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第159回目のラジオ配信。「納骨と永代」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
かっけいの円龍寺ラジオ
この番組では香川の浄土真宗のお坊さん、私かっけいが、短いお話をするラジオです。
先日ニュースを見ますと、北海道札幌のとある宗教施設の納骨堂が、経営破綻・閉鎖して、利用者は納めているお骨をそれぞれ引き取るという事態になっているそうです。
ここ10年ほどは、墓じまいというものがグッと増え、どこかが管理する納骨堂にお骨を納めるというケースがかなり増えているように感じます。
別に納骨堂にお骨を納めるのは、悪いことではないのですが、その納骨に合わせて付いてくる「永代○○」という言葉が私は非常に気になります。
今回は「永代」という言葉について、浄土真宗のお坊さんの私が短く雑談していきます。
ニュースで流れている札幌の納骨堂のホームページを確認しますと、「安心の永代供養」と紹介され、「永代供養とは、家族や親族がおらず故人様の供養ができないため、お寺が代わりに遺骨を守り供養を行い続けることです。」と説明されていました。
最近は私の住む近くでも、宗教宗旨宗派不問でお骨を預かる寺や葬祭業者などが少しずつ増え、その多くで「永代供養」という言葉が売り出し文句で使われています。
しかし永代と言いながら、実際はどうでしょうか?
永代と言われると、いつまでもずっと、永遠にお骨を預かってくれる管理してくれると思ったりしないですか?
でも多くの場合そんなことはなく、永代供養でと言いながらも、ある一定期間の期間が過ぎたらお骨を取り出して他の人のお骨と混ぜ合わせたりします。
もちろんお骨を後々取り出して、他に預かっているお骨と混ぜますということを事前に説明されるでしょうが、一度混ぜたお骨はもう後から引き取るということはできなくなります。
また永代と言いながら、その個別にお骨を預かる期間は納骨施設によって異なり、13年あるいは33年たつと、お骨を取り出したり、短いところだと、1年たつと取り出し他のお骨と一緒にします。
また、今回の札幌の納骨堂のように、経営が破綻して、今後の永代供養ができないからお骨を引き取ってほしいということもありえます。
納骨堂を建ててわずか10年なのに、永代供養ができなくなるケースだってあるということです。
今は、お墓を廃止に、墓じまいをし、永代供養の納骨堂にお骨を納める人は増えていますが、永代という言葉は名ばかりで、実際はそのある一定の期間、あるいはその納骨の経営が終わるまでといった期間の意味になります。
さてそれで浄土真宗の話に移ります。
最近は、浄土真宗の寺も、大々的にお骨を預かるケースが増えています。
私のいる寺、円龍寺も10年前にご門信徒からの要望もあり、お堂を新しく建て、そこに希望するご門信徒のお骨のみを預かるようにしています。
それまでも本堂でお骨を預かっていましたが、数が増えたこともあり、気兼ねなくそして安心してお参りできるようにと、新たにお骨を預かることができるお堂を建てた次第です。
円龍寺のお堂は、宗教宗旨宗派不問ではなく、円龍寺と縁のある門信徒のみがお骨を納められるタイプです。
理由はいろいろありますが、営利目的の営業でお骨を預かっているわけではないからです。
ご門信徒の皆さまが、永代にわたって、安心して先祖のお骨をご縁として、仏さまにお参りできる空間にとの思いでつくられました。
浄土真宗では永代供養という言葉は使いません。
「納骨=永代供養」というイメージがついているかもしれませんが、浄土真宗の場合はちょっと違います。
一般的に永代供養と言われると、
・永遠に故人の供養をすること
・納骨をした後はすべて管理を任せられること
と思われがちですが、浄土真宗は違います。
浄土真宗では、お骨を納めていただくときに、「永代経をつけてください」とお願いします。
するとこの永代経のことを「永代供養」のお金と同じと思われることもあるかもしれません。
納骨のときに永代経のお金を納めたから、これで今後寺にお参りしなくても、あとはずっと寺が代わりにお骨を管理してお経を読んでくれるみたいなイメージを持つかもしれません。
しかし浄土真宗の永代とはそういう意味ではありません。
お骨を納めるときの永代経のお金、懇志というものは、ずっとお骨を見てもらうことやお経を読んでもらうお経読みのお金でもなければ、先祖の霊を慰めるものでもありません。
浄土真宗の言う永代とは、「末永く代々にわたって」という意味です。
寺が納骨のときに永代経の懇志をお願いするのは、寺が大切にご門信徒の皆様のお骨を預かります。それに対して、皆さまは永代の懇志を納めることによって、お寺という空間が維持され、いつまでも念仏の教えが、子や孫、のちの人たちに伝わっていくようにという願いで納められるものです。
そしてそれを形にしたのが、永代経法要という寺の定期法要で、皆さまの懇志や先祖のご縁によって、寺がこれからも永代にわたって、伝わっていく空間となります。
浄土真宗の永代とは、末永く代々にわたってずっとということです。
ですので、お骨を納めたら、もうお参りしなくていいではなくて、亡き肉親・先祖のご縁で、ますます南無阿弥陀仏のお念仏の教えにであっていくこと、そしてお寺という空間を永きにわたって伝えていこうとするものです。
お骨を預けたら預けっぱなしにしないのが、浄土真宗の永代の納骨です。
寺が毎日お勤めをする、寺が預かったお骨を大切に保管するのは、永代供養とか関係なく、当たり前のことです。
これからどこかの納骨施設に永代でお骨を納めようと考えられている方は、そこが安心してお骨を預けられるところなのか、お骨の将来の扱いはどうなるのか、という事も踏まえて、納骨場所を決めていただけたらと思います。
それでは短いですが、2022年10月25日配信の「納骨と永代」のお話を終えます。
それと、余談ですが、円龍寺ではご門信徒のお骨のみをお預かりすることにしています。
一般的に永代納骨といっても、ある一定の期間が来たら他のお骨と混ぜる合祀というものにされます。
しかし円龍寺は地域の皆さま、ご門信徒の皆さまによって、450年以上も支えられてきた寺です。
そしてこれからも支えがあって永代にわたって、寺を維持できればと思います。
円龍寺ではこれまでもご門信徒のお骨をお預かりしてきましたが、今まで一度も、お骨を合祀したことはありません。
誰もお参りのない長く無縁だったお骨であっても、数十年ぶりに子孫がお参りにこられたというケースだってあります。
お骨は仏様参りの縁(よすが)となるものです。
これからも末永く代々にわたって、地域の、ご門信徒のための寺であるために、申し訳ないですが、円龍寺は宗教宗旨宗派不問ではなく、円龍寺の縁ある人、ご門信徒のお骨のみを、それぞれ大切にお預かりさせていただいています。
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