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第223回目のラジオ配信。「お寺の大鐘」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
かっけいの円龍寺ラジオ
これは香川県丸亀市にいる浄土真宗のお坊さん、私かっけいの音声配信です。
今回はお寺の大鐘を鳴らすことについてのお話です。
つい先日の香川のニュースで、四国遍路の世界遺産への機運を高めようというのがありました。
その一環で、お遍路さんが歩く道、遍路道の安全点検や清掃活動をしたそうです。
四国遍路の世界遺産登録を目指すNPOによると、四国四県で約9000人がこの安全点検のイベントに参加したとのことでした。
「四国遍路の世界遺産に登録」という活動はここ5年くらいの間にニュースでよく聞くようになりました。
今から20年ほど前に、和歌山県の山々にある霊場と参詣の道が世界遺産に認定されているので、弘法大師空海由来の四国の山々の四国遍路も世界遺産に認定されても不思議ではないところですよね。
ただ正直なことを言いますと、なかなか四国の香川の人にしても、四国霊場をきちんと全部回っている人ってそういないと思うわけなんですよね。
ひょっとすると、全国的に見たら、四国ってどこ?香川県ってどこ?お遍路って何?ていうそういうレベルかもしれないところです。
ご存知でない方のために簡単に説明しますと、四国遍路は、四国の香川県・愛媛県・高知県・徳島県の4つの県にある八十八の札所というお寺を順番に回ってお参りすることを表します。
その歩くことをお遍路といい、歩く人のことをお遍路さん、歩く道のことを遍路道と言います。
八十八の札所は、今から約1200年ほど昔のお坊さん、日本の真言宗を開いた弘法大師空海に由来があるとされている88カ所のお寺のことです。
弘法大師空海さんは、香川県の善通寺市に生まれた人で、修行のために四国の山々を歩いていたとされてます。
弘法大師空海さんが縁ということで、八十八のほとんどが真言宗関係のお寺です。
私のお寺は浄土真宗なので、あまり真言宗のお遍路とは関わりがないですし、浄土真宗の考え方としても遍路巡りにあまり魅力がないと言いますか、する必要がない行いにみえますので、そう積極的に88カ所にお参りすることもないです。
浄土真宗のお坊さんの私も、これまでに20ほどしか四国遍路の札所にお参りしたことがありません。ご縁があったときに、お参りするぐらいです。
お参りの作法も全然違うようです。
それでここから、今回のお話のテーマの大鐘の鳴らし方のお話になります。大鐘は梵鐘とも言います。
皆さんに思い出してほしいのですが、浄土真宗のお寺にお参りに行った際、そんなにお寺の大鐘を鳴らすことはないでしょう。
決して浄土真宗のお寺では大鐘を鳴らしたらダメとは言っていないんですが、多くの人が鳴らさずに帰っています。
浄土真宗のお寺の人からしても、鳴らす必要がないので、「鳴らしてください」とお声掛けしていないのも原因だと思います。
一方で、お遍路さんの札所に行きますと、お寺の大鐘が鳴らされていることがよくあります。
浄土真宗の人からすれば不思議な光景ですが、お寺参りの時に鐘を鳴らすというのは他の仏教宗派ではふつうにあるようです。
それで私はこの前、ある札所のお寺にお参りしますと、鐘撞堂のところに、お参りの作法が紹介されていました。
その説明書きの言葉をそのまま紹介しますね。
鐘はお参り前につきましょう。
鐘をつくのは、仏様へ「今からお参りにまいります」という合図です。
お参りのあとにつくことは「出鐘(でがね)」といって、仏様に失礼になりますので、つきません。
このように書かれてありました。
またインターネット上でも、いろんな旅行サイトなどで、お寺を出る時に鐘を撞くのは、失礼、縁起が悪いといった理由で、鳴らしたらダメと紹介されています。
極め付きは、四国八十八ヶ所霊場のお寺によって構成 されている四国八十八ヶ所霊場会のウェブサイトで、はっきりと、「帰る際は撞かないとされます」というお墨付きがあります。
四国八十八ヶ所霊場会のウェブサイトによると、「出る鐘」が「出金」ともとれるので撞かない、さらに死者を送る鐘を「でがね」と呼ぶからというのを理由としています。
さて、そういういろんなウェブサイトで、帰る時、お寺から出る時に、大鐘を鳴らすのはダメと言われたら、そうなんだと思いますよね。
四国八十八ヶ所霊場会のようなしっかりしたところが言ったら、日本全国どのお寺でもそうしないとダメと思うかもしれませんよね。
でも浄土真宗のお坊さんの私からしたら、別に帰る時に鳴らしてもいいじゃないと思うわけです。
浄土真宗の場合、お寺の鳴り物には全部意味があって、決められたときに鳴らされています。
お仏壇の横の小さな鳴り物、おりんも皆様、お仏壇の前にお参りに来たさいに鳴らしがちですが、浄土真宗の場合、お勤めの読経の合図の意味で使う道具なので、決して皆様にぜひお鈴を鳴らして下さいよとは勧めていないですよね。
でも皆様がお参りの合図や記念として鳴らされるのであれば、鳴らさないでくださいとも言わないはずです。
鳴らしたかったら鳴らしてもいいと思うわけです。
浄土真宗の場合、お寺の大鐘の意味は、お寺での仏教法要・儀式が今日ありますよ、そろそろ始まりすよというお知らせのために鳴らすものです。
なので他の仏教宗派のように、仏様に対して「今からお参りにまいりますよ」という合図・呼び鈴のような意味では鳴らしていません。
これもまた皆様に聞きたいのですが、一年最後の夜の鐘撞き、除夜の鐘のときも、お寺の本堂にお参りする前に、大鐘をまず鳴らしているんでしょうか?
私のところのお寺、浄土真宗の円龍寺では、除夜の鐘つきに来られた人たちには、まずご本尊の仏様を安置している本堂へのお参りを案内しています。本堂に参ってから、除夜の鐘つきをすすめているのですが、他のところでは、やっぱり除夜の鐘つきの方が大事なのでしょうか?
浄土真宗の場合、仏様・阿弥陀様が中心なので、まずは仏さまの元に向かい、お姿を見て手を合わすことを勧めています。
別にどっちが正しいと比べるのではないですが、私は別に帰る時に鳴らしてもいいと思っています。
鐘を鳴らさなかったら、仏さまが気がついてくれない、振り向いてくれない、とも思っていないですしね。
それと帰る時に鳴らしたらダメという理由で、帰る時、出ていくときの鐘は出鐘というのがあるそうです。
出鐘(出金)という音の響きがお金が出ていく・失うというイメージがあるのが理由らしいです。でも浄土真宗の人からしたら単なるダジャレのおかしな理由ですよね。
また、もう一つの理由に、お寺を出る時に鳴らす鐘は、葬儀の時の亡き人を送り出す出棺のときの音を連想させるから不吉・縁起が悪いというのがあるそうです。
この理由を聞いて、なかなか想像力がたくましいなあと思いました。
お寺から帰る時に鳴らす鐘の音が、葬儀の出棺の音をイメージするというのはすごいなあと思います。
でも本当に、出棺のときだけ、音を鳴らしていましたか?
私のお寺の周りでは、今から70年ほど前、戦後しばらくは、野辺の送りと言って、家で葬儀をした後、参列者は葬列を組んで、亡き人を地域の火葬する場所まで歩いて運んでいました。
私のところでは、葬儀が始まる直前は、地域の人たちに今から葬儀が始まりますよという合図で、自転車に乗った人がベルのような鐘を鳴らしまわっていたそうです。
決して鐘の音は葬儀の出棺のときだけをイメージするのではなくて、葬儀が始まる時にも鳴らされるものだったと思うので、鐘の音が葬儀の出棺をイメージするからというのは飛躍した理屈だなあとなんとなく思いました。
そんなことを言ったら、お参りする際のはじめの鐘も、葬儀の開始を知らせる音を連想するとも言えかねないと思います。
お話が長くなりましたので、まとめますね。
お寺の鐘は帰る時には鳴らしたらダメとされることがあります。
その理由は、お寺から出る時に鳴らすのは、出鐘や戻り鐘といって、お金が出るとか、亡き人を送る出棺の時の鐘を連想するからだそうです。
そういうお寺では、入り鐘と言って、「仏様のもとにお参りに来ましたよ」という合図で、寺に入ったときに鳴らすそうです。
一方で、浄土真宗の場合、お寺の鐘は帰る時に鳴らしてもいいんじゃないかと思っています。
むしろ鐘を鳴らすよりもお寺にお参りのさいは、まずはご本尊様を安置している本堂にお参りすることをおすすめします。
浄土真宗の場合、お寺の大鐘の音は、これからお寺で仏教法要・儀式が始まるというお知らせのためであり、仏様にお参りに来ましたよという合図・呼び鈴ではないからです。
お参りの人たちがお寺の大鐘を鳴らす意味はないですが、お参りの記念として鳴らしたいのであれば、お寺のご住職さんの許可を得て、お帰りの際でも、お好きなときにでも鳴らしていただけたらと思います。
今回のお話は、お寺の鐘は帰る時に鳴らしたらダメではないこともあるよということをお話をしました。
どっちかが正しくて、どっちかが間違っているというお話ではありませんからね。
鳴らされる時は、そのお寺のルールに従って、分からないときには、質問して許可を得てから鳴らしていただければと思います。
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