競馬に詳しい人から、年の暮れごろに「来年には、ナムアミダブツという馬が出てくるよ」という情報をいただきました。
年が明けると、「1月12日の京都競馬場で3歳新馬戦で出てくるよ」とも言われました。
私は競馬が趣味ではないのですが、せっかくナムアミダブツという変わった名前の馬が登場することを気に留めて教えてくださっていたので、競馬番組を録画してみました。
せっかく教えてくださったのだから、リアルタイムで見たらいいじゃないと思う人もいるでしょうが、JRAの中央競馬は基本的に土曜日・日曜日にレースがあるので、お坊さんの私は、テレビを見ることができません。
で夜になってから、競馬番組を見たのですが、新馬戦はダイジェストで、ナムアミダブツがでるレース全体を見ることができませんでした。
でも、ゴール前の最後の直線の様子だけは見ました。
結果は10着と惨敗で、画面後ろにわずかに映るぐらいで、名前も呼ばれていませんでした。
事前に聞いていた話だと、父がオルフェーヴル、母がエアトゥーレと血統の良い馬で、兄弟馬も重賞勝ちが多い、期待の高い馬だったそうです。
ただ今回は結果が残せませんでした。
さて正直、私にとって、レースの結果はあまり気にならないのですが、馬の名前は多少気になりました。インパクトがある名前ですね。
私の寺の宗旨は浄土真宗ですから、それこそ阿弥陀仏の名前、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を称えます。これが競争馬の名前に登録できるんだということも驚きました。
そこでレースを見た後、どうして馬主はこの名前にしようと思ったのか、自分なりに想像してみました。
競馬を見てみると、レース中しつこいくらい、名前を繰り返し読み上げるんですね。
きっとラジオで聞いている人に配慮しているんでしょうが、馬がゲートを出た直後は、先頭から順にそれぞれの位置関係をつたえて、そして最後の直線になると、上位1位から3位くらいの名前を、選挙カーのように激しく連呼しています。
馬にナムアミダブツという名前をつけた人は、きっと浄土真宗の人で、実況アナウンサーに「ナムアミダブツが先頭、ナムアミダブツが先頭」と繰り返し言う光景を見たかったんじゃないかなあと勝手に思いました。
そう想像した後、インターネットでこのナムアミダブツの馬について調べてみると、やっぱり変わった名前だったのか、取りあげているサイトがそこそこありました。
『ギャンブルジャーナル』の1月10日記事、「不謹慎?」良血馬デビューを参考にすると、この馬の名前は、ナンバーガールというロックバンドの音楽の曲名が由来だと考えられると書いていました。
その理由を2つ挙げていて、1つは、この馬を所有している馬主は、他に『タトゥーアリ』という変わった名前の馬がいるが、これもナンバーガールの曲名にあるそうです。他の馬にも歌手の曲名を名前にしているとあります。
もう1つの理由が、この馬の英字表記「Num Ami Dabutz」がナンバーガールの曲名のスペル表記と同じ点を挙げています。
お名号の南無阿弥陀仏をアルファベットにすると、「Namu-Amida-Butsu」となるのですが、馬の方は、「Num-Ami-Dabutz」となっています。
そんなわけで、この馬は、発音こそ「なむあみだぶつ」であるが、阿弥陀仏を意識した名前ではないということですね。ということは、馬主は、実況でなむあみだぶつが連呼されてもあまり気にならないのでしょう。
周りが、どう印象を受けるかは、知りませんが。
さて、仏教的な話ができれば良いのですが、このラジオは10分をめどに短い話をしています。
「馬の耳に念仏」ということわざからの話もしたいですが、ちょっと時間が足りないです。
そこで、もし今後、この馬が活躍して、ナムアミダブツの名前がよく聞くようになったときの話を、軽く先にしておきます。
浄土真宗の人は南無阿弥陀仏をとなえますよね。浄土真宗を知らない人からすれば、呪文のように感じるかもしれません。ちょっと知っている人からすれば、南無阿弥陀仏を口にするのは、極楽浄土に行くための条件だと思うでしょう。
ですが、これは大きな間違いだということを知らない人が、浄土真宗の門信徒の中にも多くいます。南無阿弥陀仏をただ口に唱え、耳にすることが極楽に生まれる要因ではありません。
そのことは本願寺の8代目住職の蓮如上人が、浄土真宗の宗祖親鸞聖人のご命日法要で書かれたお手紙、「御正忌の章」でも取りあげています。
それ人間に流布してみな人のこころえたるとほりは、なんの分別もなく口にただ称名ばかりをとなへたらば、極楽に往生すべきやうにおもへり。それはおほきにおぼつかなき次第なり。
御正忌の章『5帖目11通』より
現代語訳するとこんな意味になります。『世間一般に伝わることに、何も思わずに、ただ南無阿弥陀仏と口にし聞くだけで極楽浄土に生まれることができると、人々が思い込んでいる。これはよろしくないことです。』
もしこの馬が活躍し、ナムアミダブツを耳にし口にすることがあったとしても、何かご利益があるわけではありません。
「じゃあどうすればいいんだ。どんな南無阿弥陀仏をだったらいいんだ」と思うでしょう。それを詳しく説明するには時間が全然足りないので、ここでは短いまとめだけ言います。
- 浄土真宗の南無阿弥陀仏の名号・念仏は、阿弥陀仏の本願と功徳の上にできあがっていること。
- 念仏の心は、私の信心ではなく、阿弥陀仏からの信心であること。
- 阿弥陀仏からの他力の信心を得るには、南無阿弥陀仏の本願のいわれを知ることが大切。
短くまとめるとこんな感じです。
繰り返しラジオをする中で、ちょっとずつ説明できればと思います。
今回の馬の名前に話を戻すと、ナムアミダブツの名前がよく聞かれ口にすることがこれから増えたとしても、それは浄土往生とは何ら関係がありません。
口にただ念仏をすることが浄土真宗ではありません。南無阿弥陀仏と念仏すれば信心を得られるのでもありません。
専門的な言い方をすれば、「阿弥陀仏をたのむが念仏」です。阿弥陀仏にお任せする心での南無阿弥陀仏が大切なのです。
ちょっと短い間に、難しそうなことを言ってしまいましたが、要は「南無阿弥陀仏の念仏が、信心をえるための条件と勘違いとしてはいけないよ」ということです。
最後に余談ですが、私、この競走馬の名前の由来になったナンバーガールのナムアミダブツ(NUMBER GIRL『NUM-AMI-DABUTZ』)をYouTubeで聞いてみました。
私の好みには合わなかったですが、再生回数は27万回以上でさらに高評価だらけです。このラジオ音声をのせているブログ記事に、YouTube動画へリンクしておきますので、聞いてみてはどうでしょうか。
歌詞は南無阿弥陀仏の念仏とは、関係無いものでした。