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第174回目のラジオ配信。「お寺のご門徒(檀家)」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)
かっけいの円龍寺ラジオ
この番組では香川県丸亀市に住むお坊さん、私かっけいが、短いおしゃべりをするラジオです。
今回のお話は、お寺のご門徒さんはどこに多くいるのかについて短くお話していきます。
さて、あなたはどこかのお寺のご門徒・檀家だったりしていますでしょうか。
ご門徒・檀家である場合、檀那寺あるいは菩提寺は、近くにあるでしょうか。
一般的に言えば、車で行ける距離、あるいは歩いても行ける距離にあると思います。
中には、県をまたぐほど遠くにあるといった場合もあるかもしれません。
でも多くの場合は、檀那寺や菩提寺というのは、同じ町内や市内と、お参りのしやすい適度な距離のところにあると思います。
その理由は元々、ご門徒や檀家と寺とが、関係しあっていたからです。
今から昔の、江戸時代のころ、江戸幕府は寺請制度というのを行いました。
寺請制度は簡単に言うと、人びとに対して、どこかの寺に必ず属しなさいよというものです。
それで寺に属した人のことを檀家とか、門徒とかいうよになるんですが、その門徒や檀家はそのお寺によって、この人はどこそこの誰で、仏教徒ですよ、つまりキリスト教徒ではないですよという証明をしたのが、寺請制度とされます。
門徒や檀家は、葬儀や法事といったことをその属しているお寺に頼み、またお寺も寺でお彼岸の法要といった仏教イベントを行って、仏法を説く場を提供したりするようになります。
たくさんの人たちがひとつの寺に属している場合は、お盆のお参りや、地域の特別なイベントの時にあの寺のお坊さんに来てもらおうという風にもなったりするでしょう。
また、寺に先祖のお骨を預けたり、寺にお墓を建てたりする場合もあるでしょう。
そんな風に、江戸時代にできた寺請制度によって、門徒や檀家と、檀那寺・菩提寺の関係ができたわけですね。
なので、ふだんのお付き合いが難しくなるような遠くにあるお寺ではなくて、お参りのしやすい適度な距離にあるのが自然な形です。
それを踏まえて、私の寺、円龍寺についてもお話していきます。
ちなみに円龍寺では、檀家という呼び方ではなくて、門徒という呼び方をしています。
私のところの寺は、香川県丸亀市にあります。
ただ丸亀市の西の端にあって、すぐ西の多度津町とはほぼ隣接したところにあります。
寺を出て歩いて一分もすれば、多度津町です。
丸亀にあるお寺ともいえるでしょうが、多度津の方のお寺とも言えます。
それで円龍寺のお寺のご門徒さんは、どこら辺に多くいるかと言えば、多度津町の方に多くいます。
円龍寺の西や北や、または南の善通寺の方にいます。
丸亀のお寺なんですが、あんまりお寺の東側、丸亀方面にはそんなにご門徒の家がありません。
なぜ、丸亀の方面、丸亀の街中には、そんなにご門徒さんがいないのか、詳しい理由はわかりません。
お寺の周辺にあるという基本的な考えであれば、どの方向にもまんべんなくあると思うかもしれませんが、実際のところはそうではありません。
考えられる理由は二つあります。
一つは、円龍寺よりももっと近くのお寺が他にあったということです。
例えば、私のところの丸亀市の金倉町には、250戸の家があります。
しかしその250戸の家がある金倉町には、円龍寺を含めて5つの寺があります。
けっこう多いですよね。
円龍寺のすぐお隣にもお寺がひとつあります。
そんな風に円龍寺以外のお寺もいろいろあるので、できるだけ家の近くのお寺のご門徒になっていくのは自然な感じだと思います。
円龍寺も同じ町内のご門徒さんと言えば、お寺の本当のすぐ近くにある家がほとんどで、同じ町内でも東にある川を超えた先にはあまり多くいません。
お寺の周りにご門徒さんの家があるのは、自然なところですが、実際にはお寺はいろいろありますので、ご門徒の分布も複雑だったりします。
そしてもう一つの理由は、私のところの円龍寺は、今から140年ほど昔に火事で焼けたことが挙げられます。
円龍寺では今から140年ほど前の火事によって、本堂や庫裏と、お寺の大事な建物がなくなってしまいました。
あらたにお堂を立て直すには、お金がたくさん必要になります。
そんなわけで、円龍寺では、火事のあと、ご門徒がでていって、ご門信徒の数が半分ほどに減りました。
円龍寺の古い過去帳を見ますと、今現在のご門徒さんにはない苗字の名前もたくさん見られます。
そういった経緯も、円龍寺のご門徒が丸亀方面にいない理由のひとつにあるかもしれません。
さてもう少しだけ、私のところの円龍寺の話を続けていきます。
円龍寺では、ご門徒さんは西の多度津方面と善通寺方面に集中しています。
西だと、天霧山近くの奥白方や天万寺、南だと自衛隊近くの生野、南西方向だと曼荼羅寺や鳥坂にあります。
北でしたら、多度津の南鴨というところに多くあります。
これを聞くと、寺からけっこう離れているなあという印象を持つかもしれません。
歩いていくには、すこし遠くないかなあと思うかもしれませんね。
実際、私が聞いたことがあるお話では、今から100年以上昔、円龍寺の住職が、多度津町や善通寺の方のご門徒さんにお参りする場合は、何日もかけて出かけっぱなしだったらしいです。
住職が歩いて、天霧山の方のご門徒の家にお参りに行ってお勤めをします。するとその出かけた先のご門徒の家で、泊まらせてもらいます。
それで、何日も渡って、その周辺の家々のご門徒さんのところにお参りを続けていって、しばらくしてから寺に戻ってきていたそうです。
今の時代だと車で15分ほどの距離ですが、100年以上昔だと歩いてだとそうとうお参りに時間がかかります。
なので、住職が出かけたらしばらくは寺に帰ってこないというのが、私の寺ではあったらしいです。
もちろん住職なので、お寺をいつも空けっぱなしにしておくこともできないでしょう。
そういう時には、円龍寺にいた小僧さんたちが、代わりにお参りに行ったこともあるでしょう。
または遠方のご門徒さんの中には、遠くから歩いて数日もかけてお参りを続けるのは大変だろう、申し訳ないということで、このお参りの時は近くの寺のお坊さんを頼ります。でもご命日や年忌法事の大切なときには円龍寺を頼みますという形をとっている家もありました。
そんな風に、今の時代だとまあそんなに遠くのご門徒さんじゃないよね、というケースであっても車もない時代、道路のきれいに舗装されていない時代だと、けっこう遠方のご門徒と寺という関係だったのかもしれません。
さてそれと最後に、補足として、円龍寺のご門徒さんは、お寺の東側の丸亀方面に少ないと言いましたが、もちろん丸亀の方面にもご門徒さんはいます。
さらに東の坂出や高松市にもいます。
西だと詫間の方にも何件かあります。
また香川県の外の、大阪や東京や静岡といった方面にもいます。
これはどういうことかと言いますと、元々はこちらに住んでいた人が後からそちらの方に引越し住むようになったとか、あるいは、本家から分かれた新しい家だったり、または、新しく円龍寺の門徒になりたいという形です。
元々の門徒と寺の関係は、ふだんからお互いに密接に関わりあう、近くにある存在だったと思いますが、今では、生まれ育った故郷から離れて暮らす人が増えたように、寺と門徒との距離も離れたものになっています。
なので、円龍寺でも車で30分とか40分とか離れたところにある髙松のほうのご門徒さんもいますし、県外に住む方もいます。
中々気軽にお参りしあうのは難しい距離ですが、お寺にお骨を預けて折に触れてお参りに来てくださいますし、寺からも祥月参りとかでお参りに行ったりします。
以上で、今回のご門徒さんはどんなところにいるのかのお話しを終了します。
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