献花の向き.#144

第144回目のラジオ配信。「献花」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)

ラジオテーマ「献花」内容まとめ
  • 献花とは花を献ずること、手向けること
  • 花は奥側に置かれることもあれば、手前に置かれることもある
  • マナーは神道形式の玉串奉奠にならっているらしい
  • キリスト教や仏教では献花はあまりなじみがない
  • お香典やご仏前のお供えは名前が手前になるようにする

かっけいの円龍寺ラジオ

この番組では香川の浄土真宗のお坊さん、私かっけいが、短いおしゃべりをするラジオです。

今回の音声は2022年7月8日に録音しています。今日は安倍元首相、2つ前の内閣総理大臣が奈良で街頭演説中に銃でうたれ亡くなりました。

とっても大きな事件で、おそらく一週間後の来週の木曜日か金曜日あたりに通夜・葬儀があり、そのあとにお別れ会のようなものもあるでしょう。

さて今回私がするお話は、私が常々感じている疑問について、皆さんに投げかけるようにお話していきます。私が感じている疑問は、献花です。献花とはお花を献ずるということで、事件事故の現場や、通夜や葬儀、お別れ会のような場所で見られるあのお花のことです。

浄土真宗のお坊さんの私が感じる献花の疑問・なんでだろうについて、今回は話していきます。

ニュースを見ていますと、午後6時前に安倍元首相が病院で亡くなったと報道されました。

それを受けて、今夜にも、銃撃された奈良の駅前では花を手向ける人、献花に来る人が少なからずいることでしょう。ひょっとすると安倍元首相の自宅でも献花があるかもしれません。

それで私が感じる疑問は、皆さんがされる献花のお花の向きです。

お坊さんの私の中では私自身に明確な答え・やり方があるのですが、どうも世間の人たち、テレビで見る様子の献花にはちぐはぐな所、一貫性がないなあと感じるところです。

皆さまは献花をされる時、どのようにして献花、お花を献じていますか。少し思い出してみてください。

私がこれまでいろんな献花を見てきた限り、事件事故現場で献花があるとき、ほぼすべての人が、お花を向こう側、自分から遠い方向に向けて、花の茎側を自分の方にしているはずです。

一方で、通夜や葬儀、お別れ会のような場面、また他には慰霊祭や追悼式典といった場面ではどうなるでしょうか。私の見ている限り、ほとんどのケースで、お花を手前、自分の方に向けて、茎を自分から遠い方向に置いているのではないでしょうか。

私にはそれが分かりません。なぜ同じ献花なのに、事件事故現場での花の向きと、会や式典での花の向きが真逆の向きになるのでしょうか。

これは別に一般の人だけではありませんよ。

これまでの首相や各閣僚だって、似たようなことをしています。

例えば去年の今頃は、千葉県でトラックが児童の列に突っ込み子どもたちが死傷する事件がありましたよね。事件直後にその現場を訪れた当時の菅元首相は、やっぱりお花を向こう側に向けて献花をしていますよね。

その他、京都アニメーション事件や、津々井やまゆり苑、大阪北新地のビル火災、地震や洪水や土砂崩れなど、いろんな場面での献花を見てきますと、献花の花をされる方は皆一様に花を奥側、茎を手前側にします。

でも不思議なことに、事件事故から時間が経過し、一年後とかに改めて現場に献花台が置かれたり、献花の式典があると、今度は、花を手前、茎を奥側にします。

なぜでしょう。私にはよく分かりません。

今度の安倍元首相の献花を見てほしいですが、きっと奈良の駅前では、花は奥側に置かれていると思います。

それで通夜・葬儀といった場面では、花は手前側に置かれていると思います。

これは私の想像ですが、きっと、通夜や葬儀、お別れ会、慰霊祭、式典といった場面では、会場を取り仕切っている人が、花はこっち側・手前側に向けて献花してくださいって指示しているんだと思います。

実際、気になって、インターネットで献花の仕方・マナーと検索しますと、葬祭業者のウェブサイトや動画ばっかりヒットして、だいたいどの葬祭業者も次のような説明をしています。

1.スタッフから献花用の花を受け取ります。右手は花の下、左手は茎の根元に添え、花を胸の高さに合わせて持ちます。この時、右の手のひらが天井を向き、左の手のひらが床向きになるようにしましょう。

2.自分の順番が来たら、ご遺族に一礼して祭壇に進み、祭壇の前で一礼します。

3.花を時計回りに回して、根元が祭壇の方に向くように持ち替えたら、花に左手を下から添えて、献花台の上に置きましょう。

4.献花台の上に花を置いたら、手を合わせて黙とうした後に深く一礼をします。

言葉の表現は違えど、ほとんどの葬祭業者や葬儀の情報ウェブサイト・動画で、献花の仕方として、このような説明をしています。

ですが、浄土真宗のお坊さんの私からしたら不思議で仕方ありません。

なんでわざわざ花を時計回りに回して、根元を向こう側、花を手前側にして、献花するのでしょうか。

その肝心な理由の説明をされているウェブサイトがほとんどありません。

中には献花の意味として、献花は主にキリスト教や無宗教で行われる儀式です。とあります。

日本人のキリスト教信仰者は1%もいないですし、特定の教えや形式にこだわらない無宗教の人も多いでしょうに、なぜそんな不思議な献花の作法をしているのでしょうか。

それでなかなか、この時計回りに花を回す献花の理由について答えている葬祭業者のウェブサイトは見つからなかったのですが、少ない中にも次のような説明がありました。

献花は神道の儀式、神式の玉串奉奠にならったもので、玉串の捧げ方に準じた日本式のものです。とありました。

さらには茎をあちらに向けるのは神様や亡き人が手に取りやすいようにするためともありました。

なんで神道形式の玉串のやり方をならって、献花をするのか分かりませんが、こういったわけで、通夜や葬儀、お別れ会、慰霊祭、式典といった会場にスタッフがいる場面では、花を回転させて、花を手前側、茎を奥側にして下さいという指示が入って、あのような光景がみられるのでしょう。

ちなみにですが、献花というものは、外国のキリスト教ではほとんど見られないようですし、仏教でも言葉は使われることはあってもそんな不思議な作法のような献花はありません。

日本にあるキリスト教会のウェブサイトの中には、献花という名称に疑問を呈しているものもあって、飾る花の「飾花」や供える花の「供花」という言葉の方がふさわしいとまであります。

その理由は、キリスト教においては「献げもの」は主(神)にするものであって、亡くなった人にするものではないという考えが根底にあるからという、非常にわかりやすい説明をされています。

私が感じている献花の花の向きについての疑問はそんなところです。

どうして花の向きがことあるごとに違うのだろうかということです。

ちなみにアメリカの事故現場とかで花が置かれているのを見ますと、日本とはちょっと違うようですね。

日本では先ほどから話していますように、事故現場では花を奥側にしていますが、アメリカとかでは、なるべく立てかけるようにしていますね。日本のように寝かせて花を奥にするのとはまた違った感じです。

ちなみにもし私が、事故現場や式典で花を献ずるならどんな風に献花するでしょうか。私の中では決まっています。

私なら花を向こう側・奥側に向けます。

なぜなら献花とは亡き人のためにする行為なんでしょう。それなら亡き人に花を手向けるのですから、花をそのまま亡き人に手向けたらいいんではないでしょうか。

亡き人のために手向けている・献じている花をなぜわざわざ回転させて自分たちの方に向ける必要があるのでしょうか。私にはわかりません。

続けて浄土真宗のお坊さんの立場で、ここからは仏事でのお花の向きについて話していこうと思います。

浄土真宗ではあんまり献花という言葉を使いません。仏様や亡き人のために花を献ずる・手向けるという考えはないからです。

ですが、献花という言葉は一般的な言葉で、花を手向けるということで分かりやすいので、花を供える時は献花、お香を供える時は献香、ロウソクのお光・灯を供える時は献灯といったように、献灯献花献香と表現したりもします。

しかし繰り返しますが、仏教宗派、浄土真宗においては、仏様や亡き人に対して、献ずる・手向けるといった考えはありません。

例えば仏壇の花を思い起こしてください。

仏壇にお供えする花は、私たちの方に向いていますよね。

もし花を仏様や亡き人のためにさし上げているんだ、手向けているんだと考えるのであれば、花は私たちと逆の方に向けることになりますよね。

しかしそれは浄土真宗では大きな間違いです。

その理由は、仏壇とは仏様、阿弥陀様がおられる浄土の様子をあらわしたものだからです。

お浄土の世界は、さまざまな素晴らしい花が咲き、食べるもの飲むものにも悩むことがない世界であり、光輝いている世界だとお経文に説かれています。

そんな仏様の世界に対して、私たちが花をさし上げるのではなく、お参りする私たちは、お浄土の素晴らしい姿を思って、お花やお光やお香をお飾りするのです。

私の方が仏や亡き人のためにするのではなく、仏様の方からこちらに向けられているのだから、お花をお供えする時は、お花が常に私たちの方に向けられるのです。

ですので仏壇だけでなく、お墓や、通夜や葬儀などで、花を供える時は、必ず花を私たちの方に向けて供えられます。

似たようなことに、仏事では、お香典やご仏前というものがあります。お香典やご仏前とは、お香やお花といったお供え物をお金に代えて仏様にお供えしている形です。

で家で法事をしますと、仏壇の前、お坊さんがお経を読む机にお香典やご仏前の金封がお供えされていることがありますが、これの向きが名前が奥なのか、名前が手前に読めるようにするのか、バラバラなことがよくあります。

これを見てますと、冒頭で言ったような、献花の花の向きと同じで向きがよくわからず置いているのだなあと感じます。

このお香典やご仏前の金封は名前をお参りの人が読むことができるようにして置きます。

なぜならお香典やご仏前は、お供えだからです。

他のお花やお香や果物といったお供えと同じ扱いです。

お香典やご仏前は仏様のためにとか、亡くなった人のためにしているのではありませんからね。

ちなみにですが、法事の場面で、お香典やご仏前をお参りに来た人が、直接仏壇においたりするのをたまに見かけます。

これはあまりよろしくありません。

例えばですが、お花やお香やお供え物を持参した時に、家の人に黙って仏様のところにお飾りしますか。しませんよね。

家の人、施主に、お供え物をさせていただきますと伝え、家の人がこれは誰それがして下さったものですと、お参りの方々に分かるようにお供えしていきますよね。

それとおんなじことです。つまりお香典やご仏前をされる時は次のような形になります。

まず仏様の前・仏壇に手を合わします。そのあと、家の人・施主に挨拶し、法事に案内して下さったお礼をして、仏様へのお供えのお香典・ご仏前をお渡しします。

預かった施主は、これはこの方からのお供えとわかるように、名前を手前にして仏前にお供えします。

これは寺の法要でも一緒です。

寺で永代経などの法要がありますと、飲み物や果物やお花をお供えしてくださるご門信徒の方たちがいます。ですが皆さん、黙ってお供えしていくのではなく、寺に前もって、お供えしますと連絡があります。

すると寺は、誰それからこのようなお供え物がありましたという名前を張り出します。また先ほどからお話していますように、仏様のためにお供えをしているのではないのですから、お供え物はすべて、お参りの人たちの方に向けられてお飾りされています。

さて今回のお話は少し長話になったかもしれません。

一般にいわれる献花は、亡き人のために手向ける花・献ずる花であれば、私は花を向こう側・奥側に向けるべきだと思います。

しかし現実にニュースなどで見る光景では、事件事故現場・災害現場などのその時は、手向けるように花が奥側にして置かれているのに、かたや通夜や葬儀・お別れ会・式典といった会場スタッフがいるようになると、神道の玉串に準じてかどういうわけか分かりませんが花を時計回りに回転させて、花を手前、茎を奥側にして献花する様子がニュースで見られます。

浄土真宗のお坊さんの私にはこれがわかりません。昔からの疑問です。

キリスト教や仏教では献花というのはあんまりよく分からないものですが、献花というからには、そのまま花を手向ける・献ずればいいのではないかと私は思います。

以上で2022年7月12日配信予定の「献花」についてのかっけいのラジオはここで終了します。

最後にひとつ余談ですが、浄土真宗のお坊さんの私が困るものに献杯というものがあります。

新型コロナ前では、法事の後に、お参りの方たちとお食事をするのが一般的でした。

で、施主の挨拶の後で、献杯の発声を求められるのですが、亡き人やましてや仏様に向けて盃を献ずる必要がないので、献杯を求められても困るところです。

ただ施主が献杯の発声を求めているということもありますので、献杯をしますが、献杯をせずに、そのままいただきますと食事をしたらいいのではないかと、浄土真宗のお坊さんの私は思うところです。

陰膳も同じことです。

亡き人や仏様のためにお食事を用意することはないですし、仏様のお浄土の世界では飢えに苦しんでいる、食べるのに困っているわけではありません。

ですので陰膳は浄土真宗では不要なのですが、お箸はどちら向きに置いたらいいですかと、質問されましても、浄土真宗のお坊さんの私は返答に困ります。

たいてい陰膳はお食事処の仏事のサービスでついてくるものなので、お食事処の人がされる仕方に私は任せています。

なかなか献ずるというのは、よく分からないものです。

浄土真宗では供える形がこれっとはっきり決まっていますが、他の考えとごちゃ混ぜにされますと、不思議なもの、なんて答えたらいいのか分からないものになります。

いずれにしても、今度の安倍元首相の通夜や葬儀の献花の様子をニュースで注目してみたいと思います。

おそらく奈良の事件現場では花を奥側、それ以外の会場の式典では花を手前側にするんだろうなあと思います。不思議な光景ですが。

参考サイト

キリスト教ではご遺体はあくまでも“抜け殻”であり、魂はすでにキリストの御手の中にあると考えるため、あくまでもお花は棺を飾るもの。献花ではなく、“飾花(しょっか)”と呼ぶことも

いまさら聞けない、キリスト教葬儀の基本(クリプレ)より引用

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