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戦争体験談.ラジオ#52

第52回目のラジオ配信。「戦争体験者の話」がテーマです。

  • 2:20 高松空襲の体験談
  • 5:48 今治の工場と終戦間近
ラジオテーマ「戦争体験」の内容まとめ
  • 1945年7月4日深夜に高松空襲(香川)があった
  • 丸亀から東の山を見ると、赤い屏風が立っているように見えた
  • 高松駅から南2㎞の栗林公園が見えた
  • 空襲警報が鳴ったら、丸亀城に逃げ込むと心に決めたという
  • 1945年8月5日に今治(愛媛)で空襲があった
  • 香川に一時帰ると、広島で特殊爆弾が落ちたとの噂があった
  • 今治の工場に着いた15日に、終戦の知らせを聞いた
  • 戦争が終わったこと・もう人殺しの道具を作らなくてすむことが嬉しかったという

2020年も8月に入り、香川県ではお盆参りがはじまっています。

ただ例年と違って、お盆の帰省が少ないので、家族のみの少人数のお盆経となっています。

でも丸亀の街を走るとそこそこ県外ナンバーの車も見ますので、やっぱりいくらか県外からの人は来ているようです。

7月下旬の時は「Go Toトラベルキャンペーン」で旅行客でしょうか、県外ナンバーが多く見られ、8月に入った今は「お盆の帰省は自粛してください」と呼びかけられています。

そんなことを聞くと、親しい一族・親族にはコロナをうつさないでくれ、でも見知らぬ土地の見知らぬ人にはうつしてもいいよみたいにも捻くれた考えの私は思ってしまうんですね。

まあ、今回はそんなお話をしたいのではなく、この8月のお盆の時期は広島や長崎の戦没者慰霊式典がありますよね。

戦後75年になって、戦争を体験し語る人がだいぶ減ってきたこの時に、今年は新型コロナウイルスで出席者が10分の1未満になったそうですね。

戦争体験者の言葉を直接聞く機会はどんどん減ってきているように思われます。

私はお坊さんなので、まだご高齢者とお話する機会に恵まれているので、戦争の話を直接聞くことができます。

今回は私が聞いた第2次世界大戦のお話をその人に代わって、お話します。

なおその人が特定されないように、ある程度内容をぼかして話すところもあります。

それでは今回は2つピックアップして話します。高松空襲と終戦間近の内容です。

香川県の県庁所在地である高松市は1945年7月4日の午前1時ころに空襲がありました。

このお話をしてくださった方は私と同じ丸亀市に住む人で、当時まだ10歳にもなっていない女の子でした。

7月3日の夜中寝ていると、突然、丸亀に空襲警報がとどろいたそうです。

大人たちが子どもたちを外に連れ出して、この子は田んぼの側溝というのでしょうか、その水を流す狭い隙間の所に押し込んだそうです。

そして大人から何があっても顔を出すなよ、ときつく言われたそうです。

しばらくして上空を通過する音が聞こえなくなって、その狭い隙間から出てくると、東の高松の空が真っ赤になっていたそうです。B29による高松空襲でした。

東に見える青ノ山や飯野山に赤い色の屏風が立っているかのように見えたとのことです。

ちょうどその女の子の近所に、右腕を失って戦地から戻ってきた人がいました。その右腕がない人には子どもがいなくて、その子のことを自分の子供のように可愛がっていました。

そしてその右腕のない人が、その子に戦争がどんなものか見せたいということで、翌日高松に2人で一緒に行ったそうです。

高松駅の機能は失われていなかったみたいなので、汽車に乗っていったそうです。

高松の駅に降りたら、焼け野原で、栗林公園まで見えたそうです。

栗林公園とは高松駅から南に2キロ離れたところにある高松藩松平さんの大名庭園のことです。

焼け野原で街中にはいかず、駅近くにある高松城を歩いて、その後屋島に行ったそうです。

屋島のケーブルはとまっていて、また屋島も空襲にあったようで、電柱は傾いていたそうです。周りには電線でしょうか、金属を丸めて集めている人がいたそうです。

それでその子は庭師の子どもというのもあって非常に身軽な子供だったので、電柱にのぼったそうです。電柱の上から見た高松の町は、ほとんど何もなかったと言ってました。

その人曰く、高松の惨状を目の当たりにして、空から降ってくるアメリカ兵の紙を見るなという大人もいたそうですがよく目を通して、私は空襲警報がなったらすぐに丸亀城に逃げ込むと決めたと言います。

お城なら爆弾を落とされないと思ったからだそうです。

幸いに丸亀には空襲がなかったのでお城に逃げ込むことはありませんでした。

これが1人目のお話です。

続いて2人目のお話をします。

この方は女学生で今でいう女子高校生です。丸亀のすぐ隣の多度津の人でした。

戦争中は女学生は学校に行かず、工場で働いていたようです。

この方は「いまはるのタオル工場」で戦争の道具を作っていたと言っていました。「いまはる」とはおそらく香川の隣に位置する愛媛県の今治市のことです。

そこのいまはるも空襲の被害にあったそうです。

8月5日の深夜に空襲があってその人は無事だったのですが、工場が壊れ、働ける状態ではなかったそうで、一時的に汽車に乗ってこちら香川に帰らされたそうです。

で翌日(おそらく7日)ですが、家に着くと新聞がなかなか届かずいつもと違うなあと思っていたら、大人たちが「海の向こうの広島で特殊爆弾が落とされたみたいよ」と噂していたの耳にしたとのことです。

しばらく香川の多度津でいたのですが、工場を動かす知らせがあり、再びいまはるに汽車に乗って向かったそうです。

そしていまはるに着いた15日に戦争が終わったと教えられたと言います。

その人曰く、戦争に負けたことよりも、戦争が終わったこと・もう人殺しの道具を作らなくてすむことが嬉しかったと言います。

これが2人目の話です。

この放送をするのは2020年8月11日を予定しています。8月15日は日本の第二次世界大戦の終戦の日であり、毎年、政府主催の全国戦没者追悼式が東京の日本武道館で開かれます。

今年は新型コロナウイルスの影響のため、参列者は最大1400人に制限されています。

また戦没者遺族の参列はご高齢ということもあり、昨年の1割弱になると予想されています。

戦争体験者の話を聞くご縁がますます減っていくのではないかと心配になります。

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戦争体験の話を聞くのは大切

戦争体験者

毎年8月になると、第二次世界大戦の戦争体験者の話が報じられます。

広島・長崎での原子爆弾の被爆者、その後の放射性物質を含んだ「黒い雨」により健康障害に苦しんだ人々。戦地で多くの仲間を失い命からがら戻ってこれた兵士。アメリカ兵が上陸し多くの民間人が死んだ沖縄。

しかし戦争の体験者はその人たちだけではなく、私たちの身近な人たちもまた戦争の辛さ・苦しさを経験しています。

広島長崎、戦地、沖縄などをメディアは何度でも伝えますが、戦争を体験していない若い私たちは、身近にいる人たちの戦争体験を直接聞いていくことも大切だと感じます。

戦争の悲惨さは私たちの身近な生活の中にもあります。空襲や飢えや別れにどれほど苦しんでいたことか。

「戦争体験者に戦争の話を聞く機会がない」という人もいるかもしれませんが、まずは身近な人。おじいさんやおばあさんに「戦時中や戦後、どんな生活だったの?」みたいに聞いてみてはどうだろうか。


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綾上町から見た高松空襲の体験談

綾上町の20歳女性の話

1945年、綾上町に住んでいた当時20歳の女性のお話です。

綾上町は現在はなくなり、香川県綾歌郡綾川町に属している。高松市の南西に位置する。

  • 高松の街は北東にあり少し見下ろす位置に住んでいたが、空襲前は家とかがあって街の様子はあまり見えなかった
  • 7月4日真夜中に空襲警報が聞こえて起きた
  • 高松の街が真っ赤に燃えて空が明るく、街に落ちる砲弾がよく見えた
  • 家が燃える様子がきれいだったそうだ
  • うろ覚えだが、B29爆撃機が東の空に見えた気がする
  • 空襲後の2~3年は高松の街の様子がよく見えて、手に取れるようだった

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