頑張る?頑張らない?.ラジオ#55

第55回目のラジオ配信。「頑張る」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)

ラジオテーマ「頑張る」の内容まとめ
  • 頑張るの語源は「我を張る」
  • 我を張るとは自分のことで精一杯で周りのことが見えていない意固地な状態
  • 頑の文字は、かたくなに人の言うことを受け入れない意味
  • 頑張りすぎ・頑張りさせすぎには注意
「がんばれ!ニッポン!」の商標

「がんばれ!ニッポン!」は、公益財団法人日本オリンピック委員会(JOC)の登録商標です。

私はポッドキャストに自分の音声を配信していますが、他の人のポッドキャストを聞くのも好きです。趣味というか車の移動とか、時間があったらよく聞いてます。

この前とある番組を聞いてますと大阪万博のロゴと「がんばるな、ニッポン」という話がちらっとありました。

がんばるなニッポンという言葉は私も知っていましたが、そのラジオによると、大阪万博ロゴとがんばるなニッポンというのが、ネガティブで不快で批判的な意見が一部出ているというものでした。インターネットを中心に。

聞きながら「へ~そうなんだ。がんばるなニッポンって嫌なんだ」と思ったので、2020年9月1日に配信の今回は、「頑張る・頑張れ・頑張ろう」をテーマにして短く雑談していきます。

そもそも「がんばるな、ニッポン。」はソフトウエア会社のサイボウズが2020年の3月に新聞広告にのせた言葉です。そして7月には関東圏でテレビCMを出しました。テレワークという働き方をすすめるCMです。

おそらくこの言葉の元になったのは「がんばろう日本」あるいは「がんばれ日本」だと思います。

2011年の東日本大震災で被災地支援とかで、観光庁が国内旅行振興キャンペーンで「がんばろう!日本」というロゴ・キャッチフレーズを使用しています。

同じ時期に「頑張ろう東北」とかの言葉も流行りました。

また「頑張れ日本」というフレーズは紅白歌合戦に出場したアラジンが2008年に歌っており、私たちの耳にどこかで聞きなじみのある言葉にもなっていましたよね。

なんにせよ。「頑張れ。ほにゃらか」は使いやすく、応援しやすく、いろんなプロスポーツでもアレンジして使われました。

特に2020年東京オリンピックでは日本オリンピック委員会が『 がんばれ!ニッポン!』の言葉を積極的に出してきたでしょう。

詳しく調べてみると、「がんばれ!ニッポン!」キャンペーンは1980年のモスクワオリンピックの選手強化募金活動のために、1979年から日本体育協会(現日本スポーツ協会)がテレビCMとかで使っていたようです。

そんな風にオリンピックと縁のある「がんばれニッポン」ですが、2020年の3月は東京オリンピックの延期が決まった時期でした。そんな時に、東京オリンピックの「がんばれニッポン」の真逆のイメージの「がんばるな、ニッポン」を言われたら、当て擦りに聞こえて、そりゃカチンと頭にくる人もいたんじゃないでしょうか。

さてお坊さんの私から言わすと、頑張れというのは本当に良い言葉、ポジティブな言葉なのでしょうか。

まず頑張るの語源から言えば、頑張るは「我を張る」。自分を張る。自分を押し通すが言葉の由来とされています。

頑張るというのは自分のことで精一杯で周りのことが見えていない意固地な状態なので、もともとはそんな頑張る状態、執着しないように戒めていく言葉だったようです。

語源だけでなく、頑張るという漢字を見てみましょうか。

頑張る・頑張れって良さそうな言葉ですが、頑張れの頑って言う文字は頑なっていう意味ですね。

例えば固いという字を合わせた頑固だと、頑なに自分の考えを改めないという意味ですし、迷うを合わせた頑迷だと、自分の考えに固執して考え方が柔軟でないといった意味になります。

頑という文字はかたくなに人の言うことを受け入れない意味があり、頑張る・頑張れのような自己中心的な考えを仏教では避けます。

ですのでお坊さん的には、頑張れというのは世間の人が思うようなポジティブすぎる言葉とも思えないんですね。

でもですね。頑張れは現在では「困難を乗り越えて、努力しよう」という応援・エールになっていますし、ようは使う場面・使う人・言葉を受ける人とかが上手くかみ合えば、言われて嬉しい言葉・励まし・やる気が出る言葉になるとも思います。

相手の状況がわかっていないのに安易に「がんばれ」と声かけしたり、頑張りすぎて限界に達している人を追い打むような「がんばれ」にならないように、エールを送る側も考えないといけないですね。

なんにせよ。頑張りすぎ・頑張りさせすぎには注意しましょう。

仏教にはこんな話があります。

お釈迦様のすぐれた10人のお弟子さんの1人に「あぬるだ(阿㝹楼駄)」または「あなりつ(阿那律)」という人がいました。

あぬるだはお釈迦様が説法されているときに眠ってしまい、お釈迦様からどうして寝たのか聞かれ、あぬるだは叱られたと思い、自分で勝手にこれからは眠らない横にならないという誓いを建てました。

お釈迦様はいつまでも寝ないあぬるだに対して、極端に無理をしすぎてはいけないよと諭しましたが、自分で建てた寝ないという考えに執着してしまったあぬるだは、いつまでも寝ませんでした。

やがて自分の考えを頑なに通し続けたあぬるだは体調を崩し、目も見えにくくなります。

そんな不眠不休で苦しんでいたあぬるだを見ていたお釈迦様は、医者にみてもらうようにすすめました。すると医者はあぬるだを見て、こういったそうです。

「寝たら治る」と。

さあ、どう思いますか。

我を張って自分の考えに固執して努力する姿も素晴らしいかもしれませんが、一方で頑張りすぎて周りの話を受け入れることができず、独りよがりになるかもしれません。

後ろ向きなメッセージにも思う人もいるであろう「がんばるな、ニッポン」というフレーズですが、

お坊さん的に言い換えるなら「一生懸命にがんばるのもすばらしいけれど、無理はしないでね。日本のみんな」にならないでしょうか。

頑張るの語源

ラジオでは「我を張る」を頑張るの語源に紹介した。自分の考えを頑なにこだわり押し通す意味だ。

あるいは「眼張る(がんはる)」が転じて「頑張る」になったとする説もある。目をつけて一点に集中する状態から、頑張るとなったもされる。

精進(しょうじん)

仏教は自己中心的な物事の見方・生き方を戒めます。我を張っている「頑張る」は、自分の考えに固執してしまい、周りの意見を聞き入れることができなくなります。

仏教では「精進(しょうじん)」が「頑張る」に代わる言葉です。

精進はたゆまず努力するという意味を持ちます。

頑張るは我慢して自分の意思を貫くことですが、精進はだらけて怠けず努力することです。度が過ぎると自分勝手な自己中心的になり、怠けすぎると迷いや欲や妬みや嫉みが生まれてきます。

頑張りすぎず・頑張りなさすぎないのがちょうどよかったりします。

あぬるだ・あなりつ

お釈迦様のすぐれた10人のお弟子さんを「十大弟子」といいます。

仏説阿弥陀経では「あぬるだ(阿㝹楼駄)」ですが、経典によっては阿那律(あなりつ)と漢訳されることもあります。サンスクリット語では「アニルッダ」、パーリ語では「アヌルッダ」と読むそうです。

ラジオで紹介した「あぬるだ」はお釈迦さまの従弟とされます。説法をするお釈迦さまの前で眠り叱責をうけ眠らず休まずの誓いをたて頑なにまもり、視力を失うことになったが代えって真理を見る眼を得たとされます。そのことから「天眼第一(てんげんだいいち)」と称されるようになりました。

極端な苦行を捨てて中道によって悟りをえるのが通常なのですが、十大弟子のひとり「あぬるだ」は自分の建てた誓いを頑なにまもり真理を見る力を得ました。私たちのような凡夫にはできないことを貫いた人ですね。

お釈迦様の最後の旅に付きそい、お釈迦様が入滅(亡くなった)された意味を深く理解し、悲しみに暮れ当惑する弟子たちや人々を励ましたとされます。またお釈迦さまの葬儀をとりおこなった中心的存在とも伝えられています。

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