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円龍寺ラジオのエピソード番外2。2019年12月12日に円龍寺本堂での布教使による法話です。「なぜ浄土真宗の寺(円龍寺)が人々に選ばれたのか」がテーマです。
2019, 円龍寺報恩講
ラジオの容量を減らすために、雑音が酷い個所などをある程度、編集・削除しています。
法話の補足
本山興正寺

本山興正寺は真宗興正派の本山です。
- 宗旨:浄土真宗
- 開基:親鸞聖人
- 創建:寺伝では1212年とされる
- 現在の場所:京都市下京区
- 末寺数:450か寺ほど
写真の人物が、法話で紹介された赤い衣の人。本寂上人(ほんじゃく)で真宗興正派の中興の祖。
法要の最後で読む箱
浄土真宗の一部の宗派では、読経や法話の最後に、箱から本を取り出して読みます。
この本のことを「御文章(ごぶんしょう)・お文(おふみ)・御勧章(ごかんしょう)」などと呼びます。
本願寺の蓮如上人が書かれたお手紙であり、浄土真宗の大切な内容をお伝えする蓮如上人からの法話です。
本願寺の第8世であり本願寺の中興の祖


続けて、布教使が最後に読まれた蓮如のお手紙を紹介します
蓮如上人が猟すなどりの人びとにあてたお手紙
まづ当流の安心のおもむきは、あながちにわがこころのわろきをも、また妄念妄執のこころのおこるをも、とどめよといふにもあらず。
ただあきないをもし、奉公をもせよ、猟すなどりをもせよ、かかるあさましき罪業にのみ、朝夕まどひぬる我等ごときのいたづらものを、たすけんと誓いまします弥陀如来の本願にてましますぞとふかく信じて、一心にふたごころなく、弥陀一仏の悲願にすがりて、たすけましませとおもふこころの一念の信まことなれば、かならず弥陀如来の御たすけにあづかるものなり。
このうへには、なにとこころえて念仏申すべきぞなれば、往生はいまの信力によりて御たすけありつるかたじけなき御恩報謝のために、わがいのちあらんかぎりは、報謝のためとおもひて念仏申すべきなり。
これを当流の安心決定したる信心の行者とは申すべきなり。あなかしこ、あなかしこ。
文明三年十二月十八日
第一帖の第3通『猟すなどり章』より


現代語訳をしました
まず、この浄土真宗の信心の内容は、ことさらに私自身のこころの悪いことや、また正しくない思いやとらわれの心が起こることを、やめなさいというのではありません。
ただいつものように、商売をし、人のもとで働くことをしなさい。必要によっては、生き物を殺し、獣をかり魚をとることなどもすればよろしい。
このように朝から夕まで、浅ましい罪業ばかりに迷い悩んでいる私たちのような人々に対して、「何のようもなく助けるぞ」と誓われたのが阿弥陀仏の本願だと深く信じて、素直な気持ちで疑いの心なく、阿弥陀仏の慈悲の願いを受け入れなさい。「南無阿弥陀仏」と、ただお任せいたしますという一つの信心が阿弥陀仏より頂けたなら、かならず阿弥陀仏がお浄土に生まれさせてくださります。
この上には、どのような気持ちで、お念仏を申せばよろしいのでしょうか。
それは阿弥陀仏のお浄土に生まれさせていただくことが、阿弥陀仏からの信心のはたらきによって達成しているのですから、「有難くも助けてくださった」というその御恩にお応えし感謝するために、私のいのちがある限り、お念仏すればよろしいのです。
このことが、浄土真宗の信心の定まった念仏の人というのです。
1471年12月18日、謹んで書き記しました。あなかしこあなかしこ
浄土真宗が選ばれた理由
円龍寺は戦国時代から江戸時代にかけてできた浄土真宗のお寺です。『円龍寺はどんなお寺?』
当時の人びとは、老いも若きもいつ死んでいくのか分からない時代だった。しかし浄土真宗の教え、阿弥陀仏のはたらきは、どのような人々でも必ず救ってくださるものだった。
名前も残らない人々や生き物を殺し日々精いっぱい生きている人々にとって、無条件に阿弥陀仏の働きによってかならずお浄土に救いとって下さることは、自分の人生が意味のある命であったと勇気づけられたのではないだろうか。
布教の先生が最後に「猟すなどり章」を拝読したのは、そのようなメッセージが込められていると思う。浄土真宗のお寺である円龍寺が今現在も残っているのは、そのような阿弥陀仏の救いを頼りお任せした人々が支えてくださったからだろう。


2019年9月の円龍寺秋永代経での法話もリンクします。よろしければお聞きください。