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お寺の参道が斜めになっている理由.#218

第218回目のラジオ配信。「お寺の参道」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)

かっけい
かっけい

お寺の建物をテーマにした音声配信が続いています。

インターネットで調べ物をしていると、お寺の参道の向きについての興味深い記事がありました。

同じ浄土真宗宗派の善照寺さんが取りあげている「お寺の参道」についてです。

善照寺さんと私かっけいの考えが違っているようなので、参道について話しました。

ラジオテーマ内容まとめ
  • 善照寺さんによると、お寺の本堂と山門はわざとずらしている。かなり高い割合でお寺はこういう建て方をしているそうだ
  • 私は逆、ずらしていないお寺の方が多いと思う
  • 私はまっすぐな参道のお寺の方がずっと多いと考える
  • お寺の参道はまっすぐな方がありがたいです
  • 善照寺さんは参道が曲がっている理由、本堂と山門がズレている理由を3つあげている
  • 私かっけいも善照寺さんとは異なるズレている理由を3つあげた
  • 山門をくぐる時は、本堂の方を向いて(仏さまの方に相対して)、一礼しましょうね

善照寺さんは、多くのお寺がわざと本堂と山門をずらして曲がった参道をつくられていると思っているようです。慣例として本堂と山門はずらして建てるものだそうです。

本堂と山門をずらしまっすぐな参道にしないのは、仏さまに失礼にならないようにという理由を考えています。

一方私は、多くのお寺では、本堂と山門はずらして作っていないと思います。実際私の周りのお寺の7割8割のお寺はズレていません。参道は本堂から真正面にまっすぐです。

それと私はまっすぐな参道は、山門から出入りする一礼する時に、まっすぐに本堂の方に向くことができるので、ありがたいなあと感じています。

わざと仏さまに向かって斜めに拝むことはないと思います。

かっけいの円龍寺ラジオ

これは香川県丸亀市にいる浄土真宗のお坊さん、私かっけいが、短いおしゃべりをする音声配信です。

今回はお寺の参道について話していきます。

参道とは、お寺の出入り口の山門と本堂を結ぶお参りするための道のことです。

お寺の建物をテーマに最近お話をしていて、インターネットでそれ関連のことを調べ物をしていたら、興味深いブログ記事を見つけました。

同じ香川県丸亀市のお寺で、善照寺さんが「お寺の参道はなぜ曲がっているのか?本堂と山門がズレている理由」について書いていました。

善照寺さんのブログではお寺の参道が曲がっている理由を3種類、理由を推測して説明されています。

ですが、私はその3つの理由とは違った考えをもっています。今回は、私が思う、お寺の参道の向きについて話していきます。

ちなみに善照寺さんは、私と同じ、浄土真宗の興正派に属しています。

さて、それではお寺の参道の向きについてお話していきます。

善照寺さんと私の考えの違いを比べながら話していきますね。

善照寺さんのブログ記事の言葉を引用すると、

「わざと本堂と山門はずらして建てられている。かなり高い割合で寺院はこのような建て方をしているようです。」とあります。

ですが、私はそれはどうかなあ~。違うんじゃないかな~と思います。

本堂と山門をずらしているお寺は少ないと思います。

本堂と山門をつなぐ参道がまっすぐなお寺は、私の体感では7割8割のお寺であって、善照寺さんとは真逆の印象をもっています。

例えば、私の寺は香川県丸亀市金倉町にあります。金倉町には5つのお寺がありますが、5つすべてが、本堂と山門がずれずにまっすぐの参道でつながっています。

また、善照寺さんと私は、同じ宗派に属していて、お寺のグループの組みわけも同じです。

同じグループに属している近隣の12のお寺をみても、本堂と山門がずれているのは、善照寺さんのお寺を含めて三か寺で、他、九つのお寺は本堂と山門はずれておらず、真っすぐの参道でつながっているように見えます。

丸亀市全体にあるいろんな仏教宗派のお寺をみても、7割8割のお寺は、やっぱりまっすぐなように見えます。

浄土真宗の10ある本山をみても、真宗興正派の本山興正寺と本願寺派の本山西本願寺と山元派の本山證誠寺は本堂と山門がずれていて参道が斜めにのびていますが、他、浄土真宗の7つの本山は本堂と山門がまっすぐに見えます。

本山をみても、地方の末寺をみても、参道が斜めに向いている曲がっているお寺が多いようには私は思えないのが、善照寺さんとそもそも認識が違っています。

それで善照寺さんのブログでは、3つの理由をあげています。

一つ目は、本堂の真正面にまっすぐな参道があると、門を出る時にお尻を向ける、背中を向けるから失礼になるという理由でした。

非常にもっともらしい理由ですが、私は違った考え方です。

まっすぐな形の参道の方が逆にありがたいというように感じます。

お寺の境内を出入りする山門は、俗の世界、世俗と仏さまを敬う空間をわける建物です。

お寺を出入りするとき、山門をくぐるときは、どちらも仏さまをまつる本堂の方を向いて、一礼をします。

つまり本堂に上がらずとも、門をくぐるその時から、すでに私たちお参りの人は仏さまを敬っているということです。

そんなとき、もし参道が曲がっていたらどうでしょうか。

私は山門からまっすぐ本堂を目にして、仏さまと相対して、拝む方が有難いと思います。

私の祖母は、毎朝、朝6時前に自坊円龍寺の山門を開けていました。祖母は山門の扉をあけると、そこから向き直って、参道の真っすぐ先にある本堂に向かって手を合わせ仏さまを拝んでいました。私はその光景をいまも鮮明に覚えています。

帰る時に仏さまに背を向けると失礼にあたると考えるのも、わからなくもないですが、私はお寺に参る時も帰る時も仏さまをまっすぐ拝むことができるように、参道がまっすぐ伸びている方が、ありがたいと考えます。

わざと斜めから仏さまを拝むのはなにか違う気がします。

次に善照寺さんがあげる2つ目の理由です。

2つ目は攻められたり狙われにくいためとのことです。

たしかに、戦乱の世の中、戦国時代以前であれば、寺は集会場所になったり、戦渦の中心地、争いに巻き込まれる恐れもあったでしょう。

そういった目的もあるかもしれませんが、今あるお寺は、江戸時代以降、国内が安定した世の中に建ったり再建されたお寺ばかりでしょうから、善照寺さんの言われる「攻められたり狙われにくいため」というのは、今、参道が曲がっているお寺の理由にはならないと感じます。

さいご、善照寺さんがあげる3つ目の理由です。

3つ目は神社の作りと混同しているんじゃないかです。

神社では、神さまの真正面を避けるために基本的に中心をずらして建てるのが通例だと、善照寺さんは説明されていました。

ですが、これも私はホントかな~。なんか違う感じがしています。

というのも、私が思う神社の多くが、参道がまっすぐだからです。

例えば、香川県善通寺市にある香川県護国神社は鳥居から拝殿までまっすぐ参道が伸びています。また護国神社の横、乃木将軍夫婦をまつる乃木神社も参道がまっすぐ伸びています。

また香川県讃岐の国の一宮である高松の田村神社も、大鳥居をくぐる表参道はまっすぐ走っています。

香川県の国宝の神社である、坂出市の神谷神社も参道はまっすぐです。

他、丸亀市で有名な丸亀城の南にある山北神社、多度津町にある弘法大師空海ゆかりの熊手八幡なども参道がまっすぐです。

私が思うに香川の9割ぐらいの神社は、参道がまっすぐなつくりになっていると思います。

ひょっとしたら全国的にみたら、善照寺さんが言うように、神さまの真正面を避けるために中心をずらして建てている神社の方が多いのかもしれませんが、香川に住む私の周りにある神社をみると、参道が曲がったり斜めになっている神社は少ないように思えます。

そういったわけで、善照寺さんのいうお寺が神社の作りと混同しているというのは、なにか違う気がします。

それじゃあ、ここから私が思う、お寺の参道が斜めである理由について話していきます。

ただし私の場合も善照寺さんと一緒で、確たる根拠がある話ではありません。

こういった考えもあるということで聞いてください。

1つ目の理由は、参道を斜めにすることで、お寺の境内の空間を広く使えるというメリットがあると思います。

もしも本堂からまっすぐ参道をひくと、本堂と山門の距離が近くなり、すぐにお寺の外に出てしまうことになります。

狭い敷地のお寺でも、空間に奥行きが生まれ広く感じさせることができます。これが参道をあえてまっすぐ引かない理由ではないでしょうか。

2つ目の理由は、お寺の境内の空間を楽しませるものです。

お寺は仏さまをおまつりし、仏さまを敬い、仏法に出遇う場所です。

それだけでなく、お寺という歴史文化のある空間で、お寺の建物伽藍や庭の様子をみる楽しみもあります。

まっすぐな参道よりも曲がった参道、斜めになった参道の方が、お参りの人の見る景色に変化がたくさん生まれることになるでしょう。

さいご3つ目の理由です。

3つ目は一番単純な理由で、お寺を建てるとき、本堂と山門の位置関係をそんなに厳密に建てようとおもっていないんじゃないのかなあと思っています。

お寺の本堂って長い歴史の中で、地震や火事といったもので何度も倒れてたりしているわけです。

それでその都度、新しく立て直す訳ですが、お寺からすればそんなに厳密に本堂と山門が一直線にならないとダメって考えて無いと私は想像するわけです。

なるべく参道がまっすぐなるように作りたいんだけども、別に参道が斜めになったり、くの字に曲がってもそんなに気にしていないと思うわけです。

斜めになったらなったで、空間に奥行きができて、それこそ善照寺さんがいうように、仏さまにお尻を向けない失礼にならないという理由ができると思います。

真っすぐになったらなったで、山門をくぐる出入りで、仏さまへの一礼拝むときに、仏さまとまっすぐ相対して向き合い、仏さまを敬うことができるという理由になるでしょう。

私の想像ですが、参道が斜めになっているお寺は、長い歴史の中で、たまたま、本堂と山門の関係がずれてしまっただけな気がします。

以上で今回のお話をまとめますね。

同じ浄土真宗宗派の善照寺さんは、お寺の参道が曲がっている、本堂と山門がずれて建てているお寺の割合はかなり多いとブログで説明しています。

ズレている理由は、お尻を向けて失礼にならないように、攻められたり狙われにくいように、神社の作りと混同しているんじゃないかという3つの理由を推測しています。

一方、私かっけいは、参道が曲がっているお寺の方が少なくて、本堂と山門を結ぶ参道がまっすぐなお寺の割合の方がずっと多いと感じています。

ズレているお寺がある理由としては、参道を斜めにすることで本堂と山門の距離を長くして奥行きを感じさせること、お寺の建物や庭を視覚的に変化させ楽しませること、お寺の歴史の中でたまたまそうズレてしまったという3つの理由を推測しています。

皆様のお住まいのところのお寺、また神社の参道はまっすぐですか?それとも斜め、曲がっていますか?

次、お参りする時は建物だけじゃなく、参道の形にも注目してみてはどうでしょうか。

ちなみに私のいる寺、円龍寺の参道は山門からまっすぐ本堂に向かっています。

お寺にお参りされる時は、ぜひ山門から本堂の仏さまに向かって一礼していただけたらと思います。

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参道が斜めになっている、曲がっている理由

善照寺さんによる3つの理由
  • お尻を向けてご本尊さまに失礼にならないように
  • 攻められたり狙われにくいように
  • 神社の作りと混同しているんじゃないか
私かっけいの3つの理由
  • 本堂と山門の距離を長くして奥行きを感じさせるため
  • お寺の建物や庭を視覚的に変化させ楽しませるため
  • 本堂と山門を厳密にまっすぐ建てようとしていない、お寺の歴史の中でたまたまそうズレてしまった

繰り返しますが、私は仏さまをまつっている本堂は、斜めからではなくまっすぐ拝みたいです。

お寺の山門は仏様参りのうったて、門をくぐる時は一礼をします。

本堂から山門へと真正面に伸びるまっすぐな参道がありがたく感じます。

多くのお寺では参道はまっすぐじゃないでしょうか。

自坊円龍寺については、次のリンクで紹介しています

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