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第127回目のラジオ配信。「中句頭」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
かっけいの円龍寺ラジオ
この番組では香川に住む浄土真宗のお坊さん、私かっけいが、短いおしゃべりをするラジオです。
先日の法事で、お参りの人から次のような質問を受けました。「どうしてお経を読むとき、一度に読み切らないのですか」と。
そうですよね。普通に思えば、最初から最後まで止まることなく通して読めばいいのに、どうして途中で止まるんでしょうか。2022年3月8日配信の今回はこの質問にお答えする形で、お話をしていきます。
さて改めて、質問の内容を振り返りますね。
質問は「お経を一度に読み切らないということ」でしたが、これはどういうことかと言いますと、例えば仏説阿弥陀経を例に挙げてみます。
阿弥陀経は1900文字ちょっとと、そんなに文字数の多くないお経文ですが、途中およそ700文字読んだところで一度お鈴を鳴らして止まります。そしてワンテンポ置いてから、読むのを再開します。
質問された方は、これが気になっているのです。
また私のところの宗派ではないですが別の浄土真宗宗派では、最後のあと200文字もないところで止まったりします。そしてまた『舍利弗 如我今者 稱讃諸仏 不可思議功徳』と一分ほどで仏説阿弥陀経を読み終えます。
正信偈からも例を挙げましょうか。
正信偈は浄土真宗の宗祖親鸞が書いたもので、文字数は840文字です。私の宗派では残りあと200文字ほどの所で一度止まり、『善導独明仏正意』と再び読み始めます。
あるいは別の読み方では、最初の8句56文字の『超発希有大弘誓』までいったん読み、また改めて『五劫思惟之摂受』から残り800文字ほどを読み始めます。
質問してくださった方は、あとほんの少しの量なのにとか、なんでお勤めをはじめてすぐのところで止まるのかと不思議に思われたようです。
結論を先にお答えしますと、読経の内容が変わる所や、ここから大切な箇所ですよということを表すためだと私は聞いたことがあります。
例えば阿弥陀経では、私の宗派では700文字ほど読んだ後、お鈴を鳴らして止まり、再び『舍利弗 於汝意云何 彼仏何故 号阿弥陀』と読みはじめます。
ここから100文字ほどのお経文の内容は、極楽の世界の仏がなぜ阿弥陀というお名前なのかということが説かれています。阿弥陀仏の由来が説かれている箇所ですので、とっても大切なところですよね。そしてここ以降、阿弥陀仏の仏の世界に生まれる方法と、つまり阿弥陀仏の名前をいただくといったことが続いていきます。
正信偈で言えば、今から1400年ほど前に自力の修行のみで救われるとされていた頃、中国にいた善導大師というお坊さんたった一人が、お釈迦様の本当の伝えたかったお心を、阿弥陀仏の他力のはたらきを明らかにしてくださったところで、私たちは声を一段高くしてお勤めします。
それまでの自分の器量・能力といった自力の行で救われるのが当たり前の時代に、善導大師は南無阿弥陀仏の名号のはたらきで救われる、他力の教えを明らかにされた人物です。
正信偈はどこも大切な箇所なんですが、善導大師が自力の世の中において他力が仏様が一番伝えたかったことなんですよと、明らかにされたことがなによりも素晴らしいのだと思います。
また正信偈は最初の方の『五劫思惟之摂受』から改めて読むこともあります。ここは無量寿経の内容で、阿弥陀という仏が菩薩から仏になるときに、あらゆる人を救うために、途方もない時間を思惟したということが読まれています。
これは仏説無量寿経だと、阿弥陀仏の48の願い「四十八願」の直前のところです。無量寿経を読経するときも、正信偈最初の五劫思惟之摂受と合致するところでお鈴を鳴らし、いったん読経を止めます。そして改めて『設我得仏』と、阿弥陀仏の48の願いを読経していきます。
仏説観無量寿経では、お鈴を鳴らすまでの前半は王舎城の悲劇というインドのお城で起きた実際の悲しい事件から、お釈迦様が説法をするまでの経緯が説かれています。つまり前半は阿弥陀仏の救いの目当てはどういう人なのかを説明されています。
そして読経をとめて再び読み始めるところからは、阿弥陀仏やその阿弥陀仏の浄土をイメージして観察する方法が書かれています。また人を九種類の九つに分類して、阿弥陀仏の念仏をとなえることも書かれています。
先ほどの正信偈の『善導独明仏正意』につながるお話となりますが、このお経が一番伝えたかったところ、仏様の心がつまっているのは、下品下生のところだよと、明らかにしたのが中国の善導というお坊さんです。
こんな風に、浄土真宗のお坊さんがお勤めを途中でとめて、ワンテンポ置いてからまた読み始めるというのは、この後が大切なところなんですよということを示しているからです。またそれは正信偈も無量寿経も阿弥陀経も観無量寿経も、それぞれに関連してつながっているものです。
それと説明が遅くなりましたが、浄土真宗がお勤めの際に鳴らすお鈴は、お経の最初と最後、それと今回のように大切な内容で読みはじめるといったところで鳴らしています。
お経の途中でおりんがなったら、この次の内容が大切なところなのかなあとイメージしてもいいかもしれませんね。
かっけいのラジオはここで終了します。来週もまた聞いてくださいな。
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