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第86回目のラジオ配信。「家族葬」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
家族葬という新しい言葉は、10年ほど前から徐々にテレビマスコミインターネットなどで広まっています。
ここ数年、特に新型コロナウイルスが流行している2020年2021年は、家族葬の名称の葬儀をお坊さんの私は、かなり多く経験しています。
さて、今回は家族葬という言葉をテーマにしてお話をしていきますが、お坊さん的には家族葬の言葉はまだなんとなく馴染めない感覚。違和感を覚える言葉です。というのも基本的に葬儀は、亡くなった人の身内、家族に関係する人がする・喪主となるので、それをわざわざ家族葬と呼ばなくても、葬儀は家族がするものだと私が感じてしまいます。
家族が故人を弔わない葬儀の形が当たり前にあるのであれば、家族葬という言葉もわかるのですが、そういうわけでないですよね。たいていは葬儀の喪主は故人と関係の近い血縁者がしますよね。
また家族葬といいながらも、実際は血縁関係のない家族以外の人も葬儀に参列していますよね。要は世間一般で使われる家族葬とは、人数を減らした小規模・少人数の葬儀を指しているのに過ぎないのに、その小規模少人数をあえてわざわざ家族葬というのは、お坊さんの私は、どうかなあと思う表現です。
今は「家族葬」という言葉や葬儀スタイルが当たり前にになりつつありますが、似たような小規模少人数の葬儀として、「親族葬・友人葬・友達葬・個人葬」といった言葉もあったりします。でも今、主に使われるのは家族葬という言葉ぐらいです。ここ10年ほどで急速に使われるようになってきています。
他の「親族葬・友人葬・友達葬・個人葬」といった言葉の葬儀が流行らず、家族葬が流行ったのは、芸能人のような影響力のある人たちがその言葉を使うようになったからだと思います。
ニュースで芸能人や有名人が亡くなり、『葬儀は近親者・親しい人のみの、家族葬にて執り行いました』と流れますと、一般人もそれにならって家族葬という言葉をまねようとなります。
実際は家族だけがする葬儀でなくても、家族葬という言葉が自分たちの都合の良い解釈でとらえられて家族葬が広がっています。
私がちょっと驚いたニュースの一つに、2019年に亡くなったジャニー喜多川さんの葬儀があります。ジャニー喜多川はジャニーズ事務所の創業者ですよね。
彼の葬儀は家族葬で執り行われることが伝えられました。その家族葬の150人の参列者は、ジャニーズ事務所のタレントだったとされます。
現在私たちが使う家族葬は小規模少人数、また血縁者に近い関係の人が葬儀を行うといったように考えるでしょうが、ジャニー喜多川さんの葬儀は150人もの大人数かつ、所属タレントが参列するという形であり、私たちが利用する家族葬とはイメージがかけ離れているのではないでしょうか。
言うなれば、タレント葬や事務所葬のような言葉がよりぴったしな葬儀の名称に感じるほどです。
こんな風に家族葬と思いにくいような葬儀であっても、実際は家族葬の言葉が使われるのは、そもそも家族葬という言葉には厳密な定義がないからです。
家族葬の意味・定義は葬祭業者によってバラバラで統一されておらず、それぞれが自由な解釈で、家族葬を使っています。一般的には、「故人の血縁者が葬儀の喪主をつとめた小規模少人数な葬儀」を家族葬と説明されます。
決して家族葬は家族だけしか葬儀に参列できないわけでもなく、人数はほんの数名しか参列できないわけでもありません。
家族葬の意味・定義は葬儀社によってバラバラなように、その家族葬という言葉を利用して葬儀をする人たちもまたバラバラに、自分たちの主観で自分たちが呼びたい範囲の関係や、自分たちが行いたい規模の葬儀を家族葬という言葉にはめ込んでいます。
お坊さんの私の感想をまとめますと、家族葬という言葉が嫌いなのではなく家族葬という言葉の使われ方がどうも心にひっかかる所です。
理由は葬儀は故人と近い人・家族が行うものが今も当たり前の形だからと感じるからです。
わざわざ家族葬と言いながらも、実際は少人数小規模の葬儀であったりあるいは自分たちの都合のよい解釈ができるように利用した言葉となっているのが、なんとなくモヤモヤします。
親しい人のみが葬儀に参列するのも、現代の葬儀の形なのでしょうが、人数を絞った葬儀というのは生きてきた縁を断ち切る葬儀に感じて寂しい感じがします。
特に浄土真宗のお坊さん的には、葬儀は広く案内するものだと思うほどです。
人は目に見えないところまで様々なご縁の中に生きているのにも関わらず、死んだらもう関係なかったものにするのは、よろしくないと思います。
また仏教ではどんな人でも一生に一度は大説法をすると言います。その大説法とは、自分の死んだ姿、死んでいく姿を生きている人に見せることです。仏教は生きている今が大事だとかけがえのないものだと教えますが、それと同時に死んでいく事実を見つめることも大事なことです。
葬儀という場は、生きている私たちのために死んでいくことを伝える大事な仏法の場でもあるので、お坊さんの私は、葬儀のご案内は狭めていかないようにしてほしいものです。
もちろん時代の流れというのもあったり、新型コロナウイルスというのもあって、案内を受けたら迷惑に感じる人もいるだろうと心配になる喪主もいることでしょう。
でもですね。縁の中に生きている私たちが、葬儀を縁を切る場所にして、縁に感謝・お礼を申し上げようとしないのは、おかしな話ですよね。
家族葬は喪主にとって便利な言葉ではあるのでしょうが、余裕のある時にちょっと立ち止まって、何が家族葬なのか?なぜ家族葬にするのか?本当に案内をしなくていいのか?といったことなどを考えてほしいなあと思います。
家族葬とは何だろうか?【過去記事】
過去記事で「家族葬」について書いていたので、こちらにまとめます。
2019年7月9日にジャニー喜多川という人が亡くなったそうです。影響力のある人らしく、テレビや新聞では、「家族葬」という言葉が大きく、繰り返し繰り返し報じられています。
実際にどんな家族葬だったのか、ニュースを見てみますと、事務所の所属タレントら約150人が集まった葬儀とのことです。
さて皆さんはどのように思いますか?
「家族葬」とは何のか?いったいいつごろから、どのようにして使われるようになったのか?を書いていきます。
家族葬は2000年の初めころに使われはじめた
「家族葬(かぞくそう)」という言葉が、世の中に出てき始めたのは、おそらく2000年のはじめころだと思います。
これはグーグルトレンドの画像で、2004年頃から年々、「家族葬」という言葉が検索されるようになってきたことが分かります。
実際には2000年よりも前から、家族葬の言葉は一部の地域では使われていたとされます。
しかし家族葬と言う言葉が、葬儀料金を安く抑えたり、親戚や地域との煩わしい付き合いをしたくない喪主側の気持ちとマッチしたのか、広く定着していったのだと思います。
また芸能人や有名人がそろって『葬儀は親しい人のみの、家族葬にて執り行います』というニュースが流れますと、一般人もそれにならって、家族葬をまねようとなります。
しかし実際には、家族葬の言葉はもっと昔からありました。それは「家族葬」だけでなく「友人葬・友達葬・親族葬・個人葬・直葬」でもあてはまります。ただ家族葬と違ったのは、影響力のある人たちがその言葉を使わなかっただけです。
もう一度、上の「家族葬」のワードのグーグルトレンドを見てください。右端の青い折れ線が急上昇しているでしょう。おそらくジャニー喜多川の葬儀に影響されて、「家族葬」が今後より流行るのでしょう。
家族葬と一般の葬儀(一般葬)は何が違う?
ジャニー喜多川のニュースを聞きますと、150人ものタレントが参列したそうです。
お坊さんの私がよく経験する家族葬は、喪主の家族や親族、また故人との濃い付き合いのあった人たちの20名ほどの葬儀のことをさすと思います。皆さんもきっとそう思うでしょう。
ジャニー喜多川の葬儀を聞いた私は、「一般社員を除いた社葬」や「タレント葬」をイメージしました。もっといえば、なぜ家族葬と言う言葉になるんだろう?ただの芸能人の葬儀じゃないか。と思いました。
株式会社ジャニーズ事務所のHPを見ますと、次のような説明があります。
ジャニーの子供でございますタレント達とJr.のみで執り行う家族葬とさせていただきます
2019.7.9 代表取締役社長ジャニー喜多川に関するご報告
ジャニーの子供を集めますと、150人もの人数になったのですね。(相続大変そうね)
葬祭業者によって、葬儀に使われる言葉の意味は違いますが、家族葬と一般葬は次のような意味になります。
一般の葬儀は、故人との別れ・仏様へのお礼をする宗教的儀礼だけでなく、故人と喪主の家族が、これまでにお世話になった方々へのお礼をする場であり、またこれからのご縁・つながりを大切にしていく場でもあります。
家族葬と比べて、一般の葬儀は人数が多くなりがちです。でも葬儀はそういう場なのです。
ちなみに参列者の規模による線引きは、今のところないのがふつうです。
10名ぐらいの人数が家族葬だとか、50名だから家族葬じゃないとか、そんな人数による名称の分け方は今はないですね。(業者の葬儀プランでは、人数で分けられることもありますが)
家族葬と密葬は何が違うのか?
家族葬という言葉は、お坊さんはあまり好きではありません。なぜなら家族がしない葬儀というのは無いからです。
葬儀の形は、大きく分けて「密葬と本葬」のどちらかです。
密葬とは、本葬(正式な葬儀)ができない場合の、仮の葬儀のことです。密葬をするなら後日改めて、本葬もしないといけません。
しかし家族葬や直葬の言葉が流行したように、現代では密葬も意味合いが変わって使われています。密葬が「他人には知られずに、密かにこっそりと行われる葬儀」の意味で使われるようになり、「家族や知人のみの参列」という葬儀へとなりました。
「家族や知人のみの参列」というのは家族葬と同じのですが、こっそりと隠すようにする葬儀をイメージする密葬よりは、家族葬のフレーズの方が喪主にとって都合が良かったのでしょう。
家族葬がまだ一般的でなかった頃、密葬と言う言葉も使われていました。
余談ですが、葬儀と告別式・お別れの会は全く違う言葉です。葬儀は宗教儀式(葬送儀礼)ですが、告別式やお別れの会は宗教儀式ではありません。関連記事『私は「葬儀並びに告別式」の言葉が好きではない』
家族葬はなぜ流行っているのだろうか?
今後ますます「家族葬」という名称の葬儀は広まるでしょう。
今でもかなり増えました。
でも家族葬と言いながら、実際には家族以外の人も普通に参列しています。
昔は「葬儀は近親者のみで密葬にて」いう葬儀がありました。でも生まれてからこのかた、だれからの支えもなく、縁のなく生まれて死んだ人なんていません。密葬だけの葬儀は、なんとなしに後ろめたさを感じていたのではないだろうか。
しかし芸能人のようなテレビに取り上げられる人が、「家族葬」を行うとどうなるでしょうか。美談のように語られるとどうなるでしょう。
家族葬には、家族や親しい人だけで心を込めて行い、故人をおざなりにしていないですよというイメージを周りに与えやすく、後ろめたさの払拭にマッチしたのではないでしょうか。
喪主自身も、喪主としての務めを果たした充実感をえるのと、葬儀費用やお付き合いのことを減らすために、 家族葬という言葉を利用するようになったのでしょう。
家族葬という言葉が世の中に広まってきたのは、まだ20年ほどのことです。しかし爆発的に使われています。
家族葬は葬儀の規模を小さくしたい、今の世の中のニーズに合っているのでしょう。
家族葬は家族のみ・近親者のみの葬儀ではなく、喪主の主観によって使われている葬儀です。ジャニー喜多川の葬儀は、ジャニーの子供が150人集まった家族葬とのことですが、血縁関係はおそらくないでしょう。でもそれでもいいのです。喪主の勝手な都合で人を選べるのが、今の家族葬なのですから。
家族葬は実際の血縁関係かあるかや親子関係があるかではなくて、自分たちが呼びたい人たち(呼びたくない人たち)を選ぶという意味合いで、都合よく使われています。
葬儀というのは、亡骸という死の姿をみせる人生最後の仏法を伝える場です。葬儀はこれからどんどん内向きなものへとなるでしょう。しかし私たちはさまざまな縁の中に生きています。都合のよい意味で「家族葬」が使われるかもしれません。豪華な葬儀にする必要はありません。でも命のご縁を大切にするために、葬送儀礼だけはこれからも縁ある人に広く伝えていってほしいです。
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