極楽に行くと帰ってこれないの?#290

第290回目のラジオ配信。「お浄土から還ってくる」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)

内容まとめ
  • 7月8月にはお盆がある
  • 亡き人をお迎えし、先祖供養や墓参りをする期間だと思われている
  • 浄土真宗にはお盆がないと思われていることもあるようだ
  • 極楽の世界に行った魂はそこで定住するからだそうだが、これは間違い
  • 浄土真宗には二種類の回向「往相」と「還相(げんそう)」がある
  • 還相とはお浄土の世界から私たちのいる迷いの世界に還り、人びとをお浄土に向けようとするはたらきのこと
  • 極楽浄土の人びとは、いつでも還ってくることができる
  • お盆の数日間だけ帰ってくるわけではない
  • 浄土真宗もお盆をする
  • 亡き人・先祖を偲び、仏さまの教えにふれる機会です

お盆だから先祖が帰ってくるわけじゃないんですね。

浄土真宗もお盆をしますが、「お盆だから先祖が帰ってくる」という考えはないです。

浄土真宗では、お盆でなくても、いつでもどこでも還ってこられています。

亡き人は迷いの存在ではないので、迎えるための迎え火といったことはしません。

かっけいの円龍寺ラジオ

これは香川県丸亀市にいる浄土真宗のお坊さん、私かっけいの音声配信です。

今回は極楽の世界に往くと帰ってこれないのかについてのお話です。

7月8月はお盆の月ですよね。お手元の手帳や日記帳、カレンダーを見ていただいたら、7月15日や8月15日にひらがなで「ぼん」と書いてありますよね。

なぜ平仮名で書かれているのか、私もよく分からないのですが、このお盆というのは亡き人・先祖をお迎えして、先祖供養をする期間、お墓参りをする期間と一般的に認識されていることでしょう。

さて、それで今回は、極楽浄土に往かれた先祖の人は、お盆に帰ってこないのかというお話をしていきます。

浄土真宗のお坊さんの私には、先祖が帰ってこないという発想はなかったんですが、最近とあるお坊さんとのやりとりでハッとさせられました。

そのお坊さんは禅宗の方で、新聞の宗教コラムに記事を書いてほしいという依頼を受けて、それでそのお坊さんから、私かっけいに、文章の確認を相談されました。

その記事の内容をここで言うわけにはいかないのですが、おぼんの説明でこんな風なことが書かれていたんですね。

浄土真宗の人が亡くなると、その魂は極楽浄土に移る。

極楽浄土はすばらしいところなので、魂はそこで定住する。

一方で、禅宗や真言宗などでは、一年に3日間だけ里帰りができる。だから私たちは送り火・迎え火をする。

そんな風なことを書いているんですね。

ああそうなんだ。

お坊さんでも、浄土真宗のことを、こんな風に思い違いされているということは、一般の方たちも同じように、浄土真宗の極楽浄土の世界を誤解されているんじゃないのかなあと思ったわけです。

さて、浄土真宗のご門信徒の方たちはご存知だと思いますが、極楽の世界に生まれ往った方達、先祖は、いつでも自由にこちらの世界に還ってこられます。

浄土真宗でよく読まれるお正信偈の中に「往還回向由他力」の一節がありますよね。

ちょっと難しい言い方をしますと、浄土真宗の回向には往相と還相の二つのはたらきがあるんですね。

往相とは私たちが阿弥陀様の世界、極楽の世界に向かうはたらきのことで、還相とはその逆で、極楽の世界から私たちのもとに還ってこられるはたらきのことです。

この還ってくるはたらきというのは、別にお盆の時という制限された期間というわけではなく、いつでもです。

なんのために還ってくるかというと、私たちを仏道に向かわせるため、お浄土に向かってくださいよ、仏様・いのちとの御縁を大切にして下さいよという働きかけのためですね。

だからですね。阿弥陀様の世界、極楽の世界に往かれた方達は、そこに定住するわけではありません。

一度入ったら出られないってまるで牢獄みたいですよね。阿弥陀様の世界はそんなところじゃないんですね。

仏説阿弥陀経ってご存知でしょうか?

浄土真宗の大切なお経文のひとつで、日常的によく読まれているお経です。

阿弥陀経には極楽の世界がこんなところなんですよ~という説明があるんですね。

極楽の人々は、降り注がれた曼陀羅華の華を盛り、それを他の世界に供養しまわっていると。

また極楽の世界は七重の欄楯・羅網・行樹で囲われているともあるんですね。

欄楯とは橋の欄干やお寺のお堂の縁周りにある柵みたいなものですね。羅網とは透けるような薄い布のことで、イメージするなら天蓋ベッドの上から掛けられている布みたいなものですね。行樹とは道路に並べて植えられている街路樹みたいなイメージです。

そういったものが阿弥陀様の極楽の世界にはあるそうなんですが、イメージしてみてください。すかすかでしょう。

欄干も薄衣も街路樹も空気がす~と通り抜けるように、極楽の世界は自由に行き来できるんですね。

阿弥陀様の極楽という世界はただそこに往くだけじゃないんですね。そこの世界に定住する・出られないわけじゃないんですね。

もっと大切な働きがあって、仏の世界に先に往かれたご先祖様たちは、今度は私たちを仏の世界に導いていこうというはたらきを示してくださっているんですね。

浄土真宗ではお盆に先祖が帰ってこないわけではないんです。そうではなくて、いつでもどこでも、私たちに、仏さまに参ってくれよ、いのちのご縁に気がついてくれよと呼びかけてくださっている存在なんですね。

じゃあ浄土真宗はお盆をしないかといえば、そんなことはないです。

浄土真宗のお盆では、仏教全体の行事として、先祖のご恩をしのび、仏さまの教えに思いをいたす機会として大切に勤められています。

ただし、先祖がこのお盆の期間だけ戻ってくるという考えはないので、ナスやキュウリでつくった乗り物やお盆の時専用のお飾り、精霊棚といったものは設けません。

お盆の仏事・風習は地域ごとに違うでしょうから、お飾りの何が正しい・間違っているとは言えませんが、一つ言えることは、極楽の世界は定住する・留まるところではなく、私たちのために、極楽の世界の人たちがいつも働きかけてくださっているわけです。

今回は、極楽の世界に往くと帰ってこれないのかをテーマにお話しました。

かっけい
かっけい

現代語訳した仏説阿弥陀経のリンクものせます。

阿弥陀仏のお浄土である極楽がどのような世界であるのかがわかります。

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