血をご存知でしょうが、確認の意味を込めて献血を説明しますと、献血とは病気の治療や手術などで輸血を必要とする人を救うために、 健康な人がすすんで自らの血液を無償で分け与えるボランティア活動のことです。もしも血液を分け与えることに対して、見返りや報酬や称賛を求めるのであれば、それは献血ではありません。
さて先日私は、献血をしに丸亀市役所の献血バスに行ってきました。
新型コロナウイルスが流行して2年近く献血に行くのを控えていたのですが、2021年の秋になって香川県では2週間新規感染者が0人と出ていないですし、私自身も落ちついた状態になってきたので、20か月ぶりに献血に行ってきました。
コロナ禍になってから、私のように献血に行く人が減ったようで、輸血用血液が不足しているようです。
全国では毎日3000人もの人が、輸血用の血液を必要としています。
血液というのは、現代の科学力をもってしても人工的につくることができません。献血は健康な人たちが、他人の命を救うことができるかけがえのない行為です。
さて私がこの前丸亀市役所に献血に行ったのは、昼の3時くらいです。
市役所という場所柄、様々な年の人たちが多くいたのですが、献血をしようとする人はほんとうに少ないように見受けられました。受付の人に聞くと、3時のときで70人にならない人数だったそうなので、おそらく100人も献血しないんでしょうね。
もちろん市役所には用事があって来ている人ばかりなのでしょうから、なかなか献血をする余裕はないのかもしれません。しかし私が初めて献血した香川大学の献血バスでも、健康で元気な学生が多い場所にもかかわらず、50人から70人くらいでした。
なかなか私たちは、献血の大切さと言いますか、献血をすることが人の命を救うことにつながるかけがえのない行為ということに気がついてないのかもしれません。知らない人を助けることは、自分もまた知らない人に助けられているということです。
献血は若い世代、10代20代で減少しています。10年前と比べて、10代20代では献血者が4割近く減ってきています。
私自身、血を抜かれるのは好きではありません。注射をされると気持ち悪くなります。香川県の献血バスでは、400mlをとる全血献血のみを受け付けているようなので、私はこれまでの15回すべて400mlの献血をしています。
血を抜かれる時の感覚といいますか、針が血管に刺さっている感覚が好きではないので、毎回必ず目隠しの布をかけてもらっています。
血を好んで抜かれる人はいないでしょうが、それでも自分の血液が誰が他の人のためになることを思えば、やすいことです。
思えば、新型コロナウイルスが流行する前のことですが、大阪の駅の地下道を歩いていましたら、血液が不足してますと献血を呼びかける大きな声掛けがありました。でも不思議なことに「笛吹けども踊らず」のようにほぼ誰も足を止めようとしないですし、献血を考えるようなそぶりもしないんですね。近づこうともしないですし、まるでその献血の声かけの空間だけ周りから遮断されているように思えて、私にはそれが不思議な空間に感じました。
もちろん献血は誰でもできるわけではありません。
年齢や体重のくくりはありますし、その日の体調や血液の濃さなどなど、したくてもできない人もいます。
しかしそれを差し引いても、献血の呼びかけに対して、目を向けようともしないのは私には違和感を覚えました。
献血をする前段階の受付では、自分が献血できるのかどうかの確認作業があるので、それだけでも受けてみてはいかがでしょうか。
私も20か月ぶりの献血に行って初めて知ったのですが、献血の採血前検査の仕方が変わっていたんですね。前までは注射針をさしていたのに、今では中指の指先にプチッと機械を押し当てて血を検査していました。従来よりも痛くないですし、見た目の怖さもないので、本当にあっという間です。
香川県の献血バスだけかもしれませんが、何らかの理由で献血できず断られても、受付の手続きをしただけで返礼品をもらえているようです。
献血に少しでも興味があれば、まずは受付だけでもしてはいかがでしょうか。10分もあれば受付は終わります。
お寺のお参りでも同じようなことが言えるかもしれませんが、私たちは興味・関心がなければ、なかなか目を向けることができないんですよね。
私がお参りするときのカバンには、献血ラブラッド会員オリジナルキーホルダーをつけているんですが、今まで誰からもキーホルダーについて言われたことがありません。黒いカバンに真っ赤な血液バッグだから目立つと思うんですけども、なかなか献血に興味関心がなければ、目に入っても見えていないのかもしれません。
それで言いますと、最近ではお参りの中にも服にSDGsのバッジをつけている人もいますが、SDGsに興味関心がない人には、あのカラフルなバッジに気がつかないようです。お坊さんの中には、仏教のシンボルの法輪マークのバッジをつける人もいますが、やっぱりこれも気がつかれないようです。
ちょっと話がそれましたが、要は私が言いたいのは、もう少し献血の大切さに皆さん興味関心をもってはいかがでしょうかということです。
献血したくてもできない人もいますが、献血するということは他人の命を救うことにつながりますし、巡り巡って自分の大切な人や自分自身の命を救うことにもつながります。また献血できるということは、自分自身が献血できる体であるということ、健康で恵まれたありがたい状態だということです。
なかなか小さな私は、他人のために何かをすることはできません。ですがほんの小さなことですが、他人のためのできる活動として献血をしてはいかがでしょうか。
2021年11月9日は「献血」をテーマに雑談しました。
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さいごに余談ですが、献血の種類には200mlと400mlの全血献血と、血漿成分献血と血小板成分献血の4パターンがあります。
400mlの全血献血が輸血される人の安全性の面もあって、もっとも需要が高い献血です。献血者の約75%が400mlの献血で、200mlは5%もありません。
香川県の献血バスでは400mlの全血献血のみを受け付けているようで、私もこれまでの15回すべてが400mlの献血です。
血漿成分と血小板成分の献血は年間24回までできるのですが、400mlの全血は年間に3回までしか献血できません。ですので400mlでしたら、生涯に150回ちょっとしかできません。
わたくしごとですが、献血は100回を目標にしています。
あと30年ほど定期的に続けなければ100回できず、そこまで健康で生きていられるか分かりませんが、とりあえず100回が目標です。
できればよし、できなくてもよし、と献血できることをありがたく、楽しみにしています。
献血は不要不急の外出ではない
日本では2020年4月7日より、新型コロナウイルス対策として「緊急事態宣言」が発令されたように、不要不急の外出を控えることが呼びかけられました。
日本赤十字社の公式サイト「緊急事態宣言下でも献血は必要です」に明示されているように、他に代わるもののない輸血用血液を安定的に患者へ届ける必要があることから、献血へのご協力は不要不急の外出にはあたりません。
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献血するの英語は「donate blood」
donateは困っている人達を助ける意味で、何かをあげることでその人のために「寄付する・支援する」ことを意味します。いわゆるボランティア活動がそれに当てはまります。
似た言葉にドナー(donor)があります。医療現場で使われるドナー(donor)とは、臓器や骨髄の提供者のことを意味します。
donateやdonorは古代インドの言葉であるサンスクリット語のダーナ(dâna)、つまり布施が語源とされます。リンク先ではドナー・布施について解説しました。
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