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第115回目のラジオ配信。「赤い表紙のお経本」がテーマです。(BGM:音楽素材MusMus)

かっけいの円龍寺ラジオ
この番組では香川に住む浄土真宗のお坊さん、私かっけいが、短いおしゃべりをするラジオです。
今回は「浄土真宗のお経の本の表紙が赤い色である理由」について雑談していきます。
2021年もあとわずかになり、大学を受験される方は最後の追い込み時期でしょう。私も大学入試過去問集の赤本を使って、勉強したものです。
赤本といえば表紙が柿色・赤色と、非常によく目立つ大学受験の過去問集のことを誰もがイメージされると思います。大学受験の赤本が赤色の理由は、本棚の中にあっても一目で分かるようにだとか、やる気の出る色だとかのハッキリしませんが、そんな理由があるそうです。
さて実は浄土真宗のご門信徒の皆様がお手元に持たれているお勤めのお経本、在家勤行集やお聖教と言われるものも、表紙が赤くありませんか?確認してみてください。
赤本とは言いませんが、あの派手はでな赤い本は、法事や葬儀の時など、とってもよく目立つものです。
なぜ、浄土真宗のお経本が赤い色をしているのでしょうか。
実はこれは血の色をあらわしているとされます。ではいったい誰の血の色なのでしょうか。
宗祖親鸞聖人でしょうか。聖徳太子でしょうか。それとも阿弥陀如来でしょうか。それともお釈迦如来でしょうか。いったいどなたの血でしょうか。意外と知らない人が多いと思います。
お話の舞台は、今から500年ほど昔の福井県にうつります。
京都・滋賀の北に位置する福井県あわら市の吉崎という場所に、浄土真宗中興の祖とされる蓮如がいました。吉崎御坊といわれ、蓮如のいた吉崎の周りには、お坊さんの住む坊舎やご門信徒のいる宿坊などが建ち並んだ、寺内町となっていました。その建物の一つに、了顕というお坊さんの坊舎、本向坊がありました。
1474年の3月28日の夕方ごろ、吉崎御坊に火事が発生しました。南大門からあがった火の手はまたたく間に広がり、吉崎の寺内町全体に及んだとされます。
60歳の蓮如はなんとか火災から逃れることができたのですが、なんと大切な浄土真宗の根本聖典の「教行信証」6巻のうちの1巻がないことに気がつきます。書院に置かれたままだったのです。
言い伝えでは、宗祖親鸞聖人が書かれたご真筆の教行信証だったとされます。
代わりのきかないお聖教ではありますが、どうしようもありません。
しかし火の中に宗祖親鸞が書かれた大切なお聖教が取り残されていることを耳にした本向坊了顕というお坊さんは、蓮如やそばにいた人々を振り切り、火中に飛び込みます。
翌日、焼けた寺の跡から黒こげにうずくまる本向坊了顕が見つかりました。
お腹を守るように大事に抱えていたその中には、火中に取り残されたお聖教が焼けずに残っていました。
本向坊了顕は自分のお腹を切り裂いて、腹の奥に押し込み、身をていしてお聖教を守ったのです。
このお聖教は本向坊了顕の血によって、赤く染まっていました。
そんなことがあってから、この39歳で亡くなられた本向坊了顕の遺徳を偲び、今日、浄土真宗の私たちが目にする赤色のお経の本となったとされます。
先人たちが命をかけて伝え守られてきた教え、お聖教は末代の人々が大切にしていくようにと、朱色いわゆる赤色のすがたとなっているのです。本向坊了顕が命をかけて守ったこの出来事は、「血染めのお聖教」や「腹ごもりのお聖教」と言われ伝わります。
ですので私たちがお聖教を拝読する時には、うやうやしく手に取り、姿勢を正していただいて開き、畳や床といった足で踏まれるところには直接置かないようにします。
それが、私たち赤いお経本を読む、浄土真宗の人たちの大切な心がけとなっています。
以上で、2021年12月14日の配信。浄土真宗のお経の本の表紙が赤い色である理由についてお話しました。
かっけいのラジオはここで終了します。来週もまた聞いてくださいな。ポッドキャストでも配信していますので、iTunesなどのアプリで「レビュー・評価・登録」してくれたら嬉しいです。
ちなみに同じ時期の吉崎御坊では、焼け残りのお名号や、肉づきの面といった逸話もあります。これらはまた別の機会があれば、お話しようと思います。

吉崎御坊を深く知るための外部リンク
上のリンク先は、本山を東本願寺(真宗本廟)とする真宗大谷派の吉崎別院のウェブサイト。
下のリンク先は、一般財団法人の本願寺文化興隆財団のウェブサイト。
上の動画は、すねいる教材研究社がyoutubeに公開しているもの。
吉崎御坊の3つの逸話
ラジオでも紹介したように、本向坊了顕が自分の腹を裂いて、火事から浄土真宗の根本聖典である教行信証を守った出来事。
このことから浄土真宗の経本・聖教の表紙が赤色となったとされる
同じく1474年3月28日に、吉崎御坊が火事に見舞われたときのお話。
焼け落ちた吉崎御坊から、奇跡的に南無阿弥陀仏の6字のみが焼け残ったお名号のこと。
現在そのお名号は、京都市下京区にある本願寺眞無量院(真宗大谷本願寺派)にあります。特別なときに御開扉されます。
蓮如のいる吉崎御坊には、大勢の人がお参りに来られていた。
お清という若い嫁も毎晩通っていたが、おもとという姑はこれが気いりませんでした。
そこで姑は若い嫁に対して、御坊からの帰り道に鬼の面をつけて驚かせたら、きっともう通わなくなるだろうと考えました。しかしどういうわけでしょうか。鬼の面を外れなくなりました。
困り果てたおもとはお清とともに蓮如の元に行き、自らの行いを深く恥じていることを言いました。蓮如はおもとに対して「正直もの」だと褒めました。すると鬼の面が顔から外れ落ちたのです。
以来、お清とおもとは吉崎御坊に通う、篤信の門徒となりました。
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